第32話 告白……? いいや、俺は騙されない

 


 ――月曜日。

 この世界における、週の始まりである。

 ……いや、より正確に言うと日曜日がそうなのだが、ともかく休み明けというヤツだ。

 つまり……



(憂鬱だ……)



 前世の世界にも週に近い単位は存在したし、定期的な休日も存在していた。

 俺は職業柄そういった定期的な休日とは無縁だったが、休み明けは今と同じように憂鬱な気分になっていたと思う。

 しかし実のところ、俺はこの世界に生まれてからそういった気分を味わったことがなかった。

 要するに、これは今世に生まれて初めての経験なのである。


 この世界は俺にとって未知の知識、体験を与えてくれる最高に刺激的な新天地だ。

 前世では、冒険者などという非生産的で効率の悪い職業が何故人気なのか全く理解できなかったが、今ならば理解できる。

 恐らく彼らは、このような刺激を求めて冒険の世界へと飛び出して行ったんだろう。


 俺は正直、毎日が楽しくて仕方なかった。

 学校に行くのだって、俺にとっては何の苦にもならなかった。

 むしろ少しくらいの体調不良であれば、無理やりにでも登校する……

 それくらい学校が気に入っていた。

 しかし、そんな俺が今、教室を目の前にして扉も開けず立ち止まっているのである。

 陰鬱な気分が、俺の動きを鈍らせているからだ。


 何故こうなった……?

 いや、実際のところ、原因はわかっている。

 俺の見積りの甘さこそが、この陰鬱な気分の原因と言っても良いだろう。



(……まあ、こればかりは仕方がないと言えば仕方がないことなのだが……)



 見積りとは通常、現在ある素材や情報を基に行うものである。

 つまりイレギュラーが発生すれば、その分見積りは狂う可能性があるということだ。

 そういう意味では、俺に落ち度はなかった……と思う。

 ……ただ、より優れた技術者であれば、イレギュラーを予測しての保険をかけるくらいのことはするだろう。

 少なくとも俺は、それをしなかった……、できなかったというだけだ。


 今思えば、麗美が転校してきたあの日……、あの日に保険をかけておけば良かったのだ。

 この世界には『後悔先に立たずという』言葉があるが、実に含蓄ある言葉だと思う。

 ああ、胃が痛い……



「良助……?」



 そんな俺を訝しげに思ったのか、一重がどうしたの? と首をかしげている。



(……いかん、いかん)



 俺はかぶりを振って、無理やり頭を切り替える。

 俺が陰鬱な気分になっていることを、一重に悟らせるワケにはいかない。

 一重にだけは、俺が弱っているところを見せてはならないのだ。


 意を決して、俺は教室の扉を開く。

 それまで喧騒に包まれていた教室は一瞬静まり、直後にヒソヒソと声を潜めた会話に切り替わった。

 凄まじい空気の変わりようである。

 これでは、いつものように挨拶すらできないではないか……


 この声を潜めた会話、いわゆるヒソヒソ話の悪いところは、完全に会話の内容を隠せていないことにあると思う。

 本人たちに、聞こえている自覚があるのかないのかは、正直わからない。

 だだ、どちらであるにせよ、あまり気分の良いものではない。



「よ、よお……」


「……おはよう。尾田君」



 どこかぎこちない態度で挨拶してくる尾田君。

 どうやら彼も、このヒソヒソ話の中に自分の名前が出てきているのことくらいは、確認できたようだ。


 尾田君は誠実な割に、意外と対人関係に無頓着なところがある。

 部室で噂の内容を聞くまで、自分にホモ疑惑がかかっているなどとは露とも思っていなかったらしい。

 まあ、彼の場合は被害者……扱いらしいから、まだマシなんだが。



(……尾田から……たぞ?)


(……やっぱり、……めにされた……、は本当なの……?)


(……いや、自分から……、山に……たらしいぞ?)



 所々聞こえないのが逆に怖い。

 しかし、聴力を強化して聞いてしまうのは、それはそれでさらに怖い。

 果たして彼らの中で、俺はどこまでの存在になっているのだろうか……?

