第3話蘇る過去

 7-3

随分待った!

この電車で終わりだと諦め掛けた時、十八時を過ぎた電車で弘子は戻ってきたので漸く会えた。

弘子は寒いのか急ぎ足で、直ぐに駅前の自転車預かりの家に入って,自転車に乗って颯爽と走り去ってしまった。

正造は車の場所迄行くのが遠いので、追いかけられないので大失敗だと思った。

こうなったら恥を覚悟で自転車預かりの家に入って聞こう。

初老の叔母さんが店番をしていた。

「すみません、先程の桜井さんに忘れ物届けに来たのですが?声かける前に自転車で行っちゃったので、自宅は何処でしょう?」

「渡してあげましょうか?」

「重いから、持って行きます」

「少し待ってね」

六十代の女性は何も怪しまずに住所を探し始めたが「誰だった?」と再び尋ねた。

「桜井さんです」

「桜井さん多いからね」

「弘子さんです」

「ああーあの可愛い子か、お父さんと二台預けて、同じだから住所を町名までしか書いてないよ」と言って教えてくれた。

正造は聞き終わると向かったが、その町には桜井が一杯有って全く判らないのだった。

そして街灯も少なく暗いので変に思われるから、今夜は帰宅するのだった。

でも家はこの近くなのだと、今日の成果だと思う正造だ。

。。。。。。。。



現在。。。

正造は過ぎ去った昔を思い出しながら、川面を見ていると時間が過ぎ去るのを忘れていた。

正造は帰らないと母が朝食を作って待っていると急ぎ足で歩いた。

自宅の六十八歳の母春子は帰って来ない息子を心配していた。

家に戻ると外まで出て来て「どうしていたの?心配したよ、具合でも悪いの?」と言った。

「展望台から川を見ていたら、時間が随分経過してしまって、ごめん」と母の肩を軽く叩いた。


今度の日曜日に見に行こう。

正確には二十一年に近かった。

久々の弘子の町へ、そして弘子の自宅付近に行こうと思う。

いきなり家に乗り込む理由も自信も無かった。

唯、一目見てけじめをつけたかった。

二十年前に落とした忘れ物を、自分の姿も大きく変わっているのだろうし、多分弘子の変貌も凄いだろう。

漸く自分を取り戻せると正造は思っていた。

事務所に着いても所長室のカレンダーを焦点の定まらない瞳でぼんやりと見ていた。

朝の思い出を又、思い出していたのだ。

。。。。。。


二十年前。。。

自宅を探す為に翌日も正造は弘子の町に車で向かっていた。

表札に家族の名前を書いている家と書いてない家が有った。

弘子の自宅が書いて有る事を祈って探し回った。

半時間程探したが、この村は殆どが桜井だった。

その中に桜井長一郎、良子の隣に弘子と書いて有る。

見つけたこの家だ!正造は小躍りする気持だった。

これで手紙が書ける。

昭和五十一年がもうすぐそこだった。

来年は必ず手紙を書いてお付き合いを始めると心に決めていた。


冬休みが終わって、またいつもの時間が始まった。

この休みの間にも三度車で自宅付近に行った正造だった。

偶然を装い会えたら良いなと思ったが、自宅から出て来るのは老婆だけだった。

電車の中で、いつもの様な時間の中で、何か切掛けに成る話は無いのだろうか?と聞き耳を立てていると、有名な俳優さんのファンだと知ったのだ。

これはチャンスかも知れない。

正造は翌日から、芸能欄を注意して読む日々が多く成ったのだ。

何か手紙を書く材料が欲しかったのだった。

時間の経過は早く直ぐに三月に成った。

その時、友達との会話の中に四月に近くで弘子の好きな俳優のコンサートが有って、行きたいとの話しが聞き取れた。

チャンスだ!直ぐさま、正造はチケットを二枚買い。

これまでの経緯、自分の事、但し住所は恥ずかしいから記載しなかった。

突然ですが、是非一度お茶でも、チケットは二枚入れて置きます。

もし自分と会うのが嫌ならお友達を誘って、コンサートに行って下さい、私は諦めます。 田宮正造

その手紙とポスターを添えて投函したのだった。

これで何か反応が有るだろう?進展するだろうと喜んで待った。


週が変わっていつもの様に電車に乗る彼女の反応を見たが全く変化がない。

どうして?嫌いでも目位は合わせるか、場所を変えるだろう。

断りもないし、いつもと全く同じだった。

何も変化のない時間が、やがて春休みに突入、正造はショックで言葉も出なかった。


あのチケットとポスターは何処に行ったのだろう?

