彼女らの秘めた想い

成澤 柊真

友達以上に、それ以上に。【風香・友子】

 よー、と軽薄な声とともに手をあげ、合図する。彼女は振り返らず、依然として文庫本を読んでいて、私は軽く傷付いた。気づくには少し距離があるだろうか、と思い直して、もう少し近づいてから同じようにした。

 それでも気づかない彼女は、果たして私のことを認識してくれているのだろうか。

 本当は、違う誰かを見ているんでしょ?

 なんて、あまりに望みすぎているだろうか。

 「ふーかっ。おまたせ」

 私はそう笑って、彼女、白石風香の肩に触れる。

 「友子ちゃん。私もいま来たとこ」

 びくっと体を震わせてから、風香は笑って、そんな常套句を口にした。

 美坂杏里のはずである私を、いまだに風香は友田友子だと思っている。いや、思っているわけではないのか。ただ、その方が呼びやすいというだけで。

 まあ、それ自体に不服はない。私が風香と交際するにあたって、私が美坂杏里であろうと友田友子であろうと、さして重要なことではなく、呼びやすいならそっちの方が良い。

 「友子ちゃん、服、可愛いね」

 白いワンピースの上にデニムのジャケットなんかを着て、見栄えを少し綺麗にしていた。頑張ってお洒落をしてみたわけだ。

 風香と会うから、ってことでは無いけれど、人と会うから、ということではある。誰かと会うから小奇麗な格好をするのは最低限のマナーかな、と思うのだ。

 「風香もいい感じだ」

 風香も制服の時と印象が違った。

 白のブラウスに、黒のスカートで、帽子を被っていた。どことなく懐かしい服装は、結構似合っていた。

 まあ、上からパーカーを着ているので、どこかアナーキーな印象になってしまっているが。

 上半身がしろしろで被っているから、ありがたいっちゃありがたいのだけれど…なんだかな。

 「…久しぶり」

 風香はおずおずと言う。長らくあっていなかった友人に対して距離を取りかねているのか、それとも単純に、私に怯えているのか、あるいはかつての恋人である佐伯加奈がこの場にいないからいまいちテンションが上がらないのか、まあ、私には解らない。

 「久しぶり」

 私は満面の笑みを浮かべ、そう返した。作り笑い、といえば強がりになってしまうだろうか。風香と会えたことが、姿を見れたことが、共に休日を過ごせることが、ただ嬉しかったのだ。

 まさか加奈を差し置いて私と会ってくれるとは、思っていなかったから。

 「じゃあ、いこっか」

 言って、風香は歩きだす。私はその後をついて行って、言う。

 「目的地の場所は解ってんの?」

 「…予習してきたから、だいじょう、ぶい」

 「…かわいいね」

 そう言えば、いつかの放課後もそんなこと言っていたな、と思いだす。

 その時は加奈もいたけれど、今は私と風香だけだった。風香を一人占めしていた。

 …一人占め、いやまあ私も風香も、望んでそうなったわけでは無いけれども。

 「映画…映画館。こっち、で合っているよね…?」

 「あってるあってる」

 自信なさげな風香は、庇護欲をそそられる。だから私は、あえて隣にはいかず、後ろをついて歩いた。

 まあ、ここが人混みだから並ぶと迷惑だ、ということもあるのだけれど、時折ふりかえって確認する風香は、やはり愛らしかった。いま、その澄んだ瞳が私だけを見ていると思うと、軽い優越感がある。

 「…まあ、半開きだけれどね」

 「…? 何か言った? 人が多くて聞こえないや」

 「お母さんとは上手く行っているかい?」

 どのタイミングで聞こうかと考えていたが、上手くいっていなければどのタイミングでも聞いちゃ駄目だろうし、上手くいっているのならどのタイミングでも良いはずだと思って、雑談として振った。

 「…うん、まあね」

 「そっか。そりゃあなにより。風香のお母さんとは会ったことがないけれど、風香は人見知りだからなー。これでも結構心配してたんだぜ?」

 「…ありがとう。でも大丈夫だよ。お母さん優しいから…大丈夫…すぐに」

 そこで風香は言葉を切った。しかし、その続きは容易に想像できる。

 すぐに、仲良くなれるはず。

 だから、今現在は上手く行っているともそうでないとも言える、微妙な関係ってことか。

 友人として関係を取り持ってあげたい気持ちはあるけれど、他人との間ならまだしも、家族の問題に友人でしかない私が介入したところで、何も解決しないだろう。

 悪化しても責任取れないし。

 民事不介入というやつだ。

 「……」

 加奈から連絡あった?

