第十四章 覚醒(19)

十九


「ユキ、君はどういうなりゆきで自分がETになったか、知ってるの?」


 ユキは万三郎から目を逸らし、虚空を眺めながら答える。


「知らない」


「ふうん……。じゃあ、もう一つ訊くけど、ことだまワールドで過ごしている間、自分がいつから、どうしてここにいるのだろうって考えたこと、一度もない?」


 ユキは再び押し黙って、それから、くぐもったような声でやっと答えた。


「それは……ないことは……」


「そう、ユキだって、ないことはないだろう? そうした疑問が出るのは、ある時点よりも過去については、記憶が断絶しているからだ。自分の人生が、最近突然始まっていて、それ以前の記憶はない。記憶が断絶しているって、不自然だと思わなかった?」


「でも、例えば、『物心ついた頃』以前のこととかは、幼すぎて誰でも記憶がないのが自然じゃない?」


「いや、それとは違うね。だって、こっちの世界で言えば、わずか一か月前、あっちの世界で言っても一年前のことだよ? それ以前の記憶がないっていうのは、二十歳を過ぎている俺たちの歳からいえば不自然だろ?」


「……」


「一年いたという実感が薄れてはきているけど、あっちにいる時、特に研修初めの頃、俺は何回も『断絶」以前を思い出そうとした……ような気がする。そして、もちろん何も思い出せなかったんだけど、不思議なことには、だんだんと、『思い出そうという意思を持つこと』自体をさせないような何かが、自分自身の中に芽生えてきたことだ」


 万三郎の話を聴いているユキの瞳が、薄暗い機内の隣のシート、三十センチメートルほど離れたところで、猫のそれのように大きく光っている。


「矛盾するようだけど、思い出したいのに、思い出す行為が不快に思えて、断念してしまう……というか、断念させられる……というか」


 万三郎は再び身体を起こし、水を飲んで、話を続ける。


「黒板に爪を立てる音とか、百円玉を咥えたら感じそうな歯触りとか、昼間の太陽を直視することとか。断絶した記憶がありそうな方向を向くと、そういう嫌な感覚が一斉に自分に襲い掛かってくるような、そんな感じだった……ような気がする。そうして、いつしかその記憶を求めなくなってしまった……ような気がする」


 顔をこちらに向けて聴いていたユキが、正面に向き直って毛布を掛け直した。


「ね、万三郎。もう寝た方がいいんじゃない?」


「覚醒して俺、思い出したんだ」


「ええっ!」

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