第1章 おかえりなさい異世界 2
白い防魔服に身を包んだ人物は息も荒く、こちらへと歩み寄る。
僕はアザミの前に立ち、両手を広げてかばいながら、体勢を低く保って相手の出方を伺う。
しかし身構える僕をものともせず、一歩、また一歩と近づいてくる防魔服の人物。
睨みつけ、威嚇してみせる。
しかし、実際は小刻みに震える脚。周囲に聞こえるほどに高鳴る心音。
防魔服の人物が息を荒げながら一歩近づく度に、鼓動は激しさを増していく。
必死に背中にしがみつくアザミ。押し付けられた身体の震えが、薄いシャツ越しに伝わってくる。
武術の心得などない僕にはどうしようもない。できることと言えば、より一層両手を広げてアザミの盾になるだけだった。
「ふぅ……。暑いわねこれ」
白い頭巾を取り、顔を見せたのはカズラだった。
荒げていた呼吸は、暑さからのものだったのか。
脅かすにもほどがある。
「それにしても……。たった一人相手にそれじゃ、頼りにならなすぎだわ」
「びっくりしたよー……。脅かさないでよ、カズラ」
「ほんとだよ。警護隊かと思って身構えちゃったじゃないか」
今なお、僕の背中にしがみつくアザミ。
まだ余韻が残っているせいか、握りしめる力は緩んでいない。
そして、背中に当たる柔らかい感触。思わず顔が緩む。
さっきは感じる余裕などなかったが、今は心地いい。
「あのへっぴり腰で身構えてたつもりなの? まあ、逃げださなかったのだけは褒めてあげるわ」
僕がアザミのことを守れるかどうか試したというのか、悪趣味な。
だが、自然と身体は動いた。立ちはだかるように、アザミの前へと。
初めて出会った時に、一目散にゲークスから逃げようとした頃を思えば、進歩あっただろうか。
だが、実力は伴っていない。本当の敵だったらあっさりやられていただろう。
「さて、いつまでもここで遊んでるわけにもいかないわ。急いでこれ着てくれるかしら」
そう言ってカズラは、左腕に抱えていた白い大きな布を差し出す。
きっとこれは、カズラも着ている防魔服だろう。警護隊に成りすまして、ここを脱出しようということか。
受け取ったものの、防魔服の着方なんてどうすれば……。と思ったが、広げてみれば形状はポンチョと同じ。着方も同様に裾から一気にかぶって、脇に腕を通すだけだった。
「よいしょっと……。どうですか? 似合ってますか?」
こんなときだというのに、目新しい服装にはしゃぐアザミ。
以前やってみせたように、くるっと回ったりして防魔服姿を見せびらかしている。
「浮かれてる場合じゃないわよ。これも被ってね」
カズラが今度は小さめの白い布を手渡す、これは頭巾か。
防魔服一式を身に着け、再び暑さがぶり返す。
せっかくコートを脱いで、少しましになったというのに束の間だった。
だがここには、これを着た警護兵がうようよしているというなら、紛れるにはこの上ない変装だ。木を隠すなら森の中というやつか。
それに頭巾を被れば顔も隠せる。アザミとカズラはサイズ的にやや無理があるものの、外は夜だろうし気付かれはしないだろう。
「防魔服ってとんでもなく高価なんだろ? 大丈夫なのか? 盗んじゃって」
「様子を見に詰所に入ったら誰も居なくて、部屋の隅に無造作に置いてあったわ。沢山あったし大丈夫なんじゃない? むしろ、本当にそんなに高価な物なのかしらって疑問に思ったぐらいよ。そんなことより、着替え終わったならとっとと行くわよ」
「はーい」
遠足の児童が引率の先生にするような、緊迫感の削がれるアザミの返事。
だが遠足という言葉が似合うのは、リュックを背負った僕の方かもしれない。
痕跡を残さないように、床に脱ぎ散らかされた三人分のコートをかき集め、カズラに続いて部屋を後にした。
扉を出ると、緩やかな階段が目の前に現れる。
ゆっくりと三人で上り切ると、今度は本殿よりも二回りほど広い部屋に出た。きっとこれは拝殿だろう。
神社の造りは、ヒーズルでは共通なのだろうか。
振り返ってしげしげと眺める、本殿からここまでの通路。
見れば見る程に、ソーラス神社とそっくり。自然と、あの時の光景が頭の中に再現される。
ここで反国王派と国王派の一進一退の攻防の終結を、じれったい思いをしながら待っていたこと。
思惑通り反国王派が打ち破り、界門への道が開けたと思われたこと。
そしてロニスに阻まれ、アザミを日本へ送るために、ケンゴが身を挺してくれたこと……。
「……さま、兄さま」
「こんな大事な時に何ボーっとしてんのよ。置いてくわよ」
「ご、ごめん……」
ついつい感傷的になってしまったが、確かに感慨にふけっている場合ではない。
だが鼻をすするアザミも、きっと涙を浮かべているのではないだろうか。
頭巾のせいでその表情は良く見えないが、きっと同じ気持ちだったに違いない。
開け放たれた拝殿の扉の外は、やはり夜。
念のために拝殿内は壁伝いに進み、その扉へと到達する。
「どうやら大丈夫そうね。行きましょう」
扉から顔を出して外の様子を伺っていたカズラが、こちらに振り返り頷く。
僕とアザミも頷き返してカズラの後へと続く。
さて、次にやるべきことはマスターとの合流だ。
建物の外には無事出られたものの、敷地も狭くはないのだろう。
どうやって捜索したものかと考え始めるや否や、聞き慣れた声で叫ぶ男がいる。
「大変だー。反国王派がとんでもない爆弾を持ち込んだぞー。爆発したらこの辺一帯が吹き飛びそうだー。早くみんな逃げろー」
内容とは裏腹に緊迫感がなく、言っていることも適当この上ない。
どうみても下手な芝居を打っているマスターは、すぐに見つかった。
「父さん……。自信たっぷりだった考えって、これのことだったの? もう恥ずかしくて街を歩けないじゃないのよ」
「でも、本当に警護兵居なくなってるよ。カズラのお父様すごいよ、本当に追い払ってくれたじゃない」
確かに周辺に人影はなさそうだ。
王子捜索隊長の発言だから効果があったのか、それとも外界の科学力ならそれもあり得ると考えたのか……。
どちらにしても、あっさりと警護兵たちは騙されてくれた。
この分なら、この神社から遠く逃げることも難しくはなさそうだ。
「――さあ、みなさん。道案内は私にお任せあれ」
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