 続けてそう訊こうとしたが、私とこうして会っているということは、ないのだろう、と察して、やめておいた。

 一番訊きたかったことではあるけれど、流石に憚られる。折角風香と出かけているのに、嫌な気分にさせるのは不本意だ。

 悶々と風香の背中を見ながら歩いていると、

 「友子ちゃん」

 不意に、風香は後ろ手を私に差し出す。

 「…え」

 風香は私と手を繋いでくれないんじゃなかったっけ、と思い、首をかしげる。

 良いのかな。

 もしかして加奈のために手を繋がないんじゃ、と思っていたけれど。

 「はぐれたら困るし…隣にいてくれないと寂しい」

 風香は尻すぼみで言った。

 もしかしたら、加奈のことは諦めて、だから私を代わりに据えるってことか、とか、加奈と別れたから手を繋げればだれでもいいんじゃ、とか、色々と考えていたけれど、この言葉が今、私に向いているのなら、理由なんて何でも良い気がした。

 喜び勇んで、私は頷いた。

 「…うん」

 しかしそれを取って、思う。

 左手だ。

 以前手を繋ごうとした時は、確か右手だった。

 右にいるのは加奈で、左には空きがあるわけか。

 少しでも私にも勝機があるのでは、と思った自分が馬鹿らしかった。

 

 風香が転校してから、数カ月が経っていた。

 寂しい寂しいと加奈と一緒になって言っていたけれど、実は私は、それほどでもなかった。

 いや、語弊がある。

 寂しいは寂しいけれど、加奈と違ってメールや電話で週一くらいのペースで話していたから、このままでも別に泣くほど寂寞感があったかと言えばそうではないのだ。

 加奈は結構泣いていて、私は軽く引いていたけれど、それをなだめる役に徹していたわけだ。

 だからというのか、私は加奈とは対照的に少し淡泊とも言える態度で風香の転校を受け入れていた。驚くほど無感動に、もしかしたら私は風香のこと嫌いだったんじゃないか、と思うほど、以前と変わらない心持ちで。

 しかし、今から数日前に私は気付く。

 風香の顔を忘れかけていた。

 私は、いや、人っていうのはそうかもしれないけれど、長い間会っていないと案外外見を忘れてしまうもので、人は中身というけれど、やっぱり外見を覚えていないと存在が希薄になってしまうのは否めない。

 だから久々に、一緒に出掛けようと風香を誘ったわけだった。

 正直、それを快諾してくれるかどうか、自信がなかった。だって、私は風香にとってほとんど無関係と言って良いくらいに細いつながりなのだから。同じ学校に通っていたからこそ私と話していたわけで、もしかすると、仮に風香が転校しなかったとしても別々のクラスになっていたらそのまま他人になっていたかもしれない程度の関係性だった。

 「…ここだ。おっきい」風香は見上げながら、圧倒されるかのように感想をもらす。

 だから、こうして風香と一緒に出かけられるというのは、こうして風香の手を繋いで隣に立っているということは、私にとっては夢みたいなもので、未だに騙されてるんじゃないかと思うくらいで。

 「そうだね」

 そんなわけないことくらい解っているのだけれど、手放しで喜べない感じだった。

 これも、距離を取りかねている、というのだろうか。

 「じゃ、いこっか」ふんわり笑った風香にしばらく見惚れてから、私たちは連れ立って、劇場へと入って行った。

 日曜日だもの、それはそれは人が多い。入場に並んでいる人々の長蛇の列を見て、私はややげんなりとした。風香はどうだろう、と隣を盗み見ると、辟易しているようではあったが、何だか楽しそうだった。

 「…馬鹿みたいに人がいる」

 その呟きは、うん、私に向いていないことにしよう。風香の口から馬鹿みたい、という言葉が出てきたこと自体驚きだが、にやりとニヒルな笑みを浮かべていることに私は驚愕する。

 風香ってこんなキャラだったっけ?

