第4話 見る前に飛べ、その崖の先へ
「それで?なんでマルダの弟子なんざ連れてきたんじゃい。エルフの術士に役立つもんなんぞここには無いぞ」
遠慮ない視線をリミリミに投げながら心底ダルそうな顔でお師匠様が言う。この人、引きこもりで他人が嫌いだけど物怖じするってことはしないんだよな。そのへんはやっぱ、かつて名を馳せた強者の余裕なんだろうなあ。
「連れてきたんじゃなくて付いて来たんですよ。ダークエルフの秘伝武術に興味があるって言うから。なあリミリミ?」
腕の中のリミリミにそう問いかける。それにしても軽いなーリミリミ。やっぱ筋肉の付いてないエルフの女の子なんだよな。里の女衆だとこの倍は手応えがありそうだ。声を掛けてもリミリミはボーっとしてて反応しないので軽く揺すってリアクションを促すと、ようやく正気に戻ったらしく喋り出す。
「あ、は、はい。体内の気と精霊力を連結させるという体術の話は以前から
何故か急に顔を赤くしてこっちにジト目を向けてくるリミリミ。なんでこの流れでこっちなんだ?
「……一つだけ訂正しとくぞ。『ダークエルフの秘伝武術』ではなくて『儂の武術』じゃ。ダークエルフは元より己の体に精霊を降ろすことを術理とする種族じゃが、それを体術に応用しようという儂の発想はついに誰にも受け入れられんかった。まあ体の直接的動作に影響を及ぼす程の深い精霊力との結合は、それなりにリスクを伴うからの」
こちらを見ようともせず、背中を向けてお師匠様はそうボヤく。禿げ上がった頭と痩せた背がいかにも老人って感じで物悲しい。また昔のこと思い出してんだろうなー。こうなると長いんだよな。さっきから腕の中で何故かジタバタしてたリミリミがその哀愁漂う姿に何か感じるものがあったのか、一旦動きを止めてお師匠様に尋ねる。
「そうなんですか?導師も体内の精霊力と外界の精霊力を結合することで術を使ってたので、ダークエルフは皆そうだと思ってたんですけど」
その問いかけを聞いてお師匠様がようやく顔だけこっちに向けてきた。その目が
リミリミの金色の髪を捉えると、余計表情がブスッたれた感じになる。まあ色々思うことがあるんだろうな。お師匠様、大戦期の生き残りなわけだし。
「殆どのダークエルフは、精々が己の皮膚に刻んだ呪紋に一時的に精霊を降ろす程度のことしかせん。マルダの婆は確かに儂と近いことをやっとると言えるが、少し精霊を吸って吐くだけに留めておるし、精霊と気の割合は9対1といった所じゃろ。それですら禁術扱いされておったがの」
「えっ、こんな素晴らしい術式なのにですか!?」
リミリミが心底信じられないという感じで声を上げる。この近さでそんなでかい声出されると耳が痛えんだけど。
「こんな、ってことはさっきリミリミが使ってた飛翔術もそうなのか?」
「そうよ、本来風精を用いた飛翔術というのは使う事自体は簡単だけど恐ろしく制御が難しいの。周囲に四体の風精を従えて、その四体それぞれに注ぐ魔力を調節することで浮力と方向をコントロールするの。前に進みたい時は前方に召喚した風精を弱めて後方に強く魔力を注ぐって感じでね」
「……全然分かんねえ。エルフの術ってそんなめんどくさいことするの?前に進みたい時は前に力を入れるじゃダメなのか?」
「……いいわ、実演してあげるわよ。だからいい加減降ろしなさい!アンタいつまで人のこと抱っこしてんのよ!」
「ああわりい、軽くて全然気にならなかったから、つい」
言われたとおりに降ろしてやると、それでもなんかまだ言いたいことがあるのか無いのかよくわかんない感じで俯いてモゴモゴ言ってる。たまにこうなるんだよなコイツ、エルフはやっぱよく分かんねえや。あとお師匠様がすげえ殺気の篭った目でガン飛ばしてきてるのも分かんねえ。なんで?オレなんかした?
