第89話 過去の罪と、その報い



「そうですか…。まさか、彼女が『アンパンボーイ』だったとは…」



 思い出せない筈である。

 何せ俺の中の記憶では、『アンパンボーイ』は男子として認識されていたのだから。

 いくら記憶を辿っても、女子である津田さんに思い当たらないのは当然だろう。



「…あの時の事を思い出すと、今でも胸が痛みます。本当に、私はどうかしていたと」



 悟さんは、懺悔するように過去を語り始める。





 ◇





 懐かしい夢を見た。

 数年前までは何度となく見た、悪夢である。


 幼い頃、私は父さんから、男の子・・・として育てられていた。

 元々父さんは男の子が欲しかったらしく、何かと男の子が好きそうな服だとか玩具を与えられていたらしい。

 らしい・・・というのは、私がそれを伝え聞いただけだからだ。

 一、二歳の頃の話だし、私が覚えていないのも当然と言えば当然である。


 …そして私が三歳になる頃、妹の真昼が生まれた。

 その頃になると、私も物心ついてきた時期であり、今でも朧気ながら当時の事を思い出すことが出来る。



(…そうだ。丁度あの頃から、私に対する父さんの接し方が変わったんだ)



 二人目の子供が女の子だった事が、当時の父さんには相当にショックだったようだ。

 だから父さんは、その辺りから増々私の事を男の子として扱うようになったのだ…、と思う。

 実の所、その事については父さんに直接聞いたワケではないし、私の推測でしかない。…ただ、それを踏まえたとしても、あの時の父さんは少し異常だったと言えるだろう。



 その異常性をはっきりと認識した出来事は、今でも印象深く記憶に刻まれている。

 それは、私が商店街で人形をおねだりした時の事だった。



「パパ! あたし、これ欲しい!」



 そう言った私に対し、父さんは、



「…朝日、パパじゃなくてお父さんと呼びなさい。それから、自分の事は『僕』と言いなさい」



 その時の父さんの顔は、笑顔だったのに、凄く恐ろしいものに思えたのを覚えている。

 今でも夢に見るくらいなので、トラウマになっているのかもしれない。

 …そして、あの日を境に、父さんの行動はよりエスカレートしていった。


 人形などの女の子らしい玩具は全て遠ざけられ、代わりに男の子向けの玩具ばかりが私に与えられた。

 服や言葉遣いも男の子のものに矯正され、ついには幼稚園にさえ男の子として入園させられたのである。


 今ではとても考えられないけど、あの時の父さんは周りから見ても異常に見えたのだそうだ。

 まだ幼かった私は普通に受け入れていたけど、母さんを含め、周囲の人達からは相当な非難を受けたらしい。

 しかしそれでも、父さんは止まらなかったのだ。

 あの日までは…





 ◇





「…軽蔑、するだろう?」



「………」



 それは、良くあると言えば良くある話であった。

 残念ながら、この世界の技術でも、子供の性別を選択する事は難しい。

 共感は出来ないが、男児を欲するあまり、そういった行動に出る者は存在する。

 特に前世では、騎士家系などでそういった事は良く聞く話であった。


 …ただ、聞いた限りだと、悟さんの行動はやはり少々異常と言えるだろう。

 少なくとも、幼稚園に性別を偽って入園させるなど、正常な人間のする行為ではない。

 その異常性と今の悟さんが、俺にはどうにも結びつけられない。



「悟さんがしてきた事については、正直共感する事ができません。しかし、今の悟さんや朝陽さんを見る限り、そんな過去があったとはとても思えません。一体、何があったのでしょうか?」



「…当時の私は、店の経営難や周辺店舗の立ち退きなどで、かなりノイローゼ気味だった。その結果、あんな愚かな行為をしてしまったのだと、診断されたよ」



 自分の異常性を自覚した悟さんは病院にかかったそうだが、そう診断されたのみで、大きな異常は見られなかったそうだ。

 そもそも、病院にかかろうと思った時には、もう悟さんは憑き物でも落ちたかのように、正常な思考に戻っていたらしい。



「その切っ掛けとなったのが、『正義君』…、君なんだよ」



「…どういう事でしょうか?」



「…朝陽は、卒園式だったあの日、初めて泣いたんだ。君の事が、好きだと言ってね」



「それは…」



 俺には幼い頃の記憶が鮮明に焼き付いている。

 男子だと思っていた『アンパンボーイ』…

 その表情や視線を、女子から受けたものと置き換えれば、確かにそうだと思えるふしはあった。



「朝陽は、自分は男の子じゃない、女の子として、君が好きだと泣きじゃくった。…その涙を見た瞬間、自分がとんでもない過ちを犯していた事に気づかされたんだよ…」



 成程な…

 その話を聞く限り、娘の涙が父を目覚めさせたという美談にも聞こえなくはない。

 しかし、本当にそれだけだろうか?

 それ程異常な精神状態だった悟さんが、言っては悪いがその程度の事で目を覚ますとは到底思えない。



「…一つ確認させてください。悟さんは、当時の自分がどうしてそんな行動を取ったのか、その原因についてしっかり自覚があるのでしょうか?」



「…それが、自分でもどうしてあんな事したのか、本当にわからないんだ。確かにノイローゼ気味だったし、男の子が欲しかったのも事実だけど、朝陽が女の子だった事を恨んだり悲しんだりした事なんて、一度も無かったんだよ」



 短い付き合いだが、俺にだって悟さんがそんな事をするような人間には見えない。

 他人が何を考えているかなどわからないと言うが、俺のような魔術師であれば内面を見抜く事など容易い事である。

 その上で、今回の件に魔術が用いられていた事を加味すれば、自然と答えが浮かび上がってくる。



「悟さん、俺は貴方の事を、子供思いの素晴らしい父親だと思っています。…短い付き合いではありますが、貴方が真面目で、家族思いなことくらい嫌でもわかりますよ。今だって貴方は、朝陽さんや夕日の事を本気で案じていますしね」



「しかし、私は…」



「貴方は自分の過去の過ちから、天罰が下ったとでも思っているのかもしれませんが、それは違います。いくら貴方が罪の意識に苛まれようとも、罪を犯したのは貴方では無く、誘拐した犯人達なのです。もし天罰が下るとしたら、それは犯人に対してですよ」



 罪のない家族の絆を踏みにじった罪は重い。

 犯人達には、その報いを必ず受けさせてやる…



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