第2章 王女の受難

第2章 王女の受難 1

 ――窓の外でクラクションが鳴る。


 ベランダから身を乗り出し下を見ると、昨日も長時間乗った主任の軽自動車がハザードランプを点けて止まっている。さっき『渋滞に巻き込まれた』と電話があったので心配していたが、思ったほど遅くならずに済んだようだ。

 僕はアザミに「ちょっと出てくる」と声を掛け、主任を出迎えるために玄関を後にした。


「よっこいしょっと」


 主任から、車のトランクに積んであった段ボール箱を手渡される。

 昨夜の風呂の後に急遽頼んだ物だろう。また主任に頭が上がらない借りができてしまった。一体いつになったら返せる日が来るというのか……。

 両手で抱える段ボール箱の上に、さらにもう一箱追加される。視界を塞がれて面食らうが重量的には大丈夫だ、大した重さじゃない。


「近所のコインパーキングに停めてから、また来るわね」


 そう言い残して主任はひとまずその場を去った。

 寝室の窓を見上げると、アザミが心配そうな面持ちでソワソワしている。そして僕は、ワイシャツ一枚のままで無防備に窓際に立つアザミにハラハラする。まずは急いで家に戻らなくては。


 階段の下から玄関を見上げると、わずかに開いたドアからアザミが覗いている。

 多分、手伝いたいけれど男物のワイシャツ一枚では外にも出られず、やきもきしているといったところだろう。

 階段を上り切ると段ボール箱が一つ取り上げられ、一気に視界が開ける。


「主任さん帰っちゃったんですか?」

「いや、車を停めたらまたすぐ来るよ」

「で、兄さま。これ何ですか?」

「さあ、何だろうね」


 中身は僕が頼んだ物だと思うので質問にも答えられるが、提供してくれた主任に敬意を払って今は内緒にしておく。

 ひとまず寝室の隅に段ボール箱を積み上げ、アザミにせめて何か羽織るようにとパーカーを手渡す。しかし、充分に暖房の効いた部屋でこれ以上着るのは暑いと、アザミは不思議そうな顔をして拒む。そういうことではなくて、この格好では主任に誤解されるからだと説明するが、今度はどんな誤解を生むのかと説明を求められた。

 そんなやり取りで手間取っていると、インターホンが来客を知らせる。


「あ、来たみたいですね。主任さん」


 主任とは会社での役職名なのだが、もうすっかりアザミにとっても主任で定着してしまった。アザミも昨日一緒に長時間ドライブして面識もあるせいか、あまり警戒もせずにドアを開ける。


「ちょ、ちょっと山王子くん。あなた妹さんになんて格好させてるのよ」


 ああ、だから言ったのに……。

 これでは軽蔑されてしまいそうだ。だが、失踪というこれ以上ない背信行為をして、とっくに信用など地の底に落ちているだろうし、いまさら軽蔑もないかとうなだれる。

 だがそれなら、主任は何で未だにこれ程までに親切にしてくれるのだろう、逆に疑問に思う。



「――じゃっじゃじゃーん」


 アザミと一緒に寝室に消えてから十五分。安っぽい肉声ファンファーレと共に、主任が居間のドアを勢い良く開く。

 そしてドアの向こうに立っているのは、シンプルなフレアのロングスカートに上はトレーナーという地味な装いのアザミだ。だが、こちらの世界の服装が何とも新鮮で、とても似合っている。


「すっごく、可愛いよ」

「本当ですか? おかしくないですか?」

「大丈夫だ、似合ってるよ」


 アザミは不安そうに恥らうが、このまま街へ連れ出しても全然問題ない。

 いや、むしろ自慢の妹として連れ歩きたいぐらいだ。


「本当にありがとうございます。後でお金は払いますんで」

「いいの、いいの。どうせもう着ない服なんだし。その代わり今日は、妹さんに着せ替え人形になってもらうわよ。覚悟はいい? アザミちゃん」

「それでこの服の恩返しになるのなら……」


 アザミも、大量の服を提供してくれた主任に感謝の気持ちを示す。

 だが、気迫溢れる『着せ替え人形』発言には不安が隠せない様子だ。


「さあ、今度のアザミちゃんはどんな姿を見せてくれるでしょうか」


 マイクを握り締める構えまでするノリノリの主任に促されて、アザミがひょっこりと顔を出す。

 今度はスーツ姿だが、なかなか決まっている。

 背格好が近いお陰で違和感なく着こなせているようだ。


「ちょっと……胸がきついです……」

「あー、これ私が中学生の頃の服だったかも……」


 確かに、ブラウスのボタンがはじけ飛びそうにぱつんぱつんだ。

 それにしても、顔を引きつらせながらの主任の言い訳はさすがに無理がある。中学生がこんなビジネススーツなど着るものか。



 ファッションショーは一向に終わる気配を見せない。

 デニムパンツ、ワンピース、タイトスカートにジャンパースカート。それに合わせてトップスも次々とコーディネートを変える。段ボール二箱の中に、一体どれだけの服が詰まっていたのか。

 アザミが衣装を変えて再登場する度に、また違った姿を見ることができて僕は嬉しいが、さすがにその表情には疲れが見える。


「そろそろ、ファッションショーはお開きにしませんか?」

「もっと着せ替えしたかったのになー。山王子くんのケチ」

「いやいや、アザミも疲れたみたいですから。いい加減、休ませてあげてくださいよ」

「そっかー、ごめんねアザミちゃん。妹に服をあれこれコーディネートするのが夢だったから、ついはしゃいじゃって」

「いえ、私なら大丈夫です」


 主任の意外な一面を垣間見た。

 会社ではプライベートな話もしないし、行事も敬遠気味の僕には、会社以外で主任と話す機会もほとんどなかったからだ。


「最後に一着だけ、着替えてもらってもいい?」

「私は構いませんけど……」


 勝手な返事もできないと、アザミは僕の方をチラチラと見る。

 そして主任も、顔の前で手まで合わせて懇願する。

 大恩人の主任にそこまでされたら断れるわけがない。


「本当に、次で最後ですよ?」


 その言葉を聞き終えるか終えないうちに、主任はアザミの背中を押しながら寝室へと消えて行った。

 今回はやけに時間が掛かる。そしてやけに騒がしい。

 僕は不安を感じながらも、妙な期待感も高めていた。

 そして主任に手を引かれ、アザミが登場する――。


「ちょ、ちょっとアザミ……」

「あーん、やっぱり無理です。ごめんなさい」


 アザミは顔を両手で覆いながら、すぐに寝室へと駆け戻ってしまったが、僕の脳裏には艶めかしい白いビキニ姿が完璧に記録された。主任に心の中で感謝をしながらも、建前的に正反対のことを言う。




「――主任、妹になんて格好させるんですか!」

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