 転校先でちょっと変わったのだろうか。

 「友子ちゃん、なんか観たいのあるの?」

 「ん? ああ、そうだな…あれとか」

 恋愛映画だった。テレビを点けていると、コマーシャルがよく目に入る作品だったためか、考えなしに指をさしてはみたものの、大して興味がない。まあ、今日は風香と会うことが目的だったから、この映画が面白くなくても、さして問題ではないか。

 「…純愛ストーリーって、可愛いね」風香がにんまりと私を見た。

 「やめて…」

 「かわい、友子ちゃんかわい」

 「やめろー…」

 「友子ちゃんにしてはかわい」

 「それだと意味合いが変わってくるから、話し合う必要があるな」

 「よし…じゃあ、あの映画にしよっか。うん、最近よく見るし」

 「おい…無かったことにするなよ」

 「次の回、は…ああ、もう十五分後」

 「…じゃあ、この長蛇の列はそれか」

 「…チケット残ってるかな」

 「ちょっと見てみようか」

 券売機で、その作品の空席情報を見た。

 思っていたより空いていた。注目作だけあって、広めの劇場で上映するから、ということのようだった。

 「さて…どこが良い?」

 「友子ちゃんに任せる」

 「困ったな…」

 私に一任されても苦情は受け付けないぞ、と前置きしてから、適当に二人分の席を選んだ。後ろから二番目あたりのところで、当日、席を買いに来たにしては子の位置が余っていたのは幸運な方だろう。

 私が操作するのを、風香は物珍しそうに見ていた。この前一緒に行った映画館では窓口で席を指定して、その時もなんか戸惑っていたけれど、こういうセルフサービスみたいなものも風香は初めて見るのかもしれない。

 家族と来たことも無いだろうし。

 もしかして、今後風香と出かけたらそれがそのまま、風香の初めての経験になるのではないか。

 やや高揚しながら発券し、その片方を風香に手渡した。

 「…なんか慣れてる」

 「まあ、何度か来ているからね」

 「…誰と?」

 「ん…家族とか、他の友達とか」

 「ふうん」

 「何だよ」

 「別に…」言って、風香は列の最後尾に立った。私もそれに続いて、横目に売店が見える。

 「なんか買ってこようと思うけど、リクエストはある?」

 「ん…そう言えば皆なんか持ってるね。じゃ、紅茶が欲しい」

 「おっけー。ポップコーンは?」

 「…おいしいの?」

 「人による」

 「そっか…そりゃあそっか。まあ、じゃあ、お願い」

 「ん。分かった」

 私は頷いて、売店の、これまた列に並んだ。

 「……」

 さっきの風香の反応。もしかして、私がここに他の友達と来ていたことに妬いたのか。いや、あり得なくはないけれど、風香は私のことをそんなに好いてくれていただろうか。

 んー。いやまあ、二人で出かけているのに、他の友達の話をするのは失礼か。風香が少し不機嫌になるのも無理はないけれど、元はと言えば風香が振ってきたんじゃないかと言いたい。

 「……」

 しかし、風香が私に対して友達として好いてくれている、というのは嬉しい事だ。加奈に紹介されて、とはいえ、私から一方的に友達関係になったに近いし、一緒に出かけても私ばかりが喋って、風香は聞き役に徹することが多い。正直言って、私といても楽しくないんじゃ、と思っていたのだけれど。

 いやまて。

 現時点において、風香の唯一の友達は私ということになるのか。その貴重な交友関係を他の人にとられたくない、というのは、うん、理に適っている。

 好意でなくとも、嫉妬はするのか。

 「…複雑だなあ、乙女心ってやつは」

 なんて、恥ずかしい独り言を思わず漏らしてしまい、ポップコーンを買う前に、周囲の人々の困惑を買ったのだった。


 内容は、なんてことない一般的な恋物語だった。運命的に出会って、くっついて、当て馬が出て、またくっつく。

 盛り上がりも盛り下がりもあったが、しかし定石をたどり過ぎていて甚だ興ざめだった。

 …とはいえ、加奈と風香の関係を思いだしたのは、私だけだろうか。当人たちは自分たちを俯瞰したとしてもそれを自分みたいだと認識できることは少ないけれど、第三者の私としてはそのまんまだと思った。

