三章 津田 朝日

第66話 あさがお幼稚園での再会



 ――津田 朝日つだ あさひという少女について。


 と言っても、彼女に対しては、特筆して何か語るべき点があるわけではない。

 当時の俺が知っていた事といえば、運動神経が良い事、成績が悪い事、社交的で明るい事。

 そして、見た目に反して純粋な所くらいだろうか?


 ともかく、俺が彼女について知っている事なんて、その程度でしかなかったと言う事だ。

 正直な所、速水 桐花はやみ とうかの友達でなければ、名前以上の情報を知る事も無かったと思う。


 普通のクラスメート。

 それが俺たち二人の、共通の認識だった筈だ。

 しかし俺達の関係は、とある事件をきっかけに大きく変化していく事になる。

 当時の俺は、そんな事になるとは露程にも思っていなかったが…





 ◇





「それでは、私は速水さんと約束がありますので」



「ああ…、くれぐれも気を付けて帰れよ?」



「大丈夫ですよ。師匠って結構心配性ですよね」



 そう言って、静子は手を振り去っていく。

 俺はそれに反論しようと思ったが、わざわざ呼び止めるのはどうかと思いとどまる。

 速水さんの件以降、俺はどうにも静子に対し過保護気味だ。

 以前から師である事の責任や、彼女の人生を歪めてしまった責任を感じてはいたが、ここまで干渉することは無かったと思う。

 きっかけはやはり、あの件なのだろうが、より詳細な原因については自分でも掴みきれていなかった。

 一時的にしろ恋人ごっこをした事による愛情の芽生えなのか、呪いを受けさせてしまった事による罪悪感によるものなのか…



「それじゃ、行きましょう良助!」



「あ、ああ…」



 俺は一重に引っ張られるまま、色々と物思いにふける。

 周囲の視線が痛くて堪らないが、これに関してはもう諦めるしかないだろう。


 現在、周囲の俺に対する評価および呼び名は、『二股最低野郎』である。

 静子との恋人ごっこを経て、再び俺が一重と寄りを戻した(ように見える)事が原因である。

 こればかりはもうどうしようもない為、俺はその不名誉な評価を甘んじて受け入れることにしていた。

 俺の知らない所で、いつの間にかBL漫画の主人公として書籍デビューさせられるより遥かにマシな状況だろう。

 津田さんによると、少なくともホモ山などとは呼ばれなくなったらしいので、状況は改善されていると思いたい…



「良助、今日のご飯は何ですか?」



 目を輝かせて一重が尋ねてくる。

 作る側としては悪くない気分だが、ここまで期待されると少しプレッシャーを感じてしまう。



「…何か希望はあるか?」



「う~ん、具体的には無いですね…。良助のご飯は何でも美味しいのですから…」



 そう言われると嬉しくなる半面、何を作るか余計に悩ましくなる。

 まあ、俺も同じ立場であれば似たような回答をしそうだが…



「…どうせ買い出しに行く必要があるし、食材から見繕ってみるか。食べたい食材があれば適当に選んでくれ」



「それは良いですね!」



 表情をパッと輝かせる一重に対し、あくまで予算内でだぞ、と補足しておく。

 言っておかないと、高級食材が次々籠に放り込まれていくからな…



 そんなこんなで、俺達は地元のスーパーへと足を運んでいた。

 俺自身、このスーパーには良く買い出しに来るのだが、こうして一重と二人で来ることは中々に稀なパターンである。



「良助! これを買ってもいいですか!?」



 そう言って一重が手に取ったのは、玩具付きのお菓子である。



「…いいけど、選ぶのは食材だからな?」



「あ、そうでした…。ごめんなさい、スーパーに来たのは久しぶりなので、ついはしゃいでしまいました…」



 俺はしゅんとする一重の頭をぽんと軽く叩き、手に持ったお菓子を籠の中に移す。

 無邪気にはしゃぐ一重は大変愛らしいのだが、年齢不相応に幼過ぎるな…


 それにしても、制服姿で二人で買い物というのは妙な気恥しさがある。

 別にやましい事なんて無いのだが、好奇の視線に晒されている気がして落ち着かない…



「あら? 初々しいバカップルがいると思ったら、良助と一重ちゃんじゃない?」



