第15章 闇の中へ 4

 ――これほどまでにじれったいと感じたことが、今までの人生にあっただろうか。


 目的地は目前、多分二十メートル程度。そして界門が出現するまでの時間はあと五分、閉じてしまうまで二十分だ。だがここまで来たというのに、目の前は諍いの真っ最中で先には進めない。

 懐中時計を握りしめるケンゴの手は傍から見てもわかるほどに力が入り、一分と経過しないうちに何度も時計に目を移す。


「参ったな……いっそのこと加勢するか?」


 本殿の様子を伺う度にチラチラと見える黒装束は、どう見ても界門を通すまいとする警備兵を襲撃している悪者だろう。不本意だが今だけは利害が一致している、早く界門への道を切り開いてくれと願わずにいられない。ケンゴの言葉もまんざら冗談ではないように聞こえる。


 魔法の国の争い。

 派手な魔法をぶつけ合う、華やかなものを想像していた。

 だが数メートル先から聞こえてくるのは、剣と盾がぶつかり合うような金属音や鈍い打撃音だ。防魔服に身を包んでいる者同士では、有効なのは物理攻撃ということなのか。もっと間近で観察したいところだが、本音を言うと足がすくんでこれ以上進めそうもない。


 背中にしがみつくアザミから、身体の震えが伝わる。きっと、緊張も極限に違いない。

 声として成していないぐらいの小さな呟きを繰り返しているのが聞こえてくる。自己暗示を掛けて気を落ち着かせようとしているのか、それとも作戦の成功を祈願しているのか……。

 アザミの震えが呟きと共に大きくなるのを感じたので、せめてもの安らぎになればと、左の肩に乗るアザミの手に僕の右手を重ねる。すると、少しは落ち着いたのか呟きは止み、掴まれていた肩は解放され、代わりに右手が握られる。


「界門が現れるな……」


 懐中時計に注目していたケンゴが呟く――。


 ――ヒュルルルル。


 風の音が遠くで鳴いた時、戦況が動く。


「時間だ! 進め!」

「うおー!」


 今までにない威勢の良い喚声があがる。

 界門の現れる時刻に合わせて号令を掛けたようで、しばらく続いていた膠着状態を打ち破る気勢は今までの比ではない。


「押し進め!」

「させるか!」


 聞こえてくる声と音にじっと耳を傾け、戦況を想像しては思わず握りこぶしを固める。他力本願だが、今はこの状況に乗じるしかチャンスはないのだ。

 声がわずかに遠ざかったように感じるのは押しているということか。ケンゴも襲撃側の優勢を察知したようで作戦を告げる。


「いいか、奴らが押し入ったら俺らも続いて界門に飛び込むからな。アザミちゃん、覚悟は良いかい?」

「はい」


 アザミはさっきまでの心細さは吹き飛んだようで、力強い目でケンゴの指示に大きく頷く。


「どうやら、もうすぐお別れのようだ。もしもお前さんも帰ることがあったら、いつでも訪ねてくれや」

「わかりました」


 そう言って、ケンゴは紙切れを手渡した。

 きっと、向こうの連絡先でも記してあるのだろう。今のところ帰るつもりは毛頭ないが、この先何があるかはわからない。丁寧に落とさないようにポケットの奥深くへとしまい込む。


 さらに戦闘音が遠のく。

 それに合わせて、ケンゴもじりじりと幣殿の階段を一段ずつ様子を見ながら、低い姿勢で降り始める。

 また戦闘音が遠のく。

 また一歩、ケンゴが本殿に向けて進む。


 ――次の瞬間、喚き声がひと際大きくなる。


 形勢が逆転して押し返されたのかと一瞬身構えたが、次の瞬間に静かになる。そして次に聞こえた声で、何が起きたのかを理解した。


「くそっ、追うぞ! 続け!」


 その言葉を最後に、神社全体が静寂に包まれる。

 そうか、警備を突破して界門に飛び込んだのか。そして、警備兵も後を追って飛び込んだのだろう。

 思わず拳を握り締めてガッツポーズを作る。

 ケンゴを見ると同じように状況を把握した様子でこちらに振り返り、うっすらと涙ぐんでいるようにも見える。アザミは、僕とケンゴの二人を見比べてから作戦の成功を確信したようで、嬉しそうな笑顔を見せた。


 幣殿の階段を下りていくと、開いた本殿の扉の向こう側、ちょうど最奥の中央辺りに魔法陣のようなものが描かれているのが見える。界門は目には見えないようなので、きっとあれが出現地点の目印になっているのだろう。


「ありがとうよ、じゃあ行くけどお前さんも達者でな」

「ケンゴさんもお元気で」


 まだ時間はあるとはいえ、悠長にもしていられない。涙を拭う時間も惜しく、手早く握手をする。


「ありがとうございました。きっと帰ってきますから、私のこと忘れないでくださいね」

「こちらこそ。必ず頼り甲斐のある男になってお待ちしてますよ、ナデシコ王女様」


 王位継承権最上位者への敬意を払った冗談に併せて、最後に本名で見送る。アザミはまた大粒の涙をポロポロとこぼしていたが、清々しい笑顔だ。

 無事目的を果たせたのは感無量だが、あの石段をやっぱり一人で下りて帰るのかと思うと寂しさもこみ上げる。

 だが、今は二人を笑って見送ろう。


 アザミが改めて小さくお辞儀をする。

 ケンゴは颯爽と右手を上げて、本殿の中央に向かって駆け出す。

 そして本殿へと足を踏み入れる。




――ケンゴは目の前で突然、向かって左手に横っ飛びに吹き飛び、一瞬後にその身体を壁に叩きつけたであろう、鈍い音を響かせた……。

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