第十八章 告白(5)


 しばらく風音だけの時間が流れる。


「万三郎、知ってる? この庭、『ローズ・ガーデン』っていうの。ここに鐘があるでしょ?」


「うん、ここって国連の敷地だろ? なんで日本風の鐘突き堂があるの?」


「この鐘とお堂はね、日本が国連に寄贈したものなの」


「へえ、そうなんだ」


「平和の鐘といってね、毎年九月二十一日、『世界平和デー』に鳴らされるの。前回私がここに来た頃は、ニューヨークはまだパニックになっていなかった。今回より余裕のある日程で、一週間前にニューヨーク入りできたの。まあ、引率者の石川審議官が、アメリカ駐在の日本政府関係者との間で打ち合わせることがたくさんあったみたいで、それでこっちに早く来ることになったんだけどね。私はね、講演の一週間前からここ、国連ビルに来て、スピーチ原稿の推敲や練習を繰り返してた。ある朝、少し遠くからだったけど、この鐘が鳴らされるのを聴いたわ。その日が世界平和デーだったの。ここでセレモニーがあったのね。アナウンスがあって、館内にいる皆も一分間黙とうしたの。一瞬、ビルの中も喧騒が止んで、静寂の中、日本の鐘の音色を聴いた。何だか不思議な気持ちだった。それで、私はここが好きになったのよ」


 万三郎が怪訝な顔で何か言おうとしたとき、またひときわ強い雨粒混じりの突風が吹いた。万三郎のネクタイがユキの方へ勢いよくはためいた。万三郎は、質問よりも提案を優先させることにした。


「それは良い話だけど、いくら好きでも、ここは屋根しかないから、吹きさらしの雨がもろに身体に当たってる。ほら、ユキ、もう服も髪も濡れ始めてるじゃないか。建物の中に戻ろう」


「万三郎、私の風上に座ってくれて、私の雨避けになってくれて、自分が代わりに濡れて……。優しいんだよね、基本的に……」


 万三郎は小さくため息をついた。


「なんだ、分かってんならなおさらだよ、戻ろう」


「あえてしばらく濡れさせてやろうって思ったの」


「え?」


「万三郎って、カッコ良すぎなんだよなー。さっきの演説とかさ」


「そりゃあ、ことだまワールドで助けてくれていたユキとか杏児のおかげだろ?」


「私はね、半年前に恥、さらしただけだった」


「半年前? なあユキ、さっきも『前回ここに来た』とか言ってたけど、何言ってんの?」


 万三郎と違って、ユキは大きくため息をついた。束ねた髪の乱れを両手で直そうとしてうまくいかず、「ああーもう」と言って、髪ゴムを外し、首を振って荒く手櫛で髪を整えた。


「こんなこと、あなたに言いたくなかった」


 誰に言うでもなく、つぶやいて、ユキは意を決したように告白を始めた。


「あのね、万三郎。私ね……このミッション、二回目なんだ」


「はあ?」


「半年前にもここ、国連総会議場に来たの」


「何だって?」


「今日万三郎が立ったあの演壇、あそこに私が立って、演説しようとしてたの」


 あまりの唐突さに、万三郎はユキの方を見て口をあんぐりあけたまま、二の句が継げなかった。


「さっきの万三郎の演説と同じことを訴えようとしたの」


「ユキ、ちょ、ちょっと待って。混乱してる。いったい何の話? 何言ってんの? 俺、何か大事な話の時、寝てた?」


「ううん。私があなたを驚かせるようなこと言ってる。混乱して当然」


 万三郎はユキから目を逸らし、宙をあおいだ。頭を整理しないと到底理解できない話だ。

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