第5話頬にキッス
7-5
楽しい食事が陽子の追求を、どの様に上手に話そうかと思案していると「叔父さん話し憎い事も有るわね、急に現れていきなりは話し憎いわよね」と正造の気持ちを汲み取った陽子が言ったのだ。
「はい」
「通学の途中時々寄るから、話せる時が来たら話してね、お願いします」と正造の手をテーブルの上で上から手の甲を握った。
正造は驚いた!弘子とは手も握った事も無かったのに、娘とはドライブ、食事、会話、手も握られた僅かな時間で、二年間も何も出来なかったのに、複雑な気分だった。
陽子はこれ以上、正造を困らせるともう会って貰えない。
母の事を聞けないと思って、弘子の話をしなかった。
自分の子供の頃の話しを中心に語り出した。
正造には新鮮な話しだった。
桜井の家の中の話、親戚の話、自分の子供の頃の事、幼稚園の時には、もう両親は居なかったと記憶の始めを語った。
同級生は参観日とか運動会には両親が来ているのに、いつも祖父母か親戚の祖父母が来ていた事を寂しく話した。
流石にその話には目頭が熱く成った。
地元の中学、高校を卒業してこの春から約二時間を要して大学に通学している話しをするのだった。
「その親戚の祖父母は近所?」
「山ひとつ越えた村よ」
「名前は?」
「叔父さん何か知っているの?」
「いいえ、少し気に成ったから」
「笹倉って家よ、もうお爺さんは亡くなって、お婆さんだけよ、息子さんとか兄弟、子供は沢山居るわよ」
「賑やかなのだね」
「子供の頃に何度か行ったわ、何か?」
「いや、お母さんの友人に笹倉って人居たからね」
「男の人?」
「女性だったよ、同級生の人」
「じゃあ、笹倉の叔父さんの家の人では無いわね、その年代の人居ないからね」
ぺろりとご飯を食べて、コーヒーがテーブルに運ばれて来て飲みながら「私ね、両親は亡くなっていると思うの」とポツリと寂しげに言った。
「何故?そう思うの?祖父母は外国だと言ったのでしょう?」
「もう二十年近いのに、一度も手紙も来ないし、電話もないからね」
「でも自宅には墓も位牌も無いのでしょう」
「無いわ、でも娘を捨てて逃げる事も変でしょう?もし自分が大人に成って自分がその立場に成っても
絶対にあり得ないと思うから」
「成る程、陽子さんは自分の子供は捨てないと云う事だね」
「勿論です」
「好きな彼氏居るの?」
「私、同世代の人には興味が無いの、叔父さんみたいに、すごーく離れている男性が良いの」
そう言われて戸惑う正造だった。
「でもね、そんな人はみんな奥様がいらっしゃるからね」そう言って笑った。
「叔父さんの子供さんは幾つ?」
そう聞かれてまた戸惑う正造。
「陽子さんは十八歳?」
「今年十九歳に成るわ、年末だけれど!お誕生日がね、クリスマスと殆ど一緒なのよ、だからいつもケーキがひとつ少なくて損した気分なのよ」
ぽかーんと聞いている正造、遠い日の電車の中の会話そのものだったから、唖然としていたのだ。
「お。じ。さ。ん」
そう言われて我に返った正造は恐々「陽子さん、誕生日はいつ?」と尋ねた。
「だから、今の天皇様と同じ日よ」
「二十三日?」
「そうよ、どうかしたの?」
「お母さんの誕生日知っているの?」
「顔も知らないのに、知らないわよ、私の誕生日がどうかしたの?」
「驚かないでね、お母さんと同じ誕生日だよ」
そう言われて「えーー!」と陽子が驚きの声をあげた。
近くのテーブルの客が一斉にこちらを見た。
今度は小声で「嘘でしょう?」と正造の目を見ながら確かめる様に言った。
「本当だよ」
「そんな事って有るのね」
陽子は信じられない顔に成っていた。
暫くして「遅く成るから帰ろうか」正造が席を立つ準備をした。
「また、いつでも会えるわね、もっと教えて貰わないと、送ってから帰ると遅く成るね、叔父さんの奥様に叱られそう、今日は食事までご馳走に成ってすみません」と笑いながら車に乗る陽子。
