第十一章 裏表(10)
十
げっそりした表情でトイレから出てきた祖父谷は、いまだ酔いが収まらずよろめいて、体を支えようと思わず踏ん張った結果、そこにいた男の足の甲を力任せに踏みつけてしまった。
「痛ーッ!」
「あ、すみません……」
慌てて足をずらせることでもう一度ふらついてしまった祖父谷がようやく顔を上げると、男は相当の長身で、当然ながら祖父谷を睨みつけていた。祖父谷は目を見張って身をすくませる。知った顔のモヒカン男だったからだ。頬にはっきり【brutal】とある。
「あ……!」
あの時の記憶が戻って来た祖父谷を見下ろしながら【brutal】は大きく息を吸った。すると隣の男が小さく「おう?」と疑問の声を上げる。その声の主に目を向けて、祖父谷はさらに驚愕した。声の主はスキンヘッドで、頬に【nefarious】と彫ってある。祖父谷の身体を恐怖の電撃が駆け抜けて、酔いが一気に吹き飛んだ。
「おいこらァ、誰の足、踏んどるんじゃあ!」
息巻くモヒカン【brutal】をまあ待てと腕で制して、スキンヘッドは目を細めて顔を近づける。祖父谷は大きく目を見張る。
「おい、どっかで見た顔だな」
「お……お久しぶりで」
「あん?」
【nefarious】は細めていた目を丸くした。襟元の金鴨の社章に気が付いたからだ。
「おっ、おっ、おーっ!」
立ちすくむ祖父谷を前に、【nefarious】が記憶の糸をつなげていく。
「じゃあ、また……」
立ちすくんでいる場合ではないと、祖父谷は手にしているワインボトルを乾杯のように軽く掲げて、二人の長身の男たちの間を縫ってホールに戻ろうと歩き始めた。
「いやいやいやいや……」
そう言って【nefarious】は祖父谷の襟首をつかむ。祖父谷は歩みを止められてよろめく。
自由のきかない祖父谷の至近で【brutal】が凄んだ。
「おい、こら小僧。人の足踏んどいて、『じゃあ、また』では済まねえよ」
「いや、だから最初にすみませんと……」
「じゃかあっしゃあ(やかましい)!」
つばが飛んで祖父谷の顔に当たる。これで足踏んだのとおあいこじゃないかと思いながら祖父谷はボトルを持った方の腕で顔を拭った。
「まあ、【brutal】ちょっと待て。こいつあ一応、上司だ。おい、あんた。名前、何てったっけかな」
「祖父谷です」
「下の名前は?」
「
「よし、ET祖父谷、あんたなんでここへ来た」
そう訊かれて祖父谷は押し黙った。もちろん、雉島に会いたいという同僚に付き合って来たなどとは言うべきではない。危険がユキに及ぶ。そもそもシートレが不時着したあの時に同乗していたETが、今夜もこの店に来ているとは知られない方が良いだろう。古都田社長に命じられて偵察に来ているのではないかとこいつらは警戒しているのだから。しかし、ユキは雉島から何かを聞き出したいと言っていた。もしこいつら経由で雉島と会えるのなら、ユキではなく自分が会うことで、あるいは何か近いことを聞き出せるのではないかという思いが胸をよぎる。
――よしッ。
祖父谷は手にしていたワインボトルを顔の高さにゆっくり持ち上げた。
「近くまで来たものだから、雉島さんにこれを手土産に」
その時だった、祖父谷の後ろから手が伸びてきて、ワインボトルは奪われた。祖父谷は驚いて後ろを振り向く。店内だというのに、なぜサングラスをしているのか、レンズ表面にミラーボールの光を反射させた男が、手にしたボトルをその光にかざすような仕草をしている。
「ほう、これを手土産に……か」
「バ……バッ……」
「ベヤァーッド、ハッ! だ。命が惜しけりゃ、間違えるな」
【bad!】はそう言いながら、わずかに顔を動かした。ボトルから祖父谷に視線を移したのだろう。
【nefarious】が訊く。
「ああ、【bad!】さん、今報告しようと思ってたんですよ。どこいってたんすか」
【bad!】は親指を立てて肩越しに後ろを指さした。
「『おトイレ』だよ。
祖父谷は身震いした。【bad!】は気付いていないようだが、まさか自分の隣の個室で【bad!】が便器にしゃがんで大便をしていたとは! 【bad!】が尻を拭くのが遅かったおかげで祖父谷は命拾いしていた。
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