第12章 備えあれば憂いなし 2
三が日は終わったものの、都心の交通量はまだまだ少ない。
今年の年始は僕の在籍していた、そして今なお主任の勤める会社も含め、今日までが休みのところが多い。世の中の多くの社会人は、冬休み最終日を名残惜しく過ごしていることだろう。
「店員さん不審そうな顔してたわよ、山王子くん」
「そりゃそうですよね。防犯ブザーをこれだけ大量に買い込んだら……」
「それで? 次は、何処へ行けば良いのかしら?」
――買い物リストを取り出して眺めながら、昨夜の作戦会議の直後を思い出す。
「今回、向こうへ持っていくものの相談なんだけど……」
作戦会議自体はひとまず終わったものの、今日からは会話という会話が当日へ向けた準備一色となりそうだ。何しろ界門が出現するまであと三日、その時の行動次第でここにいるみんなの運命にも影響を及ぼすのだから。
「洗剤とスポンジは欠かせないわよね」
「チョコレートとマカロンをおすすめします、兄さま」
いや、ちょっと待って欲しい。
確かに僕が前回向こうへ行った時も観光気分で、リュックを開けてみたらお菓子が山のように入っていたが、二人の選んだ品も相当にひどい。チョコレートにマカロンじゃ旅行のお土産のようだし、洗剤とスポンジに至っては実用的過ぎて涙ぐましい。
「そういうんじゃなくて……。僕が聞いてるのは、こっちの世界にしかなくて、向こうで役立つ物をね……」
「こんなに美味しいお菓子は、向こうにはないんですよ。兄さま」
「これほど油の汚れまで落とせる洗剤やスポンジだって、あっちにはないのよ。あんたは、向こうの暮らしの苦労がわかってなさすぎるのよ」
ダメだ、全然取り合ってもらえない。
真剣にアドバイスしてくれているようだが、僕の求めている物とは全然違う種類の答えだ。そういった物は改めて自分たちが帰る時に、各自で持参してもらいたい。
「一応、その辺もリストに入れておきましょう。優先順位を付けて、持ち切れなければ諦めるということで……」
「そ、そうですね。じゃあ、その他の物も考えてくれるかな」
「フライパン。こびりつかない奴」
「家庭用品から離れようか……」
結局、このリストは僕一人で作ったようなものだったなと、ついついため息が漏れる。
かさばらなくて役に立つライターやボールペンなどの文房具、携帯電話用の電池式充電器と大量の電池。そして、前回活躍した懐中電灯にアルミホイル。防犯グッズは直接的に効果があったので今回は力を入れて、防犯スプレーは強力な物も含めて多めに、襲撃を受けた時に使ったスタンガン、さらには少し商売っ気を出して防犯ブザーも大量に持って行くことにした。
「次は、いよいよマカロンを見に行く番ですね。兄さま」
「次は、強力な洗剤に決まってるじゃないの」
やはり、一夜明けても忘れてはいないようだ。
そして当人たちは至って真面目なのだから、余計たちが悪い。
買い物リストを再確認してみると、今買った防犯ブザーで一通り終了だ。後部座席からのリクエストの声は聞こえない振りをして、最後に立ち寄るべき住所をカーナビに打ち込み、主任に行き先を伝える。
「――お引き取り下さい」
ヒーズルへ行く前に、もう一度会っておかなければいけない人物がいる。
今日を逃したら、もう会う機会はない。
しつこく食い下がるのは迷惑だと承知の上で、再度インターホンを押して必死に呼びかける。
「もう、ここへ来られるのは今日が最後なんです。どうしても直接伝えないといけない話があるので、待たせてもらえませんか」
「待っても無駄ですよ。詩音はいませんから」
「ご迷惑かもしれませんが、帰るまで待たせてください」
しばらく間があって、インターホン越しにため息が聞こえたかと思うと、根負けしたという感じで憔悴したような声が聞こえてきた。
「……詩音は、半月近く帰ってきていません……。少々お待ちください」
そして、静かに玄関のドアが開かれた。
居間に通されたが、ケンゴの話はしないというのが条件だ。
やはり、今の生活をかき乱されたくないのだろう。せめて安否だけでも伝えたかったのだが、前もって釘を刺されては黙るしかない。
それにしても、ここはどうにも居心地が悪い。
同席を拒まれた男の子と父親らしき人物の視線が、さっきから痛いほど突き刺さっているからだ。廊下を通り過ぎる度に、こちらの様子を伺っている。それが開けっ放しの入り口越しに見えるのだが、いかにもわざとらしい。
あの二人は、この間詩音が言っていた弟と新しい父親だろう。怪しげな訪問客が気に掛かるのは仕方のないことか。
「半月ほど前、この手紙を残してあの子は家を出て行きました」
そう言いながらテーブルに差し出された手紙を、僕は手に取って読み始める。
両隣からアザミとカズラも覗き込むように手紙の文字を見つめているが、漢字交じりなので読めてはいないだろう。仕方がないので、少々恥ずかしいが小声で読み上げる。
「私はこの家に引っ越して以来、自分の居場所というものを見つけられずに今日まで過ごしてきました。そして、この先も見つけられる自信がありません。
私は自分の居場所を探しに家を出ます。
私なんか必要なくなったお母さん、そしてその夫には探してもらいたくありません。さようなら。詩音』
一通り読み上げ終わると、目の前でケンゴの奥さん――離婚は既に成立してるようなので元奥さんというべきか――は涙をこぼした。
アザミからも鼻をすする音が聞こえる。つられて目を潤ませているようだ。
「警察に捜索願いを出して、学校のお友達にも連絡を取ってみましたが、一向に見つかりません。そして、一ヵ月ぐらい前にあなた方が訪ねてきたことを思い出して、あるいはと思っていたのですが……。
こうして再び訪ねてくるぐらいですから、居所をご存知のはずもありませんよね……」
「ええ、残念ですが……」
こんなに思い詰めていたのなら、何度か会いにきて話だけでも聞いてあげていたらと後悔するが今更だ。
重苦しい空気が流れる中、ケンゴの元奥さんは懺悔のつもりなのか、少しずつ自分の思いを語り始めた。
「私は、あの人を捨てて今の生活を選んだことは後悔していません。やはり女手一つで、詩音を育てながら生活していくのは辛すぎましたから……。
でも、新たに授かった息子が身体が弱くて、そっちに掛かりっきりになってしまったのがいけなかったのかもしれませんね。姉だからと、知らず知らずのうちに我慢を強いてしまったのでしょう。そして私も負い目があるので、ついつい叱ることもできずに……。
また、大事な人と生き別れになるなんて…………。
今の私にできるのは、あの子が無事に帰ってきたときに、ちゃんと母親として接してあげるだけです……」
掛ける言葉も見つけられず、詩音の家を後にする。
そして、明らかに気落ちして車に戻った三人に、心配そうに主任が気遣う。
「一体どうしちゃったのよ、みんな。山王子くんも明後日は出発なんだから、シャキッとしないと」
「向こうでケンゴさんになんて言えばいいのか考えたら、帰る気力が失せてきました……」
残してきたケンゴへの手土産にしようと思っていた詩音のメッセージも、結局聞けたのは前回会った時の苛烈な言葉だけ。そして今はグレていて、さらに現在家出中なんて口が裂けても言えない。伝えられるのは『元気でした』の一言ぐらいだろう。
どうしても、ため息ばかりが漏れる。
だが、隣の主任は妙に機嫌が良さそうに見えるのは気のせいだろうか。
「――だったら、もう異世界行きなんて取り止めにして、このまま家に住んじゃいなさい。みんなまとめて面倒見るわよ」
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