【実践練習第3日目】最初の記憶を書く

○ルール 個人的なる最初の記憶、畢竟、〈原風景〉をできるだけ精緻に執筆する。意味深なる前書き、後書きはいらない。記憶そのものをあざやかに描写する練習である。


 あいたいたるむらくもさんそうしていたのかすい色のそうきゆうに白銀の太陽がかくやくしていたのかは記憶にない。陰陰滅滅たる雰囲気がまんしているがけつけつたる雨粒ひとつふっていなかったのはたしかである。じんぜんたる毎朝けばけばしい送迎バスが往還していたはずだがしようりようたる工場ちゆうみつ地帯の実家から母親にきようどうされて徒歩でほうちやくした記憶がある。幼稚園だ。造次てんぱいもなく入園する予定ゆゑに母親がおともだちの様子幼稚園とはなる場所かをでんするがためにきようどうしたのだろう。記憶そのものはめいちようである。もうりようちようりようばつする悪夢ほどめいちように記憶しているようにめいちようである。かいわいゆうすいたる墓地のしつする仏教系の幼稚園であるが幼稚園内はしゆんぷうたいとうとしていた。抑ゝぎよう混濁の現世においてしゆんぷうたいとうたる光景というものたいなにがしか不気味である。がんぼうほうふつされない母親とともに幼稚園内をはるかすとせんせいが子供たちに毎朝の挨拶をしているようで二十人前後のおともだちが理路整然たる数式のように二列か三列に整列せしめられ体育座りをさせられていた。かくりようたる室内は瑠璃色の壁面にじようされてさんらんとしておりたいしよてきに母親とともにてきちよくしている入口かいわいりんれつたる寒風がしようしつを木霊しているような黒褐色であった。がんぼうあいまいとした女性のせんせいがちらをかえりみて微笑する。ないに二十人前後のおともだちがちらを仰視して微笑する。てのひらをひらめかせるわけでもない。数列のように網羅された顔面たちが数列のような位置関係のまま微笑するのだから数列そのものが微笑しているようなものである。いんの光景そのものが悪夢じみている。黒褐色の世界からかんしたいんの瑠璃色の世界がなにゆゑに不気味かといえばまでいくばくかの家族という文化のなかできくいくされていた意識が二十余人の社会という文明にかいこうしたカルチャーショックゆゑである。意味がわからない。母親と同年代のがんぼうの曖昧な女性はなにものなのか。なにゆゑに女性のもとで子供たちが整列せしめられそんきよしているのか。数列というが陳腐ならば玩具おもちやといってもよい。いんの光景はひとりの女性が二十余人の子供を玩具おもちやとして整列させているように直観させられたのである。しやはんの光景を政府と国民とのアナロジーとして認識していただいてもかまわないがの記憶はただ玩具おもちやにされたいのちたちの微笑〉なのである。

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