 でもまあ、当人たちが、自分たちでない、というのなら、きっと第三者である私みたいなやつが何を言おうとそれに説得力なんてものは無いのだろう。

 「…これからどうする?」

 風香はおずおずと訊く。ラストシーンは感動するべきところだったのだろうが、風香は特に涙を流した様子もなく、いつも通り疲労感をたたえていた。

 かく言う私も涙しなかったのだけれど。

 「あーんー…なんか食うか。和食と洋食、どっちがいい?」

 言いながら、しまった、と思う。

 これではまるで、あの時と同じ状況ではないか。

 あの、加奈が風香を裏切った場面を目撃した、風香にとってターニングポイントとも言えるあの日に。

 風香は、どう思っただろう。

 風香の表情を窺うと、意外にも平静だった。

 「んー…和食かな、今日は」

 「…そっか」

 洋食、と言わなかったところにやっぱり気にしているのかな、と思って、今日は、と言ったところで、やっぱり本当はなんでもないのか、と思ったり。結局推察することはできなかった。

 「…って言っても、この辺あったかな」

 「やよい的な軒とか」

 「なーる…じゃあ、そこで…」

 風香は言って、未だ混み合っている映画館の出口へ向かう。

 うぃーん、と自動ドアが左右に展開して、長方形を潜った。

 外はやや暑かったが、室内の人混みよりは開放感があって、ふう、と一息ついた。

 「…いこー」

 風香は気怠く言って、私に左手を差し出した。

 何とも言えない気分になる。

 けれども私は、歓喜に身を任せて、その手を取った。

 「……」

 私は風香のことが好きなんだよ。友達以上に、それ以上に。

 風香は私のことが好き?

 友達くらいに、それ以上に。

 映画の影響かもしれない。

 そんなことを言いたくなった。

 まあ、言えるわけはないのだけれど。


 そんな風にして、私と風香の休日は過ぎていく。ウィンドウショッピングをしたり、駄弁りながら町を歩いたり、おそろいの何かを買ったり、友達が友達とするような、普通のことをして過ぎて行く。

 それに何の不満もないかと問われれば、私は『はい』と答えるのだろう。風香のこととか、体裁とか考えてそう答えるのだろう。

 しかし、それは半分嘘だ。風香と友達であることに不満はないが、私は、本当はもっとそれ以上のことをしたい。

 加奈としていたようなことを、私ともして欲しい。

 加奈に感じていたようなことを、私にも感じて欲しい。

 けれど、私がいくら手を握ろうと、会話しようと、私は加奈以上の存在にはなれないのだと、今日一日で痛いほど解った。

 もうやめてくれと言いたいくらいに、ひしひしと伝わった。

 だって、加奈と話しているときの風香は、とても可愛いのだ。今この瞬間の風香より、私といるときの風香より、ずっとずっと可愛い。ダブルスコア的な差をつけて、よっぽど魅力的な風香なのだ。

 風香にとっての一番になりたい。

 けれどそれは、永久欠番にも等しい立ち位置だと分かる。

 「…もう、こんな時間かー。そろそろお別れだね」

 風香は携帯電話の電子時計を見ながら、名残惜しそうに言った。そう思ってくれるのは嬉しかった。

 「そうだな…まあ、また連絡するからさ。また一緒に遊ぼう」

 「…うん。そだね」

 けれど思うのは、そんな顔しないで、ということだった。

 その寂し気な表情だけは、加奈が風香のそばを去った時と同じものだった。私は風香に対して、加奈ほどあげれるものがない。それにも関わらず、私は加奈と同じくらい、風香から奪えるのかと自分の無力さを感じた。

 どうすれば、風香のために私が存在できるだろう。

 どうすれば、風香は私で心の底から笑ってくれるのだろう。

 そんな風にして、私は無害さを探す。

 「私はね…風香」

 「ん?」

 「風香のこと、好きなんだよ」

 「……」風香は首をかしげる。「うん。それは、この前きいた。…この前、屋上で聞いた」

 風香はやはり引っかかった風だった。

 加奈に拒絶されたその時の記憶を思いださせるのは、得策では無かったかもしれない。

 しかし、私はこう続ける。自分勝手であることは解っていたけれど、我慢ならずに言葉を吐きだす。

 「私はね、風香のためなら何でもできるかもしれない。…加奈の代わりも、風香が望むなら、する」

 「……」

 「…私は、風香の本当の顔がみたい。本当の風香をさらけ出してほしい」

 風香の左手を握ったままで、私は言う。こんなことを言われたって、風香からすれば迷惑極まりないのだろう。

 第一、風香が私に対して心を開いてくれていない、というのは私の見解であって風香自身にそのつもりがあるかどうかは定かではない。だから私はまったく的外れなことを言っているのかもしれないのだ。

