第十五章 紐育(8)


 一時間経った。杏児がケータイを手に持って部屋に入った時、ユキは椅子に腰かけたままクタッと垂れていた頭をちょうど上げて、一瞬顔をしかめ、それから目を開けた。周りを見回して、ここが瞑想室であることを思い出したようだ。


「ああ、今ちょうど呼び戻そうと思ってたところだ」


「杏ちゃん、石川さんはまだ戻らないの?」


 ユキは自力レシプロによる疲労感を顔ににじませながら杏児に訊く。


「ああ、さっき電話してみたら、日本政府代表部の人たちとの打ち合わせが長引いてるらしい」


「万三郎は?」


「電話には出た。まだ部屋にいる。もうちょっと一人でいたいって」


 杏児はケータイを畳んで上着の内ポケットにしまいながらユキに訊く。


「で、ワーズたちは?」


 ユキは眉根を寄せて杏児を見上げた。


「大変なことになってる。石川さんに報告しなきゃ」


「なんだよ、大変なことって」


「また騒乱が起こりそうなの」


 杏児は目を見開いた。


「ひょっとして、来たのか? キジシマ派が? ここまで?」


 ユキはその杏児の目を見たまま、こくりと頷く。


「ユキは、見たのか?」


「ううん、見てない。【rumor】(うわさ)から聞いたの。で、ただでさえ皆、疲れてるところへ、【bad!】たちがこっちまで追って来てるって知って、戦々恐々としてる」


「皆、疲れてるって、どうして?」


 ユキは椅子の傍らに置いていたバッグから自分のスマホを取り出し、石川を呼び出しながら、杏児に答える。


「地球の反対側まで移動してくるのには、ただでさえ、かなりのエネルギーが要るの。ましてや今、地球の磁気がすごく狂っているせいで、ワーズたちの疲れも大きくなってる。その上、あいつらが追ってきてるって知ったもんだから、タッチ・ハート作戦どころじゃないのよ。ああ! 石川さんなんで出ないの!」


 杏児は眉をひそめて低い声でユキに言った。


「やけに詳しいな、ユキ」


 受話器を置くボタンを二度三度、せわしく押して、ユキがちらりと杏児を見上げる。そして伏し目がちに左右に視線を揺らせながら言った。


「……ワーズたちから聞いたのよ」


 杏児はユキを睨むように見下ろしている。ユキはふて腐れたようにあらぬ方向を見ていたが、ハッと顔を上げて杏児に訴えた。


「それより、【hope】がいないの」

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