「妻は居ないから大丈夫だよ」と笑顔で言うと「逃げられたの?」と座席に座って言う陽子は笑っていた。
「一度も結婚してないよ」
「えー、お母さんが忘れられなくて」と冗談の積もりで言ったら「。。。。。。」正造は黙ってしまった。
陽子はしまった!本当の事を言ってしまったと後悔した。
沈んだ顔の正造に「叔父様素敵ね、二十年以上忘れないなんて」
そう言うと身体を寄せて正造の頬にキスをしたのだ。
驚きの表情の正造に「お母様に代わって感謝の気持ちよ」そう言って笑ったのだ。
その後はお互いが気まずく成って無言のドライブが続いた。
駅が近づいて陽子が「また、会ってね、他にも一杯聞きたいの、母の事をね」
「いいよ、いつでも会えるから、連絡してくれたら」と笑顔が戻った正造だった。
車を降りると食事のお礼と、送って貰ったお礼を丁寧に述べて、正造の車が見えなくなるまで、手を振ってくれたのだった。
陽子には母の誕生日が判った事、笹倉と云う同級生が居た事、叔父さんは誤魔化したが、聡子と云う叔母さんが居た事、何も知らなかった母の事が少し判って嬉しい陽子は夜道を元気よく自転車で帰って行った。
自宅に帰ると自分の誕生日の事を思い出していた。
ケーキを祖母は毎回仏壇に一切れ供えていた。
不思議な光景だったのだ!饅頭とかもらい物もよく供えて有るが、殆どが箱のままお供えするのに、ケーキだけ一切れだったのを思い出したのだ。
翌日にはゴミ箱に捨てるから、子供心に覚えていたのだ。
正造は帰りの車の運転をしながら本当に不思議だった。
弘子とは本当に何も無いのに、あの娘は頬にキスまでしてくれた。
誕生日も一緒だとは思わなかった。
でも間近で見ると,本当によく似ているなあ、正造にも弘子の思い出は殆ど無いから似ていると決めているだけかも知れない。
自宅に帰ると母が「正造、何か良い事有ったのかい?嬉しそうだわね」と微笑んで出迎えた。
「判りますか?」
「先日までの顔と違って見えるよ、春が来たのかい」
母の春子が嬉しそうに微笑みながら言った。
実家の二階に上がって、昔の古い机の引き出しを開けて、古ぼけた弘子の写真を眺めて、昔の日記を読み始めて、弘子の友達の名前を手帳に書き留める正造だった。
この驚いた写真でも似ているから、実際はもっとよく似ているのだろうと、写真に見入る正造だった。
翌日同業の人に保険の調査だと話して、陽子が教えてくれた笹倉と云う親戚を調べる事にしたのだ。
次回に会う時に陽子に、何か話せる材料が欲しかったのだ。
正造には弘子の事は殆ど知らないから、話す材料が無くなると失望されてしまう気がしていた。
二十年経過して過去と決別する予定が、弘子の事をもっと知らなければ成らなく成るとは?と思わず苦笑いをするのだった。
保険の調査で同業社同士は結構情報の交換が有ったので、別に不思議ではなかった。
住所と名前が判っていたから簡単だった。
FAXが届いて早速見ると、笹倉智恵子八十歳、このお婆さんが陽子の言っていた人だろう。
笹倉久雄五十七歳、笹倉加代五十三歳、笹倉智也三十一歳、笹倉順平二十六歳が家族構成だった。
長男と嫁そして息子達だな、沢山家族が居たのは久雄の兄弟が多かったのだな、正造はその様に理解した。
若しかして、久雄の弟が陽子の父親?
正造は智恵子の子供を調べてくれる様に頼んだのだった。
次回会う時の話しに使おうと考えていたのだ。
古い写真のネガを持って写真屋さんに行くと「調査資料ですか?随分古い写真ですね」
保険業の強みだった。
どんな事でも調査で話しが終わるから楽だった。
この調子なら弘子の短大の名簿も見せて貰えるかも知れないな。
友達の住所とか調べられると色々聞けるから、陽子が喜ぶだろう?と考える正造だ。
心の中に完全に弘子が蘇っていた。
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