 「…加奈ちゃんも、なんか同じようなことを言っていた気がする」しばらく黙った後、風香はそう切り出した。「どうしたの急に?」

 「…なんとなく、感傷的になっちゃって」

 「分からなくもない」風香はふふ、と上品に笑う。「私は表情に出づらいから、みんな不安になるのかな」

 「みんな」

 「うん…お母さんにも言われた。もっと甘えてくれていい、って。私としては、これ以上ないくらいに甘えているのに、お母さんはそれを解ってくれない。…加奈ちゃんだってそうだった。私は精いっぱい加奈ちゃんを好きだと言っていたつもりなのに、加奈ちゃんは本当の私を見たがってた」

 風香は寂しげに言う。自らの不器用さを顧みて、私に対して、申し訳なさそうにした。

 あるいは、加奈に対して。 

 「…ごめん」

 「謝らないでよ」風香は笑顔で言う。「…愛されてるのに愛してないように見えるのは、もしかしたら実際そうなのかもしれないって、最近思うんだ。私はもらうだけもらって自分からは何もしてない気がする。お母さんのことを、もしかしたら信じてないかもしれない。友子ちゃんのことも、もしかしたら好きじゃないのかもしれない。…加奈ちゃんのことだって、もしかしたら愛していなかったかもしれない」

 「……」

 そんなことないよ。私はそう言いかけるが、すんでのところでとどまった。

 それを素直に言ったところで私が風香に好かれていないと思っていたことが事実であることは変わりない。だからその言葉はただの嘘になってしまう。すぐに看破されて、風香はまた自分を嫌いだすかもしれない。

 何も言ってやれなかった自分を情けなく思った。こんなとき、加奈なら何か言ってやれるのだろうか。風香が求めている言葉を言って、気持ちを楽にさせてやることが出来るんだろうか。

 「…私が悪いんだよ…だから、私がどっちつかずなのがいけない。私が、周りの人のことを見てない…かもしれないのが、一番良くないんだ」

 「…風香、もういいから…悪かった。変なこと言ってごめん。ちょっと、ちょっと間違えただけなんだ。ほら、夕焼け、ってなんか寂しくなるじゃん。それに帰り際だし…また風香としばらく会えないと思うと、寂しくなって。だから、ちょっと魔が差したというか…」

 「…思ってないことは言えないよ」風香は俯いた。「友子ちゃん、ありがとうね。なんか…うん、事の重大さを自覚した。本当はもっと前に気付いてないといけないことだったんだよね。…加奈ちゃんが離れて行った時に、気付いてないといけなかったんだ…でも私が、目を逸らしてたから…」

 「風香…!」

 私は堪らず、風香を抱きしめる。強く強く抱きしめる。

 何を思って私はそんなことをしたのか、自分でもわからなかった。けれどたぶん、言葉じゃ何も伝わらないから、何かしなければ、と思ったのだということは解った。

 なんで、風香がこんな思いをしなくちゃいけないんだと思った。どうして風香が泣かないといけないんだと思った。

 私のせいだ。

 根本的には、風香を取り巻く全員のせいだ。

 私も加奈も、母親でさえも風香のことを解ってやれていない。全員が全員とも風香のことを好きなはずなのに、当の風香には辛い思いをさせてしまうばかりで、好きを押し付けているようなものだ。

 私はこんな顔をさせたいわけでは無い。風香には笑っていてほしいと思う。

 しかし今度ばかりは、その笑って欲しさで風香を圧迫してしまったようだった。

 「風香のせいじゃないから…! 絶対違う、私のせいだ。ごめん、変なこと言って。もう言わないから。もう、風香を疑うようなこと言わないから…」

 「…ありがと。大丈夫だよ。大丈夫」

 「…無理しないでよ」

 「……」風香は少し黙ってから、「…そうだよね。こういうのをやめようって言うんだよね」

 風香は自嘲気味に言って、私の胸に顔を埋める。

 本当はそんな思いしないで良いのに、と私は思う。

 本当は、表情に出にくいのが風香であって、風香なりの私たちへの愛情表現があるはずなのだ。それを見つけないままで、私は風香に責任を求めるようなことをして、本当に風香が好きなのかどうか、という話だ。