「…ん? ああ、母さんか。どうしたんだ? スーパーなんかに来て?」



 急に後ろから声がかかったので少し驚いたが、どうやら母さんもスーパーに買い出しに来ていたらしい。

 …好奇の視線を向けていた内の一人が、自分の母親だったかと思うと少し複雑な気分だ。



「ちょっと何? 珍しいもの見るような目して…。私だって主婦なんだし、スーパーくらい来るわよ?」



 そう言ってふんぞり返る母さんからやや視線を落とすと、買い物かごにはティッシュ箱やら石鹸といった生活用品が入っていた。



(そういえば、確かにここの所忙しかったから買い足してなかったな…)



「いつもはついでにって頼んじゃってるけど、別に私、買い物が嫌いってわけじゃないんだからね?」



 言われてみれば、確かにその通りだ。

 少なくとも俺が小学生だった頃は、良く母さんが買い出しに出ていた気がする。

 最近は食事を俺が作る関係から、買い出しも俺が兼任していたのですっかり忘れていた。



「それにしても、二人がここにいるって事は夕飯の買い出し?」



「ああ、そうだけど」



「じゃあついでに、全部こっちの籠に入れちゃいなさい」



「それはいいけど、荷物多くならないか?」



 今の状態に食材まで放り込むと、中々にボリューミーである。



「いいのよ。車で来てるし。ついでに乗って帰る?」



 車で来たのか…

 家からこのスーパーまでは大した距離じゃないし、車を使うまでも無い気がするが…

 いや、でもそうか、女一人で大量の買い出しをする事を考えれば、当然の選択なのかもしれないな。



「というか一重ちゃん! 折角なんだし、女同士でお買い物しない? 良助なんか放っておいて!」



「え!? えーっと…」



 なんかとは随分な言われようだな…

 まあ、それはともかくとして、一重がどうするか悩まし気にしているので助け船を出しておくか。



「そういう事であれば、一重は母さんと買い物を楽しんでくるといいよ。女同士色々とあるだろうしさ」



「で、でも、良助は?」



「俺は帰るよ。俺との買い物はいくらでも出来るだろ? また今度、な?」



「…うん。そうね。良助とはまた、いくらでもデートできるし、今日は涼香さんと一緒に買い物を楽しむことにしますね!」



 …デート? これはデートだったのか?

 まあ、そうとも言えなくは無いが…





 ◇





 母さん達と別れ、俺は一人帰路につく。

 一重の事は少し心配であったが、車で帰るのであれば問題は無いだろう。


 こうして一人で考え事をしながら帰るのも、たまには良いものである。

 目に映る景色や人々の活動が脳に程よい刺激を与える為、行き詰っていた考え事の良い解決案が思い浮かぶかもしれない。

 療養中も色々と考え事はしていたが、何一つ答えは出なかったからな…


 速水さんの事、静子の事、一重の事、そして麗美を含む他の転生者たちの事…

 特に転生者に関する事は、俺の中で少し大きな案件として格上げされていた。

 如月君の件といい、今回の速水さんの件といい、前世の技術が悪い形でこの世に蔓延してきている気がする。

 麗美から予め忠告は受けていたが、実際に関わる事も無かった為、少し軽視し過ぎていたかもしれない。



(ふむ…、どうしたものか…)



「…あら? 不審者が立っているかと思ったら、もしかして、良助君?」



「…ん? あれ? ここは…?」



 気づくと、いつのまにか俺は立ち止まっていたらしい。

 考えが行き詰まり、自然と足も止まっていたようだ。



「久しぶりね! 良助君! まあ大きくなっちゃって~」



「貴方は…、もしかして、吉水先生…? って事は、ここはもしかして…」



 いつの間にか、俺は自宅への帰路から何本か道を間違えて歩いていたらしい。

 しかし、完全に知らない場所に迷い込んだのではなく…



「あさがお幼稚園、か…」



 俺はいつの間にか、かつて通っていた幼稚園の前にやってきていたのであった。



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