距離から考えて、もうそろそろ到着するころ合いだ。

 リンの母親を出迎えるため、俺は身支度をした。

 不安そうに俺を見るリンを安心させるよう、微笑みかける。

「ここで待ってろな」

 うん。待ってる。とリンは素直にうなずいた。


 半分くらいの月が出ていた。秋の夜気は冴えていて冷たい。

 裏の雑木林に風が吹くたびに、黒いシルエットの樹々がざわざわ揺れた。

 澄んだ虫の声に包まれていると、気持ちが落ち着いてくる。

 俺は、アパートの前の砂利の駐車場を歩いて、五十メートルほど離れた自販に行き、ホットコーヒーを買ってきた。

 そしてそれを飲みながら、バイクに腰掛けリンの母親を待った。

 やがて、暗い静かな道路を、迷うような動きのヘッドライトが近付いてきた。シノと歩いた夜道で通りかかった、見覚えのある古い白の軽自動車。

 俺は道路に出た。

 暗くてまったく見えない車内に向けて一礼し、アパートの敷地内へ誘導した。

 停止した車から出てきたのは、背の高い、細身の女だった。

 運転席から降りて近づいてくる母親に、俺は深々と頭を下げた。

 初めて見るリンの母親。

 凄まじい美人を想像していたが、充分に美人には違いないものの、リンに備わっているような特別なものは感じなかった。

 どちらかと言えば、整ってはいるけれど、キツい顔という印象を強く受けた。

 濃い色のジーンズと白い厚手の長袖シャツ。リンよりも少し短い髪を後ろでまとめている。化粧もきちんとしていた。

「お騒がせしてすいません」

「娘は?」

 電話で聞いたよりも若干低い声。服からはタバコの匂いがした。

「僕の部屋に居ます」

 母親は鼻から息を出した。俺を見る顔は当然のことながら厳しい。

「すいません。少しだけお話できますか」

「私もあなたに話があるわ」

 俺たちはアパートを離れ、青白い光を放っている自販のほうに歩いた。

 自販の前で、母親はタバコを取り出して火を点けた。そして半分ほど吸ってから、携帯灰皿にタバコをねじ込んだ。

 その間、俺たちは何も喋らなかった。

「あなた、いくつ?」

 母親は、少し棘のある口調で切り出した。

「二十一です」

「ふん」値踏みするように俺の顔を見る。「……中学生と付き合わないといけないようにも、見えないけど?」

 俺は何も答えなかった。

「それで、なにがどうなってるの?」

 俺は、改めて、ことの経緯を説明した。

 夏祭りで中学生と知らず声をかけたこと。鼻緒ずれしたリンを送ったこと。モールで再会し、仲良くなったこと。

 それからはいつも会っていた、と話したら、

「それであの子毎日のように出かけていたのね」と母親は呆れたようにつぶやいた。

 兄妹のようなつもりで接していた俺。

 そうじゃなかったリン。

 そして、リンの好意から逃げるような真似をしたせいで、思いつめてバイクで家を探し当てたという話。

 俺は、まるで、自分の責任逃れの為にリンを悪者にしているような気がして、酷い自己嫌悪を感じた。

 事情を最後まで聞いた母親は、締めくくりのような深いため息をついた。

「あの子ね」と思い出すように母親は語り始めた。「夏のはじめからずっと変だったのよ。毎日のように出かける。誰かと会ってそう。しかもすごく楽しそうでね。どう見ても、彼氏でもできたように見えた。でも、事情を聞いても全然話してくれない」

 俺は黙って続きを聞く。

「それに、なんていうか、妙に背伸びしようとしてるのが伝わってきたのね。これはきっと年上の男だろうってピンときた。あの子、可愛いでしょ? 年齢不相応に」さすがにちょっと苦笑気味に言った。

 俺は真剣にうなずいた。

「だから、余計に心配だったのよ。年上のへんな男にでも引っかかったんじゃないかって」

 年上のへんな男、の部分で俺をちらりと見た。

 俺は黙ってその視線を受けた。

「あの子、何度か、泣きながら帰ってきた」硬い声で静かに母親が言った。「あなたのせいね」

「……はい」俺のせいだ。

「ねえ」と母親は俺をしっかりと正面から見据えた。「あなた、なにがしたかったの? リンと普通に付き合ったりとかじゃないんでしょ? 兄妹ごっこ?」

「……僕には友達も恋人も居ません。ひとりぼっちで。寂しくて。リンさんにそばに居て欲しくて。だから、妹みたいに扱ってしまいました」

 母親は身じろぎした。強い苛立ちがはっきりと伝わってきた。

「そんなことに、うちの娘を使わないでもらえる?」

 母親は冷たく言い放つ。

「リンは、あなたの妹じゃない」

 思えば、アリカも、母親も、そしてリン自身も、俺以外のみんなが俺に同じことを言う。

 リンは、妹じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る