第二十一章 祈り(4)


 新渡戸はさらに一歩詰め寄った。


「今、アポフィスの軌道をそらせるために働いている、そこの三浦くんや中浜くんは、高速学習にたまたま耐性があったから良かった。だが半年前に副作用の出た福沢くんの苦しみを、古都田さん、あなたは知っているはずだ。福沢くんの最初の同僚たちは、精神がおかしくなって以降、いつの間にか行方不明になった。『次は自分かもしれない……』と思う福沢くんの恐怖はどれほどのものだっただろうか……。その彼女に、あなたは同僚の監視役、スパイになれと命令した。彼女はそれを断ることができただろうか。できるはずがない。断れば消されるからだ。彼女は、心の傷を負ったまま命令を遂行し続け、最後に、その傷を負った現場、ニューヨークに強制的に派遣された。そこでおそらく福沢くんは、歯を食いしばってトラウマに耐え、ミッションをやり遂げた。だが直後に、三浦くんと中浜くんに正体がばれた。古都田さん、あなたは、川に身を投げた福沢くんの気持ちを理解しているはずだ。さらに!」


 古都田が何か言おうとしたが、それを遮るように新渡戸は続けた。


「さらに、決して自ら望んでなどいない高速学習の実験にかけられて、予定通り、敗者の烙印を押されたチーム・スピアリアーズの三人は、覚醒することも許されず、劣等感にさいなまれながら、処分される時をただ待っていた」


 古都田がハッとして言った。


「新渡戸くん、君だったのか! 君が彼らを……」


 新渡戸は頷く代わりに恵美をちらりと見て、そのまま言葉を継いだ。


「古都田さん、あなたは渡米直前の石川さんから命令を受けていますね、『スピアリアーズの三人のカプセルは、俺が帰国するまでに処分しておけ』と」


 杏児が驚愕の声を上げた。


「なんだって!」


 驚愕している杏児の後ろで古都田が答える。


「ああその通りだ。だが私にはできなかったし、恵美に命令することも……」


 新渡戸はゆっくりと古都田に目を据え直す。


「そうです。私が知っているあなたは、優しい人だ。頬の銃創の治療を終えてラボに帰ってきたあなたは、スピアリアーズのカプセルが空になっているのにすぐに気付いた。だがそれは、恵美ちゃんが、そんなあなたの心情を慮って、あなたに先回りして秘密処理班を手配したのだと思ったのでしょう? 以前、あなたの作業に立ち会って、彼女は手順を知っているから」


「……」


「でも、恵美ちゃんだって、そんなことはしたくない。だから何者かが――恵美ちゃんはそれが私だと分かっていたと思うが――生かして彼らを覚醒させ、逃がしたのだと悟った時、ホッとしたはずだ。彼女自身もきっと、私と同じことをするつもりだったからだ。そうだね、恵美ちゃん」


 それまで古都田同様、驚きを隠せなかった恵美だが、そうだと答える代わりに逆に問い返した。


「急に覚醒させて、暴れたのでは」


 新渡戸はわずかに笑って吐き捨てた。


「手足を固定したまま覚醒させた。落ち着くまで一時間程度、祖父谷くんは絶叫していた。また女性たちは狂暴になるようなことはなかった。どうだ、貴重なデータになるかね?」


 恵美は目を伏せて脇を向いた。


「古都田さん、恵美ちゃんはあなたと一緒に病院に付き添っていただけです。処理班を要請してはいない。あなた方の留守中に私は一人ラボに戻って、彼らを覚醒させた。そして彼らにKCJの真実を伝えた」


 古都田が訊き返す。


「KCJの真実……」


 新渡戸は古都田をまっすぐ見返す。


「ことだまワールドのこと、高速学習のこと、彼らの精神障害はその副作用であること、アポフィスのこと、みどり組のニューヨーク行きのこと、そして……」


 新渡戸の声に怒気がこもる。


「スピアリアーズは、最初からみどり組の『噛ませ犬』、アンダードッグに過ぎなかったこと。みどり組が覚醒してミッションに動き始めた今、スピアリアーズはその役割を終えたこと。そして秘密保持のため、レシプロした状態のまま処分される運命だったこと」


 新渡戸と古都田の間に立つ杏児は、目を見張ったまま、かすかに頭を左右に震わせていた。


「古都田さん、祖父谷くんは、自分の役割を知っていたそうです。ある夜、自分だけ雉島さんから教えらえたらしい。彼は仲間にそのことを伏せたまま、あえて運命に抗おうと修了テストに挑んで、そして運命通り敗退した。死は覚悟していたそうです」


 古都田は一度逸らした視線を新渡戸に据え直した。


「覚悟していたのなら、やはりあのまま安楽死させてやった方が良かったのではないのか。事実を伝えた上で生かしておく方が残酷ではないのか」


「あんた、何様なんだ!」

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