 私はもっと風香に寄り添って、風香を理解するべきなのだ。

 「…なあ、風香、さっきは私、ずるい言い方をしたよな」

 「…?」

 私は風香の一番にはなれない。けれど、もっとそばにいることはできる気がするのだ。風香が許してくれるなら、私はもっと風香の近くで風香を支えられる気がする。

 加奈が途中で放り投げたことを、私が引き継ぐわけでは無い。私は私で、風香のことを支えてやりたい。

 風香の恋人になりたい。

 私欲も交えて私は言う。

 「風香…私はね」

 私は、あなたが好き。

 そう口に出しかけた。

 風香に寄り添えるように、もっと風香のそばにいられるように、それこそ魔が差して、私は言おうとした。

 けれど結局、私は何も言えなかった。何も言えずに、笑ってお茶を濁した。

 私は、愛している、ということを風香に伝えることが出来なかった。

 だって、風香の表情を見れば、これを風香に伝えるべきでないことくらい、流石の私でもわかるのだ。

 「…っ! ……っ!」

 風香は怯えていた。まるで火を前にした小動物のように、恐怖に蒼褪め、警戒した顔をしている。

 何に怯えているか、というと、たぶん私という友を失うことにだ。私がこのまま風香に告白したら、私は友達でなくなる。

 じゃあ、恋人になるのか。

 いや、そうじゃない。

 そうじゃないから風香はたぶん怯えている。

 私が告白したら、風香はそれを断るのだ。そうすると、私と風香の関係は壊れて、風香は唯一の友を失うことになる。

 なんで断るのか、といえば、簡単だった。

 「…風香は、加奈のこと大好きだな」

 「え…うん」

 「私は、風香のことが好きだ。でも、加奈のことも好きなんだ。…だから、早く仲直りして、三人で遊ぼうな」

 私はそう言った。笑顔をたたえてそう言った。

 自分の感情を隠して言った。

 自分の色々を塞いで言った。

 風香の中の恋人はどうあっても加奈で、それは揺るがない。

 普通に考えればそうなのだ。だって、初めに風香に話しかけたのは加奈であって、私じゃない。

 風香を孤独から解放したのは、解放できたのは加奈なのだから。

 一番でなくとも恋人にはなれるかと、そう思ったが違っていた。

 立ち位置が空いたからと言って、私が滑り込めるような場所ではなく、もっと言うなら加奈以外が入れる場所ではない。

 それは、ずっと前に、右手を繋ぐことを拒否された時点で解っていたことだった。もしかしたら、なんて思ったけれど、私は結局、友達でしかないのだろう。

 「…う、うん」

 「先に言っておくけれど、仲直りしても私を省かないでくれよ?」

 「そんなことしないよ」

 しかし、私は恋人でなくとも風香のそばにいられるのだ。

 恋人の位置に私が入れないように、友達という立ち位置に加奈が入ることは無い。加奈が友達で風香と関係していくことは無理で、だから二人は離れ離れになったのだろう。

 友達の位置には、私しか収まれないのだ。だから私は甘んじるのではなく、精いっぱい、風香の友達をすべきなのだと思う。

 それが風香のためであり、私のためであり、二人のためなのだろう。

 でも、それでも。

 「…もう少しだけ、こうしてて良い?」

 私は甘えるようにしてそう言った。ガキっぽいなあ、と自分でも思うし、かなり恥ずかしかったけれど、それは夕日が隠してくれるのであまり気にする必要はないようだった。

 「私もそう言おうと思っていたところ…」

 風香は安堵の笑みを浮かべた。

 それを見て私も安心した。

 「…ずっとずっと、私と友達でいてくれる?」

 風香は上目遣いで言う。可愛いなあ、と思った。

 友達として、私として。

 「私もそう言おうと思っていたところだ」

 そう頷いて、私は風香の友達になった。


 『近々面白いことが起こるかもしれない』

 『はあ? どういう意味?』

 『まあ、すぐにわかるさ。あんたは幸せ者だよ…あるいは不幸な奴かもしれないけれど』

 『…ますます意味が解らないよ?』

