第二十一章 祈り(13)

十三


 リアル・ワールドの人工衛星から見下ろせば、超大型台風の厚い雲に覆われた夜の日本列島では、今、一点の光さえも見つけられないだろう。だがもし人工衛星に、ことだまワールドを見通せる特殊なカメラがついていたならば、磁気嵐吹き荒れる中にあって、小さく点在する「希望」の集結地が認められるかもしれない。それらは東京であり、出雲であり、いくつかのことだまゆかりの地だろう。だが、それらをはるかに凌駕する、大きな「希望のかたまり」が、ここ、ことだま伊勢神宮において燦然と輝きを放っているのが見えるはずだ。


 そのかたまりから、光が、細い絹糸のようになって宇宙へと伸びていく……。ひとつひとつの糸は消え入りそうに細い。だが、その繊維に寄り添うように、ひとつ、ふたつ、みっつと、別の繊維が軌を一にする。まだ拙くも、光の束の先端は、漆黒の宇宙空間の上下を分かつようにするすると進んだ。


 希望が、飛んで行く。


 光を放ちながら。


 人々の願いを背負って。


 万三郎はそれから、かなりの【hope】を送り出した。もちろん、ユキも杏児もそれぞれの持ち場で懸命に働いた。そうした中、恵美が言った刻限、午前零時がいよいよ近づいている。

現場はかなり混乱していた。時間が迫っているのに、送り出されずに待機している【hope】の数が多すぎるからだ。だがその状況は、なるべくしてなっていることだった。


 三台のカタパルトをフル稼働させても、一時間に送り出せる【hope】の数は、せいぜい千。それに対して、ことだま伊勢神宮に集まって来ているワーズの数は、おそらく数百万。しかもその数は今、ぞくぞくと増えている。だがそんなことは、三人も最初から分かっていた。


 正直なところ、【hope】一体が保持していることだまエネルギーの量など、ごくわずかだ。そんな彼らは、磁気嵐に抗って各地から伊勢まで出て来るだけでも結構なエネルギーを消費している。その上で、超長距離、それこそ大気圏外の遥か彼方、アポフィスまで飛翔してたどり着く頃には、そのエネルギーをほとんど使い果たしていると思われる。もしかすると、アポフィスにエネルギーを投下する前に、相当数が力尽きてしまっているかも知れなかった。


 そして、そうした無駄死にを防ぐことができるかも知れないのが、ことだまの聖地、伊勢神宮だ。ここは、彼らにとって文字通りのスーパー・パワースポットで、磁気嵐に抗って各地からここまでたどり着くのに要したエネルギーを補って、さらに、アポフィスまでの飛行に耐えるエネルギーを「充電」できる場所なのだった。少しでも長い時間、ここにいることによって、彼らはフル充電されると万三郎たち三人は考えたのだ。


 また、アポフィスは毎秒十五キロメートルの早さで地球に近づいて来ている。できるだけ地球の近くまで引き付けた方が、【hope】たちの飛行距離が短くて済む。飛んでいく【hope】の数から期待できるパワーとの兼ね合いで、午前零時ギリギリに、残る全【hope】を飛ばした方が、アポフィスにぶつけるエネルギーの総量が最大になるという算段で三人は行動していた。


 三人はもともと、カタパルトの存在を期待しておらず、打ち上げ設備がない以上、ワーズたちの自力飛翔に頼るしかないと思っていた。ところが、祖父谷が思いがけず手配してくれていたカタパルトのおかげで、自分たち自身のエネルギー消耗が相当緩和されているのだ。それで、自分たちが予想していたよりかなり長い間、【hope】たちを送り出してやることができている。


 実際のところ三人は、カタパルトで【hope】を飛ばしてみて、その効果に感動していた。それで、可能な限りカタパルトで高エネルギーの【hope】を送り出し、時間が迫ってきたら、やむを得ず残りの【hope】たちに自力飛翔してアポフィスに向かってもらおうと打ち合わせていた。


 そして、そろそろその時間だ。


 これまでカタパルトで飛ばし続けてきた【hope】たちが、高エネルギーでアポフィスに突入して、わずかばかりでも軌道を逸らし得ていると信じたいが、実際のところどうなのか、よく分からない。自力飛翔なら、グレート・ボンズが形成されるほどの数の【hope】が全世界で集まるのでなければ、アポフィスの軌道を変えるなど依然として難しいように思われた。


 それでもそれぞれのカタパルトから、五秒に一体の【hope】をただひたすらに送り出し続ける三人。


 集中していたユキがふと隣の万三郎を見て目を見張る。


「万三郎ッ!」


 ユキが再び手を止めて、万三郎のところへ駆け寄る。自分に触れてくるユキの手が、やけにふわふわしていると万三郎は最初思ったが、すぐに気づいた。


 ――ふわふわした触感になっているのは自分の方なんだ。もう俺は、気力だけでもっているんだ。


 まるで、ろうそくの残りがわずかとなって、炎の熱で液体になっている蝋の中に、灯芯が今にもパタリと倒れこんで、フッと終焉の煙を立ち昇らせそうな、そんな状態になっているのだと自覚する。


「杏ちゃん! 万三郎が半透明になってる!」


 杏児は今カタパルトに乗せた【hope】を飛ばすためにハンドルを引きながら叫んだ。


「よし、僕もそろそろ限界だし、タイムリミットが来そうだ。残る【hope】たちには自力で飛んでもらおう」


「万三郎はッ?」


「ユキ、こっちは僕とちづるに任せてくれ。ユキは、覚醒して万三郎の介抱を頼む!」


「分かった!」

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