「……ったく、よく見てなさい!」
諸々を振り払うように言うと、リミリミが目を瞑り精神統一に入る。そして耳慣れない言葉を、それほど大きくないのによく響く声で呟き始めた。エルフ言語の詠唱魔術ってやつだ。詠唱が終わると同時に、リミリミの周囲に緑の光球が四つ浮かび上がり、合わせてリミリミ自身も浮き上がった。
「……分かる?今この四体の風精全てに同等の魔力を注いでいるわ。それによって均衡が保たれて、その場で静止浮遊することになるの。この状態から……」
リミリミの意思に呼応するように、リミリミの前にある光球が少し輝きを弱くする。それと同時に、後ろの光球に押されるようにリミリミが前にゆっくりと滑り出した。
「とまあこんな感じで、『前方の力場』を弱めることで力場の均衡を傾け、それによって前方に移動するの。水で満たされたコップを傾けるイメージよ、分かった?」
着地して、長く伸ばされた後ろ髪をサラッと手で流し、ドヤ顔で杖を前にビシッ!と押し出して決めポーズ的な何かを取るリミリミ。難易度の高い術式をミスらずに決めたという自負の現れだろう。その自信満々のポーズには悪いけどオレの感想は一つしか無い。
「とにかくややこしくてめんどくせえってことは分かった」
そう言うとリミリミはがっくりと肩を落とした。いや悪いとは思うけど、なんでいちいちそんな遠回りなことするんだって感想は否めない。空が飛びたいなら思ったように飛べばいいのに。
「……悔しいけどアンタの言うとおりよ。実際にこの術式はただゆっくりと浮かんで移動するだけならいいんだけど、切迫した状況で複雑な機動を要求される場面では殆ど役に立たなかった。大戦時、意気揚々とこの術で空に飛び上がったエルフ達がいざ戦闘状態に入るや否や、敵に攻撃されてもいないのに次々と真っ逆さまに落下していった事件は、エルフの魔導学院で必ず教えられる事例の一つよ」
「攻撃されてもないのに真っ逆さまに?なんで?」
「空中戦闘では敵が水平方向にいるとは限らない。むしろ真上や真下に居ることが当たり前なのよ。それで真下に居る敵を攻撃しようと態勢を変化させた時、エルフ達は初めて空中で天地が逆になった状態を経験したの」
「あー、頭こんがらがっちゃったのね」
「そう、ただでさえ感覚的に前後左右が逆の術式に、上下反対が加わった。更に初の実戦による経験不足と極度の緊張に恐怖。中にはきりもみ回転で高速落下して地面にめり込んだ術士もいたそうよ。慣れてしまえばどうってこと無いんでしょうけどね。けれどプライドの高いエルフ達は二度とその術を実戦で使用しなかった」
リミリミはまるで我が事のように俯き、唇を噛んでいる。怒っているようでもあり、恥じているようでもあった。正直、その内心はあまりにも複雑そうでオレは声を掛けられない。こういう時は待つに限る。母様との生活で得た経験則だ。
「それに比べて導師のこの術は凄いわ。革命的とまで言ってもいい。精霊を契約の
リミリミが再び地に杖を突き、
飛び上がり、上下左右自由自在に、本物の鳥よりも柔軟に飛んで見せるリミリミ。
その様はまさに「思うがままに」って感じだ。そうそう、こうでなくっちゃな。表情も仕草も全てから開放されたって感じに軽やかで、見ていて気持ちよくなる。
程なくして着地したリミリミは、改めてお師匠様に向き合った。
「私はこの術が好きです。初めて導師にこの術を教えてもらって空を飛んだ時、私の周囲を覆っていた分厚い壁が崩れ去った気がしました。私はこの術をエルフの国に持ち帰り、皆に広めたい。皆にこの景色を見せてあげたい。難しいことは分かっています。今の私では足りないことも知っています。でもだからこそ、足を止めたくないんです。お願いします
お師匠様が、頭を下げたリミリミを見る。その目はさっきまでの、うんざりしたような人嫌いの目じゃなかった。この光景は覚えている。母様から崖の上に住むお師匠様のことを教えられ、あらゆる手段を尽くして崖を登り詰め、信じられないバカを見るような目をしていたお師匠様に頭を下げ教えを請うた、あの時のことを思い出す。
「……マルダの術が禁術として忌み嫌われたのは、その術が既存の術を遥かに超えていたというのも確かにある。しかし、それ以上に当時の術士達はその在り方を恐れたのじゃ。精霊と己が身を一体としようとするその冒涜を。それはエルフもダークエルフも変わらぬ。皆、己が己でなくなることを恐れ、己を守ろうとした。その恐れがマルダをこんな僻地に追いやった。お前がやろうとしていること、戦わねばならぬものはそういうものじゃ。儂に師事し、術を鍛えても何も変わらぬ、いや下手をすれば
お前もまた恐れられ遠ざけられるかもしれぬ。それでもやるか?」
一瞬、お師匠様の姿がブレて見えた。枯れた老人の体を覆うように、鬼すらも踏み砕きそうな巨漢の戦士の姿が重なって見える。
リミリミも同じものを見たのだろうか。一瞬目を見開き、たじろいだように見える。けれどすぐに拳を握り直し、口をぎゅっと引き結んで顎を引き、一歩も引かずに前を見た。
――その横顔に、胸を打たれる思いがした。
「ハイ、お願いします!誰に恐れられても構いません!そうなったら私もこの里に住みます!」
堂々と正面から言い切った。それを聞いたお師匠様はまた心底めんどくさそうな顔に戻る。
「やれやれ、またこの里に面倒なやつが一人増えるのか。そのうちバカでこの里が溢れかえっちまうぞ。……教えは授けてやる。エルフで、マルダの弟子であるお前さんには補助程度にしかならんじゃろうがの」
「ありがとうございます!」
リミリミが里中に響き渡りそうな声で返事をする。なんか知らん内に弟弟子が出来ちまったらしい。いやこの場合妹弟子なのか?
「それじゃあ早速基礎からじゃ。さっきの術で構わんから一旦崖下に降りてこい。
マキアはその横でいつも通り運足と型の稽古やっとけ」
そう言いながらお師匠様は崖を歩いて降りていく。自然すぎて違和感がないのが逆に恐ろしい。
「うわ、すご……アンタの力任せの崖登りとは大違いね」
「うっせ。でも実際まだアレは真似出来ねーよ。そのうち絶対修めてみせるけどな」
「そのうちってどのくらいよ」
「……あと、五十年以内には」
「アンタが百八十歳になるまでね。それってリミットギリギリじゃないの。まあ私の留学期間もちょうど一緒だし、負けてらんないわね。あと、アンタいい加減リミリミって呼ぶの止めなさい」
「……分かったよ、これからよろしくな。リミ」
「ん」
そう言って、二人で拳を合わせた。
少し痺れるような感触とともに、何かが通じて繋がるのを感じた。
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