第94話 ――――術式、開始。
「
淫魔の角は、文字通り淫魔の持つ角のことを指す。
それはつまり、この世界にある筈のない代物のはずであった。
「おいおい、魔術師様があり得ないなんて言うもんじゃないぜ?」
事象の類であれば、確かにその通りである。
魔術師は、魔術で事象を捻じ曲げることの出来る存在であるが故に、本来起こり得ない事象が起きたとしても、それを真っ向から否定するようなことはしない。
しかし、今回のケースでは話が違ってくる。
何故ならば、存在しない生物……、特に亜人種といった存在を一から作り出すともなれば、それは神の所業に等しいからだ。
(亜人種を召喚した? ……いや、やはりあり得ない)
召喚術という技術は存在していたが、呼び出せるのは精霊や妖精といった、
少なくとも、俺が生きている間にそのような偉業を成し遂げた人物は存在していなかった。
「クック……、わかりやすい反応するねぇ。魔術師らしく、思考の迷路に嵌まっちまってるってとこか? でもな、少し考えりゃわかることだぜ? 俺達の境遇を考えれば、な」
境遇……?
それは、転生者ということ……っ!?
「まさか、そういうこと、なのか……?」
「ここまで言われてやっと気づく辺り、随分と勘の悪いヤツだぜ。ま、つまり
……そのことについては、全く考えなかったというワケではない。
ただ、この世界に他の亜人種が存在しない以上、その可能性は無いだろうと思考の隅に追いやっていた案件ではあった。
……しかし、そうなってくると色々と前提が狂って来てしまう。
出来れば、認めたくはなかった。
「亜人種が転生している、と。しかし、そうであれば目立つなという方が難しい。一体、どうやってその存在を隠匿したというんだ」
亜人種は、身体的特徴が通常の人間とは異なるからこそ亜人種なのである。
例えばエルフなどはこの世界の創作物の通りに長い耳をしているし、ドワーフは身長が極端に低いという特徴がある。
そういった特徴を、このネット社会で隠し通すのは困難を極める。
エルフやドワーフ程度の特徴であれば病気などで隠し通せるかも知れないが、淫魔の場合はまず無理と言っていい。
何故ならば、サキュバスやインキュバスといった淫魔には、ヤギや羊に似た角が生えているからだ。
そんな子供が生まれればまず話題にあがるハズだし、国によっては宗教が動く可能性すらある。
もしカルト教団の存在する国にでも生まれていたら、テロだっておこりかねない案件だ。
「ああ、それに関しちゃもちろん理由はあるぜ。コッチに転生してきた亜人種はな、その身体的特徴がほとんど無くなっちまうんだとよ。淫魔の角に関しても、ちょっとしたコブがある程度になるんだそうだ」
……そういうことであれば、確かに隠し通すことも可能かもしれない。
特に淫魔などは、その性質からして異性を篭絡するのが得意だ。
俺と同じであれば、転生直後から前世の記憶があっただろうし、身を守るために周囲の人間を操るくらいのことは出来たに違いない。
「……それでも信じたくないってツラしてるな。ま、気持ちはわからんでもないがな。しかし、コレを見りゃ信じざるを得ないだろうよ」
そう言って立川は、内ポケットから粉末の入った袋を取り出す。
厳重な封印がされたソレは、その封印越しでもわかるほどの魔力を帯びていた。
「……同じものを、前世でも見たことがある。どうやら、本物のようだな」
俺の所属していた学院には、古今東西のあらゆる魔術的道具や触媒が存在していた。
その中に、淫魔の角も存在していたのである。
「ほほう、知識くらいならあるだろうと思ったが、まさか実物を見たことがあるとは思わなかったぜ。もしかして、実は同業だったりしてな?」
立川は愉しそうに笑うが、俺は反比例するように焦燥を濃くする。
(本物ということは、奴の言う通り、解呪するすべがない……)
厳密には呪いでは無いため解毒に近いが、それも困難と言わざるを得ないだろう。何故ならば、唯一の解呪方法が――
「……本体の居場所を教えろ」
「んだよ、やっぱ詳しいじゃねぇか。元同業が、なんでこんな正義の味方みてぇなことしてやがるんだよ」
「御託はいい! いいから居場所を吐け!」
唯一の解呪方法、それは角の持ち主である淫魔本体の体液を摂取することである。
