第93話 淫魔の角



麗美れみさん、動きがありました』



「予定通りですね。腕が鳴りますよ!」



『くれぐれも油断はしないようにお願いします。麗美さんが怪我でもしたら、師匠が悲しみます」



 イヤホン越しに聞こえる静子さんの声からは、心配そうな感情が滲み出ていた。

 師匠がと言いつつも、なんだかんだしっかりと私のことを心配してくれているのである。

 ちょっと変わった所もありますが、心優しい良い子ですね…



「ご安心を。マスターの弟子として、恥ずべき姿は見せられませんからね」



 ここまで念入りに準備した上でヘマをするなど、まずありえません。

 もしするようであれば、マスターの弟子として失格と言えるでしょう。



『…私も全力でバックアップします。ご武運を』



 その言葉とともに通信が切れる。

 同時に、バイザーの隅にレーダーのようなものが表示される。



(これはこれは…、素晴らしい技術ですね…)



 レーダーには赤い点のようなものが表示されている。

 まるでゲームのような表示だが、これは本当に敵の位置を報せるものであった。



(恐らくはカメラなど情報から位置を割り出して、リアルタイムで送信しているのでしょうが…)



 理屈はわかるが、それを再現できるかと言われると、私には不可能だと言わざるを得ない。

 しかも、ご丁寧に私の視線に合わせて必要情報を音声で連絡してくれるのだ。

 これだけの情報があれば、それこそゲームのように敵を処理することが出来るだろう。



(電子魔術…、前世には存在しなかった魔術。それを確立したマスターはやはり素晴らしいですが、それを使いこなす静子さんも同様に素晴らしい)



 尊敬する気持ちと対抗心、そして嫉妬が混ざり合ったような複雑な感情が胸の内で渦巻く。

 しかし、それに不快さは無く、むしろ心地良いとさえ思えた。



(…ああ、本当に、生まれ変われて良かった)





 ◇





「どうだ? ハッタリでない事は理解出来ただろう?」



 スマホから漏れ聞こえる男達の悲鳴が、その向こう側で何が起きているかを鮮明に知らせてくれる。

 店の周辺に控えていた人数から考えれば、全滅するのも時間の問題だろう。



「そうみたいだな」



 立川は余裕の表情を崩さない。

 襲撃の成否など、この男にとってはどうでも良かったのかもしれない。



「…言っておくが、悟さんの方についても護衛はつけているぞ?」



「ま、そうだろうな」



 余裕の裏付けを探る為に、こちらから情報を与えてみたが、これも違うようだ。

 立川自身に戦闘力があるようにも見えないが、一体どんな奥の手を隠しているのか…



「クック…。俺が余裕そうにしてるのが気になるのか?」



「…気にならないと言えば嘘になるな」



「正直だねぇ。そういう態度は嫌いじゃないぜ」



 立川はそう言ってからスマホをポケットに突っ込み、代わりにタバコを取り出して火を付ける。



「ふぅ~。どうだ、お前も一本吸うか?」



「俺は未成年だ」



「そりゃ見ればわかるぜ。だが、それでも吸うヤツなんていくらでもいるだろ?」



「…いくらでもと言う程多くはないだろう」



 数年前と比べれば、未成年の喫煙者はかなり減っている。

 取り締まりが厳しくなったこともあるが、喫煙ユーザ自体が減少傾向にあることも主な要因となっているだろう。



「まあ、昔に比べりゃ生き難い世の中になったからなぁ…。そんな事もあるか」



「どうでも良いことだ。お前は何が言いたいんだ?」



 何か意味があるのかと思い付き合ってみたが、どうにも話の意図が見えなかった。

 こういった遠回しの会話は正直好ましくない。



「…タバコの美味さがわからねぇお前に言ってもわかりゃしねぇだろうけどよ、コイツは一度ハマっちまえば中々抜け出せなくてな。体に悪いだのなんだの言われてるが、そんな事は知ったこっちゃねぇって思っちまうワケだよ。ガキの頃から吸ってりゃ、完全に依存症になっちまう」



 そこで一度言葉を切り、立川はタバコを美味そうに吸う。



「依存症って言葉は俺らのいた世界には無かったよな。アル中とか、ヤク中って言葉も無かった。でもよ、言葉には無かったってだけで、その存在自体はあったよな?」



 そこまで来て、俺はようやく立川が何を言いたいかに思い至る。



「貴様…、まさか…」



「おうおう、怖い顔するね。そんなツラ出来るなら、戦士でもやっていけるんじゃねぇか?」



 俺はなんとか感情を制御しようとするも、こみ上げてくる怒りが抑えきれない。

 肉体が若い故の弊害か、前世とは比べ物にならないほど感情の制御がお粗末になっている。



「こっちの世界にも似たような薬物はあるがよ、やっぱり効き目に関しちゃ前の方が段違いだった。幻覚を得意とする魔物だっていたワケだし、当然っちゃ当然だがな。でも、コッチはコッチでその分効果を上げる摂取方法ってのがあった。それがコレだ」



 そう言って立川は、胸ポケットからクリアケースを取り出す。

 その中身は、注射器であった。



「血液による摂取。それも静脈注射ってヤツはすげぇ効果的でな。一瞬でキマるんだよ」



 俺は耐えきれず、視線を津田さんへと移す。

 先程は暗闇の中だったため気づけなかったが、彼女の腕には注射痕が残されていた。



「安心しろよ。ガキの方には何もしちゃいねぇ。ただし、ソッチの娘の方は別だ。十年分の恨みを、そいつでしっかり晴らさせて貰わなきゃならねぇからな」



 下卑た笑みを浮かべる立川に、俺はもう抑えることなく殺気をぶつけた。

 これ程の怒りを覚えたのは、恐らく前世も含めて初めてのことだろう。



「おっと、言っておくが、今から俺をどうこうした所で手遅れだぜ? 毒でも呪いでも無いんだからな」



 立川の言う通り、毒ではない以上解毒は出来ないし、呪いでもないから解呪も出来ない。

 もし純度の高いヘロインなどであれば、催眠などにかけたとしても強い離脱症状が現れてしまうだろう。



「ついでに言うと、そいつに打った薬は離脱不能の特別製でな。強い催淫効果が一生付きまとう事になる。つまりだ、本当の意味で手遅れなんだよ」



「っ!? 強い、催淫効果だと?」



「ああ。アンタだって知ってるんじゃねぇか? インキュバスの角の事くらい」



 淫魔インキュバスの角。

 それは法の無い前世ですら禁薬として指定された、『催淫薬』の材料であった。



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