 ……恐ろしくて想像すらしたくない。



「……あの、神山……君? ちょっといい?」



 俺がそんな恐怖を抑え込み平静を装って席に着くと、恐る恐るといった感じで一人の少女が声をかけてきた。

 少女は、下ろした髪を二つに束ねて三つ編みにした、所謂いわゆる「おさげ」という髪形に眼鏡という、非常に地味な見た目をしていた。

 まさに文学少女、委員長と呼ぶに相応しい見た目だ。



「……おはよう、速水さん。何か用かな?」



 この少女の名は、速水 桐花はやみ とうかという。

 こんな見た目ではあるが、残念ながら委員長ではない。

 本物の委員長である長谷部さんは、こんな可憐な少女ではなく、なんというかもっと刺々しい。

 そんな失礼なことを考えていると、長谷部さんから睨まれたような気がする。

 怖い……、女性って本当に怖い……



「あ、おはよう、神山君。あの、その……、少しだけ時間、いい?」



 そう言われて、チラリと時計を見る。

 今日は十分に余裕をもって登校したので、始業までにはまだ10分以上の猶予があった。



「……良いけど、何かな?」


「……ここじゃちょっと……、場所を、できれば人のいない所に……」


「わかった。それじゃあ、移動しようか」



 コクリと頷く速水さん。

 その表情は少し赤らんでおり、その可憐さをより一層引き立てている気がする。

 こんな表情を浮かべた少女にそんな誘い方をされたら、男であれば変な期待をしてしまうのは致し方ないだろう。

 ……まあ、こんな状況じゃなければだが。



(……おい、……いうことだ?)


(……さか、神山の新しい……か?)


(あんな、……しい子まで……)


(鬼畜……)



 教室を出ていこうとする俺に、再びヒソヒソ話が聞こえてくる。

 相変わらず断片的ではあったが、最後の一言だけ何故かはっきり聞こえた。


 チクショウ!!! 俺が何したって言うんだよ!!!!





 ◇





「……それで用っていうのは?」



 ここは屋上の踊り場。以前尾田君の相談を聞いた場所でもある。

 薄暗く隔離されたようなこの空間は、秘密の話をするのには丁度良い場所だった。


 階段を上った直後、間を置かずに俺は用件を尋ねる。

 あまり時間をかけると、様子を見に来た誰かに話を聞かれる恐れがあるからだ。

 速水さんにとっても、それはあまり都合が良くないだろう。



「……ふぅ、えっと……、神山君……」



 一度息ついてから、真剣な目で俺の名前を呼ぶ速水さん。

 それは、何かを覚悟した者のまなざしであった。



「……実は、私……、入学した頃から、神山くんのことが気になって、いたの」



 ほほう、そう来たか。

 これはどう見ても、どう聞いても告白と思って間違いないだろう。

 この表情、語り口、まさにそれ以外あり得ない。


 だがしかし! 俺は騙されないぞ!

 これは罠だ! 思春期の男子にありがちな勘違いだ!

 俺は前世で恋愛経験などないに等しいが、人生経験だけはそんじょそこらの青二才共とは比較にならないほど積んでいる。

 その経験が、本来の男子高校生なら舞い上がりかねないこの状況を、冷静に見つめさせてくれるのだ。


 恐らく多くの男子中高生が、身近な女子の思わせぶりな態度に振り回され、痛い目をみているに違いない。

 これは、そんな「思わせぶりな態度」でも最高クラスの爆弾と言っていいだろう。

 一般レベルの男子では確実に引っかかるであろう、最上級のトラップ……

 しかし残念だが、俺には効かない!



「……この気持ちは、私の中にずっと秘めておこうって……、思っていたんです。神山君のそばにはいつも雨宮さんがいたし、迷惑になるかなって……。でも、ここ最近の神山君を見ていたら、もう私の中だけに留めておくことはできなくなったの……」



 グッ……、この攻撃……、まだ続くのか?

 俺でなければとうに折れて、表情筋が緩んでいてもおかしくないレベルだぞ……

 速水さんがコレを狙ってやっているのだとしたら、彼女は相当な強者なのかもしれない。


 しかし、俺はあくまで、これは告白などではないと断じている。

 俺の予測だと、この後に続く台詞は「神山君って、ホモなんですか?」だ。

 間違いない。彼女は今、ここ最近の俺を見て、と言った。

 ここ最近の俺とはつまり、尾田君としか滅多に喋らない俺のことである。


 俺はその一言で、自分の予測に間違いがないことを確信した。

 さあ、来い。俺は余裕の表情で「違います」と答えてやるぞ……



「だから、できれば正直に答えてください……。神山君は……、攻めじゃなくて、受けなんですか!!!」


「違います」





 ………………………………ん? あれ……?


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