 『今にわかるさ、せっかちさんめ。あんたは色々思うんだろうけれど、まあ、せいぜい頑張りな。誠実に、実直に、ね』

 未だに慣れないスマートフォンでの入力を終え、加奈にラインを送信する。少しお節介かなーと思ったけれど、まあ、私は友人だから、面倒なくらいが丁度いいのかな。そう思い、わざわざ眠る前に教えてやったのだった。本当は、スマートフォンのバックライトは良い睡眠を阻害するものなのでやりたくなかったけれど、やつが心の準備をするために送ってやったのだ。

 こう言うと恩着せがましいだろうか。本当を言うと、自己満足に等しいことだ。今のようなメッセージを送っても何が何やらわからないだろう。解らないように言葉を選んだのだから、解るはずもない。

 加奈にしてみれば友人がいきなり厨二に目覚めたのか、的な解釈になっているのかもしれない。

 うん。

 業腹である。

 「…ふう」

 ため息を吐いて、ベッドにごろんと寝転がる。

 上手くやれればいいけれど、と風香を想ってそう願う。

 まさか十年越しで本当に再会することになるとは思わなかったが、風香の気合は見習うべきだな。

 「……」

 風香に教えてもらったのは、一週間くらい前のことだった。休日に連絡をしたら会社にいて、それが結構心配だったけれど、丁度お昼休みだったから、と詳しく話してくれた。

 なんでも、偶然が重なってやっと加奈の勤め先に行けるのだとか。

 そりゃあ良かった、と何度か頷いてやったら、風香はとても喜んでいた。それはもう喜んでいた。驚くほどテンションが高かった。

 加奈はそんな風香を見たら驚くのかな、と想像する。

 「…まあでも」

 高校生のころから少し性格の変わった風香だけれど、再会した二人はなんとなく上手く行くような気がした。

 加奈と風香はまた恋人同士になって、今度こそ続いて行くのかなー、と根拠もなかったけれど予想した。

 羨ましーなー。

 私は風香とそんな風になれなかったから、一回でも振りほどいた加奈が恨めしい限りだ。

 「…はーあ」

 漫然とため息を吐いた。

 誰もいない部屋に反響して、自分の耳に届く。

 だらだらと、気怠い感じの涙が流れだす。もう夜だから欠伸の可能性もあるくらいの、曖昧な涙だった。

 私はそこで、ようやく失恋する。

 風香とは友達のまま、一生過ごすのだ。そのことに対して、不満なんてこれっぽっちもないけれど、加奈が恋人に戻らない限り、私は失恋もできないままだった。

 もしかして風香に告白したら上手く行くかも、という可能性が全くないとは言いきれなかったからだ。

 実際、風香は加奈以外のいろんな人と付き合っていた。男も女も年下も年上も関係無く、多種多様な関係を築いていた。そのすべてが長続きせず終わったけれど、その中の一人に、私がなることだってありえたはずなのだ。

 …いやまあ、可能性がゼロに近しいことは解っている。

 なにせ、風香は今でもまだ、私の友達は一人しかいない、と言っているのだから。ある程度コミュニケーション能力を身につけ、割合広範囲に及ぶ交友関係を築いている現在でさえ、本当に友人だと思っているのは友子ちゃんしかいない、と言うのだ。

 いや、じゃあ杏里と呼んでくれよ。

 とは、今更思わないけれど。

 まあつまりは、友達は私、恋人は加奈、それ以外はそれ以外、という風香の中の立ち位置は結局、今まだも健在ということなのだろう。

 だから私は、ずっと風香の友達だ。

 それ以外の関係はありえない。

 私もそう思う。

 「末永く爆発しやがれ」

 私は最後に呟いて、部屋の照明を消した。

 ぱちん。

 ベッドに潜って考える。

 私も恋人とか作って、そろそろ結婚でもするかなあ。

 好きな人と出会って、情熱的に愛して、それで一緒になる。

 思い出もようやく思い出になってくれたことだし、そろそろ私も、現実に構ってやろう。

 高校生からの恋が終わって、私は次のステップへと足を進める。

 ありがとう、楽しかったよ。

 誰に対してというわけでもないが、そう感謝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る