【実践練習第5日目】人称をかえる

○ルール 私小説的な文章、就中、感情をともなう文章を、一人称で執筆する。きようこう、三人称にしてすいこうし、一人称になおす。一人称の文章を客観視する練習である。※一人称の文章、三人称の文章、再度一人称に変換した文章をアップロードしますが、内容はほとんど変化がありません。本来ならば、三人称の文章において、徹底的に推敲すべきなのでしょうが、アップロードするまでに時間がたりないため、文章もあまり変化していません。そのため、推敲方法のテキストとしてはあまり有益ではないかもしれませんので、すみません。


〈絶望にも飽きがくる〉とはじんの言葉だったはずだ。

 わたしも絶望にはけんえんしていたはずだった。

 綿めんばくたる人生はぼうと絶望の連鎖のようにおもわれる。わたしだけではないだろう。るいじやくなるえいが両親をぼうとし断末魔のろうが人生を絶望とするように人生はらんしようからしゆうえんまでぼうと絶望に埋没している。ぼうがあるから絶望があり絶望があるからぼうがあるというような哲学者風をふかしたようなことはいえないがいくばくせいこくをいているようなぶんがする。わたしにとってのぼうと絶望といえばはんぶんじよくれいぶんがくの道程にあったとおもわれる。はつじんさいなことだ。もうまいなる十代にパソコンを享受したことからなんとはなく小説を執筆しはじめた。最初にごうしたのは平平凡凡なる少年が言葉をしゃべるねことともに異世界を冒険しみずからが神の子供だったと発見しながら神をころすというありきたりなる幻想少年小説であった。いんの作品は弱小出版社のコンテストで三次審査を通過することになる。にはぼうも絶望もなかった。〈そういうものか〉というぶんである。やがて継続的に小説を執筆しはじめて七百枚の巨編を〈カドカワエンタテインメントNEXT賞〉に応募した。AからEまでの五段階評価で結果が郵送されるというのだ。〈おそらくAかA-くらいだろう〉とこうかくしていた。結果は〈E+〉である。ほとんど最悪の出来ということだ。でわたしはやくやく絶望した。までにごうしたしつかいの原稿を母親とともにやぶってにした。前後して応募していた坊っちゃん文学賞側から葉書がとどく。〈また応募してくれませんか〉とのことだ。さいたるざんとなっていたぼうを鬱勃たらしめて中編一ぺんごうして〈どうせなら文学界最高峰の新人賞で腕試ししたい〉とおもいぶんがく界新人賞に応募する。結果は一次選考通過であった。わたしはきんじやくやくとした。から五大文藝誌の新人賞を中枢に二十回じよう中編長編を応募してきた。結句予選通過したのはいんの一次通過をほうして四回のみ。感慨深いのは予選通過した四回の歓喜よりも二十回じようの一次選考落選の絶望のほうがめいちようとしてかいであったことだ。