休みに再び自宅に向かうと、老婆が春の日差しにひなたぼっこをしている。

思い切って近づいて正造は老婆に声をかけた。

「お婆さん、今日は暖かいですね」

「そうじゃな、今日は良い天気だ」

「お孫さんは、今日はお出かけですか?」

「孫?孫一樹は東京に働きに行っているよ」

「いいえ、弘子さんですよ」

「孫は一人じゃよ、弘子は私だよ」

そう言われた正造は目の前が真っ暗に成った。

私はこの老婆にチケットとポスターを送ったのか?

帰り道をどの様に帰ったのか判らない程のショックだった。

これが運命の失敗だった。

人生の岐路に成った。

。。。。。。。



現在。。。。

正造は思わず苦笑した。

事務の本間遙が部屋に入ってきて「所長、どうしました、笑っていましたね」

そう言われて、今度は我に返って苦笑した。

それほど、この失敗の痛手は大きかったのだ。

。。。。。。



あの時、間違えていなければ、交際出来たかも知れなかったからだ。

それから本当の家を探そうと、二、三度自宅付近に行った正造だった。

二年生に成って弘子は朝の電車に乗る機会が減っていた。

多くて週に二日、少ない時は一日に成って、寂しい日々に成っていた。

本当の自宅を探し当てたのはもう夏に成っていた。

夏休みも何度か自宅に行くが、何も切掛けが無いから何も出来なかった。

自宅付近で会う事も無かった。

保険会社の名刺が役に立って自宅を探し当てたのだが、そこからが進まない。

焦っていた!後半年でもう見る事も無くなる。

十一月の夜自宅付近にて車で待機して待つと、寒そうに弘子が自転車で向かって来る。

もう、咄嗟だった!暗闇に閃光が走った。

自転車で帰る弘子を撮影してしまったのだ。

彼女の驚く顔の写真はその時の物だった。

そして、年が明けて、もう彼女は朝早い時間には殆ど乗らない。

就職が決まったのか?花嫁修業なのか?今後の進路も判らないのだった。

一度も言葉を交わす事もなく、見る事が無くなったのだ。

寂しい日々に成った。

そして運命の日がやって来るのだ。

彼女の家の近くには土手が有り、車を駐車して、彼女の家まで田畑を隔てて、直線距離で二、三百メートルは有る。

自宅を眺めるには絶好の場所だったので、怪しまれずに見れる。

その日は川と田畑には朝霧が立ち込めていた。

。。。。。。。


現在。。。。

暦は平成に成って数年が過ぎた日曜日、約二十一年振りに正造はその土手に車を駐車していた。

タイムカプセルに乗った様な気分だった。

二十一年前と殆ど此処からの景色は変わっていなかった。

土手に車を駐車して、弘子の自宅に向かって歩く正造。

以前は土手から眺めるだけだったが、この日は違った。

何の目的もない、唯、家の近くに行きたかった。

表札を確認したかった。

時間を戻す為に、それが目的だった。

桜井弘子の自宅は当時は兼業農家だった。

子供は弘子と聡子の姉妹、田畑が一町程有った様だ。

弘子の家の裏に有る田畑は土手まで広がっていた。

正造は弘子が嫁に行っているなら、この家には居ないから判らない。

もし養子を貰っていたら、今もこの家だ。

子供は何人だろう?この道を歩いて家の前まで行って何がしたいのだ?判らない。

唯、時間を戻したいのだ!あの瞬間から脱出したいのだ。

自宅の前まで足を運んで表札を見ると、桜井直樹、俊子、陽子と三人の名前が有った。

確か妹は聡子だった。

この陽子って誰?直樹はお父さん、俊子はお母さん。

そう考えていた時、玄関に人の気配がするので、慌てて物陰に隠れる様に玄関先を避けた。

中から若い女性が扉を開けて出て来た。

そっと、見上げた正造が思わず「弘子」と口走っていた。

それは時間が止まった様な光景だった。

正しく弘子だった!二十一年前、電車の中に見かけた弘子そのものだった。

夢を見ているのか?正造は我が目を何度も何度も擦った。

その娘は自転車を、玄関の横から出して乗った。

正造を見かけて、微笑んで会釈をしたのだ。

弘子は一度も微笑んでくれた事なぞ無かったから、その笑顔と会釈は彼女が立ち去っても正造の眼に残った。

正造は慌てて車に走って行った。

こんなに早く走れるのか?と思う程土手まで走った。

少女の後を追う為に、唯、駅に向かって走った。

何となく駅に行ったと思ったのだ。

二十年前の様に、思い出を捨てに来たのに、不思議な光景を夢なのか?

何度も自宅に来たのに一度も弘子には会わなかったのに、今日は弘子に会ったと思うのだった。

時間の経過を忘れていた正造、夢の再現?。


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