第二章 杏児(9)
九
僕は一瞬にして頭が真っ白になった。シートレの編成をするために、ただちにワーズを招集しなくてはならない。
「べ……ベン、と。それから……ええっ、『カッカ』って何だあ? 『アングリー』、『マッド』? えい、『マッド』でいってみよう。『ユー、アー、ア、マッド、パーソン、ナウ』……お、いいじゃん、英語らしい感じがする。これで行こう」
そうやってぶつぶつ独り言を言いながら、僕は急いでタブレット上でワードの召集ボタンを押していった。
「痛みは、ええっと、何だっけか……思い出した、『ペイン』だ。じゃあ、『ペイン』召集……と。それから首……『ネック』。『イン・ザ・ネック』……いいね、語感がばっちりだ」
その時、タブレットから今、召集コールをかけたばかりの 【Ben】が、早くもホームの根元に急停止したカートから駆け下りてきた。カートは、ゴルフ場のコースで見かける、ゴルファーやキャディーが乗る電気自動車のような仕様だったが、猛スピードでやってきて、ホームの根元でキキーッと急停止した。漫画のように、慣性の法則でカートの上半分が前に傾いたような感すらあった。
【Ben】はホームの中ほどまで駆け寄ってきた。右頬に鮮やかに【Ben】と示してある。左頬には、【固有名詞】と漢字で書いてあった。
――わかり易くていいけど、ボディーペイントにしてはえらく本格的で、タトゥーみたいだな……。
【Ben】は僕を認めると怪しんで訊いてきた。
「あんた、誰だ。さっきまで一緒に仕事してた斗南さんはどこへ行った?」
「斗南さんの代理で今回の編成を担当します、三浦杏児です」
「三浦……」
【Ben】はいぶかしげにじろじろと僕を見る。そして襟章を見つけ、驚いた。
「あ、い、ET……!」
【Ben】は、小さな声でつぶやく。
「な、生(なま)ETなんて、初めて見た。本社の奥深くにいるんじゃないのか。なんでこんなとこで編成なんか、やってんだ」
その時、いつの間にかもう鳴り止んでいた拡声器から再びアラーム音が鳴り始めた。
「フアン、フアン、フアン……」
僕のタブレットの画面いっぱいに、“Hurry up! ”(急げ!)の赤い文字が明滅した。
――何だ、何だ?
その時、【Ben】が僕に向かって言った。
「あの……、俺みたいな、働きの多くないワーズが、こともあろうにETなんかに偉そうにモノ言えないし、だいたい、ETの指示にワーズが異議を唱えてはいけないと社員規則で定められているからあれだけど、あの……三浦さん、急いだ方がいいっすよ」
「ええっと、【Ben】さん、時間制限なんてあるんですか」
僕が訊くと、【Ben】は眉と声を潜めて答えた。
「【Ben】でいいっす。大物ワーズならともかく、普通のワーズ社員を、ETが「さん」づけで呼ぶなんて聞いたことないっすよ。それはともかく、三浦さん、もっと早く編成して、次のオーダーに備えないと、百番線台のセッションは、とてもさばききれないっすよ。さっき俺が乗ってきたカートの運転手も、『一人だけしか運ばないって、なんて非効率的なんだ』とぼやいてました。だいたい、時間の進み方はあっちの数十からせいぜい百倍程度ですから、急がないとクレームが来ますよ」
僕はハッとして【Ben】に訊いた。
「これって、ひょっとして、シミュレーションではなくって、リアルに起こってるの?」
「はあ?」
【Ben】は、この男、何を言ってんだという顔をした。
「ガチ、戦場ですけど」
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