〈絶望に飽きることはない〉とわたしはいえるだろう。


○三人称に変換。


〈絶望にも飽きがくる〉とはじんの言葉だったはずだ。

 かれも絶望にはけんえんしていたはずだった。

 綿めんばくたる人生はぼうと絶望の連鎖のようにかれにはおもわれる。かれだけではないだろう。るいじやくなるえいが両親をぼうとし断末魔のろうが人生を絶望とするように人生はらんしようからしゆうえんまでぼうと絶望に埋没している。ぼうがあるから絶望があり絶望があるからぼうがあるというような哲学者風をふかしたようなことはいえないがいくばくせいこくをいているようなぶんかれにはする。かれにとってのぼうと絶望といえばはんぶんじよくれいぶんがくの道程にあったとみずからにはおもわれる。はつじんさいなことだ。もうまいなる十代にパソコンを享受したことからなんとはなく小説を執筆しはじめた。最初にごうしたのは平平凡凡なる少年が言葉をしゃべるねことともに異世界を冒険しみずからが神の子供だったと発見しながら神をころすというありきたりなる幻想少年小説であった。いんの作品は弱小出版社のコンテストで三次審査を通過することになる。にはぼうも絶望もなかった。〈そういうものか〉というぶんであったのだ。やがて継続的に小説を執筆しはじめて七百枚の巨編を〈カドカワエンタテインメントNEXT賞〉に応募した。AからEまでの五段階評価で結果が郵送されるというのだ。〈おそらくAかA-くらいだろう〉とこうかくしていた。結果は〈E+〉である。ほとんど最悪の出来ということだ。かれやくやく絶望する。までにごうしたしつかいの原稿を母親とともにやぶってにした。前後して応募していた坊っちゃん文学賞側から葉書がとどく。〈また応募してくれませんか〉とのことだ。さいたるざんとなっていたぼうを鬱勃たらしめて中編一ぺんごうして〈どうせなら文学界最高峰の新人賞で腕試ししたい〉とおもいぶんがく界新人賞に応募する。結果は一次選考通過であった。かれきんじやくやくとした。から五大文藝誌の新人賞を中枢に二十回じよう中編長編を応募してゆく。結句予選通過したのはいんの一次通過をほうして四回のみ。感慨深いのは予選通過した四回の歓喜よりも二十回じようの一次選考落選の絶望のほうがめいちようとしてかいであったことだ。

〈絶望に飽きることはない〉とかれはいえるだろう。


○再度一人称に。


〈絶望にも飽きがくる〉とはじんの言葉だったはずだ。

 わたしも絶望にはけんえんしていたはずだった。

 綿めんばくたる人生はぼうと絶望の連鎖のようにわたしにはおもわれる。わたしだけではないだろう。るいじやくなるえいが両親をぼうとし断末魔のろうが人生を絶望とするように人生はらんしようからしゆうえんまでぼうと絶望に埋没している。ぼうがあるから絶望があり絶望があるからぼうがあるというような哲学者風をふかしたようなことはいえないがいくばくせいこくをいているようなぶんがわたしにはする。わたしにとってのぼうと絶望といえばはんぶんじよくれいぶんがくの道程にあったとみずからにはおもわれる。はつじんさいなことだ。もうまいなる十代にパソコンを享受したことからなんとはなく小説を執筆しはじめた。最初にごうしたのは平平凡凡なる少年が言葉をしゃべるねことともに異世界を冒険しみずからが神の子供だったと発見しながら神をころすというありきたりなる幻想少年小説であった。いんの作品は弱小出版社のコンテストで三次審査を通過することになる。にはぼうも絶望もなかった。〈そういうものか〉というぶんであったのだ。やがて継続的に小説を執筆しはじめて七百枚の巨編を〈カドカワエンタテインメントNEXT賞〉に応募した。AからEまでの五段階評価で結果が郵送されるというのだ。〈おそらくAかA-くらいだろう〉とこうかくしていた。結果は〈E+〉である。ほとんど最悪の出来ということだ。でわたしはやくやく絶望する。までにごうしたしつかいの原稿を母親とともにやぶってにした。前後して応募していた坊っちゃん文学賞側から葉書がとどく。〈また応募してくれませんか〉とのことだ。さいたるざんとなっていたぼうを鬱勃たらしめて中編一ぺんごうして〈どうせなら文学界最高峰の新人賞で腕試ししたい〉とおもいぶんがく界新人賞に応募する。結果は一次選考通過であった。わたしはきんじやくやくとした。から五大文藝誌の新人賞を中枢に二十回じよう中編長編を応募してゆく。結句予選通過したのはいんの一次通過をほうして四回のみ。感慨深いのは予選通過した四回の歓喜よりも二十回じようの一次選考落選の絶望のほうがめいちようとしてかいであったことだ。

〈絶望に飽きることはない〉とわたしはいえるだろう。

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