第1章 異世界へようこそ 2

「――ただいま」


 二人分の弁当と当面の飲み物、お菓子を少々と肉まんを二つ。

 口に合うだろうかと不安を抱きながら居間のドアを開けると、テーブルに突っ伏して眠るアザミの気持ち良さげな表情が目に飛び込む。

 昨夜はあれだけの騒動だったのだから疲れていて当然か。主任の車の中で寝ていた時間もせいぜい三十分ぐらいだし、このまま寝かせておいた方がいいかもしれない。


 自宅に入ったら女の子がいる。なんて素晴らしい光景なんだろう。

 得も言われぬ満ち足りた気分に、買い物袋を提げたまま棒立ちで感慨にふける。

 優しく微笑むようなその寝顔は、いくら見ていても飽きない。眺めているとこちらまでつられて優しい気持ちに包まれる、そんな気分だ。だが、少し視線をずらしただけで気分は一変した。

 部屋も充分に暖まったせいか、さっきまで着ていたパーカーは畳まれて足元に置かれている。当然身に着けているのは向こうの服だが、前かがみの体勢のせいか胸元の合わせも無防備に緩い。心臓が鼓動を速める――。


「あ、すみません。寝ちゃってました……。おかえりなさい」


 アザミは目を擦りながら身体を起こす。

 僕の視線は、眠りを覚ましてしまうほど強烈だったのだろうか……。

 悟られないように慌てて買い物袋に目を向け、中からまだ温かい肉まんを取り出すと、アザミに手渡す。


「うわあ、熱々ですね、ありがとうございます。これはなんて言う食べ物なんですか?」

「これは肉まんだよ。中の具によってあんまんだったり、ピザまんだったり、カレーまんだったり名前は色々だ」

「不思議な食べ物ですね。それにこの感触もフワフワして、白はんぺんみたいです」


 まだ熱くてしっかりと持てない肉まんを、お手玉のように右手、左手と移しながら少しずつ冷めるのを待っている。そんな仕草も異世界共通か。

 何とか視線をごまかせたことに胸を撫で下ろしつつ、買ってきた弁当をテーブルの上に並べる。同じ物を買ってもつまらないと思い、無難なハンバーグ弁当と唐揚げ弁当にしてみたが、アザミはどちらを選ぶだろうか。

 だがアザミは弁当よりも、手渡した肉まんに未だ心惹かれているようで、頬っぺたに当てて温もりを感じ取ったり、匂いを嗅いだりしている。向こうの世界では味わったことがないんじゃないかと思って選んでみたが正解だったようだ。

 出掛ける前に淹れてぬるくなったコーヒーを口に含みながら、アザミが肉まんにかぶり付く様子を眺める。


「――これ、とっても美味しいです。レオ兄さま」


 口に入れたコーヒーを吹き出しそうになるが、何とかこらえた。

 社会に出てから名前で呼ばれることは、そうそうない。ましてや、こんな可愛い子に『兄さま』と呼ばれて悪い気がするはずもない。思わず鼻の下が伸び掛けるが、誤解は解いておかなければ。きっとアザミは、さっきの車内での会話を本気にしている。


「さっきアザミは僕の妹だって言ったけど、あれは主任の質問をごまかすための嘘だったんだ。本気にしたならごめん、謝る」

「そう、ですよね……」

「悪かった」


 悪気はなかったのだが、ついていい嘘ではなかったかもしれない。

 アザミの曇った表情に罪悪感を憶える。

 確かアザミは小さい頃に兄と生き別れたと言っていたはずだ、その気持ちを逆撫でしてしまったのなら本当に申し訳ないことした。


「いえ、いいんです。向こうにいた時から、そうだったらいいなって思ってたんですけど、さっき妹って言われてその気になっちゃっただけですから……。

 だって、の山王子さん……が兄のはずないですし」

「そういや、さっき『レオ兄さま』って言ってたけど、お兄さんの名前はレオだったの?」

「ええ、ヒーズルでは第一王子をレオ、第一王女をナデシコと命名するのがしきたりですから」


 名前も一緒だったから、なおのことだったという訳か。

 チョージが勇ましい名前だと笑った理由は、きっとこれに違いない。まさか異世界を後にしてから知るとは思わなかった。ついでなので、もう一つの疑問にも結論を出しておきたい。

 

「ひょっとして、ヒーズルでは名字があるのは特別なことなの?」

「そうですね、名字を持っているのは王族や貴族と、その周辺の者ぐらいですね」


 やはりか、半月かかってやっと疑問が完全に解決した。

 思わずガッツポーズをする僕を、アザミが不思議そうな目で見つめる。


「いや、向こうでアザミたちに会う前に、『山王子さんのうじ 玲央れお』って本名を名乗ったら大笑いされたんで、ずっと疑問に思ってたんだよ」

「名字があっておまけにレオと言われたら、ヒーズルの人ならビックリするか、冗談だと思うでしょうね。一歩間違えば不敬罪ですから」

「不敬罪……。その時の反応で、僕の名前はこの世界じゃまずいんだって感じて、『カズト』って偽名を名乗ったんだけど……。どうやら正解だったみたいだね」

「そんなことがあったんですね」


 アザミは他愛のない話に笑顔で相槌を打つが、さっきまでの元気はない。

 妹と言ったのは嘘だと白状してからというもの、やはり物悲しそうで寂し気だ。かと言って、嘘をついて実の兄を演じたところで誰も幸せにはならない。


「アザミ、……本当の兄妹じゃないけどこの世界では僕が兄で、アザミが妹だから。たった今からアザミは『山王子 アザミ』だ。こんな頼りない兄じゃ不満かもしれないけど、何でも言ってくれ」


 ずっと天涯孤独で生きてきたのと、ライトノベルを読みふけった影響もあって、思わず願望に近い励ましの言葉が口を衝く。やましい気持ちが微塵もないかと言えば、正直なところ自信はないが、憂うアザミを見るのが我慢ならなかったのは確かだ。

 アザミの驚いた表情を見て、図々しかったかもしれないと後悔が浮かんだが、次の瞬間、彼女の表情が一気に明るくなったのがはっきりとわかった。




「――ありがとうございます。ふつつかな妹ですがよろしくお願いしますね、レオ兄さま」

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