第五章 仲間(6)
六
すぐに、もう一人の女が視界に入った。この女も僕たちと同じくらいの年齢に見える。だが先行のギャル女とはすべての点で違っていた。
彼女は、文句なしの美人だった。
女性の着こなしには詳しくないが、ごく淡いピンクのスーツは清楚な印象だったし、ラインも美しかった。ジャケットの下のアイボリーのブラウスは、首元にシルク地の大きめのリボンがあしらわれて、いかにも上品だ。上着と同色のスカートはタイトなものではなくて、ソフトなドレープが控えめながら華やかさを醸し出している。全体をもって、柔らかな春風をイメージする。
ただ、おおよそ職場に適した服装なのかと問われれば、明らかに問題が、大きく三つ……いや、この人に限っては問題などないのだ、きっと。それくらい品の良い女性らしさ、優雅さを、この女は兼ね備えている。
同じ女性として、ユキはどう思うのだろう。
店の奥に向けて、流れるような所作で歩き始めた彼女は、カウンターの僕ら二人と目が合うと、初対面なのに柔らかく微笑んで、通り過ぎざまに二人に向けて顏をわずかに
何の香水か、かすかに春のような香りを残して彼女は四人掛けのテーブルの前に至った。
ユキはテーブルの方を向いたまま、僕の肩を思わず小突いてくる。
「ちょっと杏ちゃん、あの人たち……」
「ああ。いい匂いがしたね」
かぐわしい香りが頭痛を幾分和らげたと思うのは気のせいか、ともかく僕は声のトーンをわずかに上げてそう答えた。
「いや、それより……」
ユキは依然視線を変えずに訴える。
「ユキ、あいつ、君にウインクして行ったね」
ユキはほんの少しうろたえた様子で、ついに視線を僕に移した。
「そんなことよりも、気付かなかったの?」
「何が」
僕は、再び視線を戻すユキに倣って奥のテーブルに目を向けた。ちょうど、自信家の男の向かいにギャルが着席したところだった。
ユキに囁く。
「僕の夢の産物なのか、それとも現実に起こっていることなのか、しばらく彼らを観察して判断しよう」
ユキもチェアを僕の方、つまり店の奥の方向へ回転させて、体を少し前に乗り出すようにして三人の男女を見つめたまま、訊いてくる。
「さっきマサヨさんが言ったこと、聞いてなかったの?」
「へ?」
その時、マサヨに見守られながら席につく三人のすぐそば、店の一番奥のトイレから万三郎が出て来たので、ユキも僕も口をつぐんだ。
「おっと!」
出て来たとたん、目の前に知らない女が横向きに立っていたので、万三郎は非常に驚いたようだ。この店にユキとマサヨさん以外の女性がいるのにも、その人がかなりの美人であることも、彼の目を見開かせる理由だったのだろう。
「あ、お待たせしました。どうぞ」
トイレ前の狭いスペースをすれ違おうと、万三郎は慌てて身体を横に向ける。
「は?」
小首を傾げる美女の肩越しに、先程のがっしりした体格の男と、その向かいにギャル女が座っているのに万三郎は気付いた。自信家の勘違い男は、万三郎を見て驚愕の表情をしている。
対する万三郎は男から目を逸らして、目の前の美女を見つめる。僕には分かる。いま彼の鼻腔を、爽やかで甘い、上品な香りが
「引いて、くださらない?」
女は真っ直ぐ万三郎を見つめて静かに言う。
「はい?」
万三郎は目をしばたたいた。トイレから出てきて、がらりと変わっていた周りの状況の全容をつかみかねたまま、至近距離で美しい女性から話しかけられて、当惑しているのか。
「椅子を、引いてくださらないこと?」
「は……い……」
万三郎の視線のすぐ下に、テーブルから引き出されていない椅子があった。座りたいからこれを引け、と彼女は言っているのだとようやく理解したようで、万三郎は「はい」と言って、自信家勘違い男の隣の椅子の背もたれを引いて、女が座れるようにしてやった。
彼女はかすかに頷き、いつくしむような視線を万三郎に残すと、引かれた椅子とテーブルの間に身体を入れて立った。彼女が腰を下ろすタイミングで、ホテルのレストランでウエイターがやるように、万三郎は椅子を前に押し出してやった。僕の目には、女の所作が反射的に万三郎の行動を誘い出したように見えた。これは、見かけだけではなく、彼女が本物の上品さを身に着けていることの証拠に思える。
「ありがとう」
彼女は背筋をのばしたまま、ゆったりと腰を落ち着かせた。
「いえ」
万三郎はドギマギしつつ、引きつった笑顔を彼女に返す。
その時、目の前の自信家男が鋭い声で万三郎に呼びかけた。
「おい、お前!」
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