これは体液であれば、別に血液だろうと唾液だろうと構わない。
ともかく、それらを摂取しなければ、解呪することは不可能なのだ。
……この情報は一般には公表されていないはずだが、立川が知っているということは、盗賊などには知れ渡っている情報なのかもしれない。
「残念だが、コイツは出回ってきた代物なんでな。本体がどこにいるかは俺にもわからねぇよ。知らなくても用を足せるのが、コイツのイイ所だろ?」
そう言って立川は下卑た笑みを浮かべる。
確かに、立川の言う通り、淫魔の角の効力は本体がどこにいようと十分に発揮される。
角を摂取した者は、日常的に性を求めずにはいられなくなるのである。
「さっきも言った通り、これはコッチの薬とかけあわせた特製のブレンドだ。その娘は、もう男無しじゃいられない体になっちまってんだ! いくらお前が正義感出した所で、今更おせぇんだよ!」
喚き散らす立川を無視し、俺は津田さんの元へと近寄る。
どうやら津田さんは、意識を朦朧とさせながらもこちらの話を聞いていたようであった。
「はは……、ごめんね、神山……。私、なんか、駄目に、されちゃった、みたい。お、おかしいんだよ? だって私、何も、知らないハズなのに、神山に、触って欲しいとか、考えちゃうように、なっちゃってて……。だから……、お願いだから……、もう、私に、近付かない、で……?」
「っ!?」
そんな彼女の言葉に、俺は思わず目を見開く。
また、おれと同様に立川もその言葉に驚いたようであった。
「おいおいおいおい、マジかよ! すげぇな! 淫魔の角に侵されて、まだ自分の意思を保ててるのかよ!」
そう、淫魔の角に侵された者は、理性を失い、完全なる性の虜と化すハズなのだ。
これこそが、毒というよりも呪いの類と混同される最大の理由でもある。
普通の精神では、絶対にその浸食に抗えないというのに……
「……本当に凄いな、津田さんは」
「……っ、はぁ、……?」
俺の言葉の意味がわからないとでも言うような反応を見せる津田さん。
そんな津田さんの体に触れようと、俺は手を伸ばす。
「っ!? だ、だめ! 私に触れちゃ、だめ!!!!」
津田さんは身をよじり、俺の手を躱そうと必死に藻掻く。
こんな反応、恐らく敬虔な僧侶ですら出来やしないだろう。
「……大丈夫。安心して、津田さん。必ず、君を助けるから」
「い、いくら正義君でも、無理、だよ……。今だって、もう、ほとんど限界なの……。お願いだから……」
いよいよ意識が飛びそうになっているのか、ついには俺のことを正義君と呼び始める。
「やっぱり、気づいていたんだね。俺の方は……、気づけなくてすまない。でも、はっきりと思い出したよ。君はあの頃も、俺と同じ正義を志す同士だった」
幼少の頃のことだ、しょせんはごっこ遊びに過ぎなかったとも言える。
しかし、俺はそもそも遊びのつもりなんてなかったし、彼女も純粋にそれに付いて来てくれていた。
彼女が今もそれを覚えているのであれば、俺はその記憶を汚すワケにはいかない。
「俺を信じてくれ、津田さん。必ず、その呪いを打ち破ってみせるから」
「…………………わかっ、た。信じる、よ」
かすれて消える程か細い声だけど、津田さんは信じると言ってくれた。
あとは、俺がそれに応えるだけである。
「……茶番は終わりか? だったらさっさとおっぱじめちまえよ。折角最初を譲ってやるんだから、盛大に乱れろよな」
立川は、いつのまにかスマホをこちらに向けて撮影を始めているようであった。
どうやら、俺がこのまま彼女を抱くとでも思っているらしい。
「悪いが、お前の期待に答えてやるつもりはない」
「……ああん? いいのかよ? 放っておいても、ソイツはこの先誰とでもヤル女に成り下がるんだぜ? だったら最初くらい、少しでも知っているヤツとヤレた方が幸せなんじゃねぇのか?」
「……本気で言っているのであれば、正気を疑うぞ。それのどこが幸せだと言うんだ?」
俺はそう返し、津田さんの肩に手を置く。
それに応えるよう、そして求めるよう伸ばされる手を、もう片方の手で掴み、強く握りしめた。
「お前はそこで大人しく見ているがいい。俺が、彼女の呪いを解く瞬間をな」
――――術式、開始
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