第8章 嘘つきな魔法使い 2

「あんたのそれ、よね。あんたなんかが、王女の私に何の用があるっていうの」


 振り返ったカズラは、黒装束の人物をゆっくり眺めながら言葉を返した。

 まったく困ったお姫様だ、思わずため息が漏れる。

 『王女様ですね』と声を掛けられはしたが、否定しないどころか自ら名乗るなんて。まったく、ご丁寧な自己紹介だ。


「話に聞いていた通りの黒髪といい、間違いはないようですね。決まってるじゃあないですか、一緒に来ていただきたいのですよ」


 店の出口を遮るように、立ちはだかったままの黒装束の人物。

 静かな口調で無理な要求。飲めるはずがない。

 一気に空気が張り詰める。

 二人の間に挟まれ、僕の頬を冷や汗が伝う。


「その下品な手で、あたしに触ったら容赦しないわよ」


 この緊急事態でも強気な挑発。

 低姿勢に出たからといって、許してもらえるとは思えない。

 だからといって、煽って普段以上のやる気を出されても困るというものだ。


 のんびりとした買い物の付き添いが一転、緊迫した状況になってしまった。そして、僕の任務は護衛。

 まずは、両手を大きく広げてカズラをかばう。次に、落ち着いて状況把握。

 声質、口調、そして体格を考えると黒装束の中身は男性だろう。

 そして周囲を見渡すとガラス越しに、この男と同じ服装の人物が五、六人で店を包囲している。

 店からの出口は、男の後方に一つだけ。

 店の奥への入り口もあるが、その先に出口がある保証はない。下手に店の奥に逃げ込んで、行き止まりだったら袋のネズミだ。


 ここはケンゴの真似をしてハッタリを試してみようか。

 だが、カズラはこの不気味な服を防魔服と言っていた。魔法を防ぐ服という意味だろうか。だとしたら、ハッタリなんて通用するとは思えない。


「この男は、このあいだみたいには行きそうもないわよ」


 背後から聞こえる、カズラの声。そして、その声は心なしか震えている。

 この人物を恐れている様子が、背中越しに伝わってくる。

 そして次の瞬間、男が黒装束の袖から左手を突き出す――。


「よけて!」


 カズラの言葉の意味を理解した時は既に、斜め前方に突き飛ばされていた。

 何とか踏み留まろうと、吊るされていた商品にしがみつく。しかし、石畳を疾走する馬車のような激しい音を立て、無常にもハンガーラックと共に床へと身体を叩きつけられる。

 カズラの身を案じ、慌てて振り返ると、そこでは惨事が起こっていた。


 テーブルの上でメラメラと炎上する、受け取る予定だった服。

 店員はすぐさま、炎の塊と化している商品を何とか床に引き下ろすと、火を消し止めようと必死に足踏みを繰り返す。

 慌てて集まってくる、他の店員たち。

 店に燃え広がっては大変と、消火に加勢したり、延焼しそうな商品を炎から遠ざけようと必死だ。そして、口々に黒装束の男に罵声を浴びせる。


「おい、店を潰す気かよ!」

「こんなところで使うとか正気か!?」


 だが彼は、そんな言葉をどこ吹く風と受け流す。

 逆に左手をかざし、再び魔法を撃ちそうな構えで威嚇。邪魔をするなと言わんばかりだ。

 その脅迫に屈するように、店員たちも黙り込む。


 肝心の瞬間は見ていないが、この男が魔法で服を燃やしたのは間違いないだろう。

 カズラに突き飛ばされたお陰で助かったが、一歩間違えばあの床に転がっている燃えカスは自分だったのかもしれない。思わず、身震いが起きる。

 そして身を挺してくれたカズラに目をやると、だらりと伸びた右腕を左手で押さえ、顔をしかめている。魔法の直撃はしていないようだが、腕を火傷したらしい。


 ――そんなカズラの左腕を、黒装束の男が容赦なく掴む。


「おとなしくした方が身のためですよ。せっかくの奇麗な肌が焼けただれてはもったいないでしょう? キシシシシ……」


 カズラを店外に連れ去ろうとするが、必死な抵抗に男も手を焼く。だが力の差は歴然で、じりじりと引き摺られていく。

 こいつは王女の身の安全なんて考えちゃいない。力ずくでも攫うつもりだ。

 となれば、一刻の猶予もない――。


「おい、その薄汚い手を離せよ。その人はお前みたいなクズが触れていい人じゃねえんだよ!」


 僕は生まれて始めての挑発の言葉を精一杯叩きつけて、男を呼び止めた。

 咄嗟に出た言葉は、ライトノベルからの受け売りだが。

 さらに右の手のひらをかざし、握り締めた左手を右手首に添え、腰を落とした低い体勢でそれっぽく構える。

 男が立ち止まり、ゆっくりと顔をこちら側へ向ける。

 さっきこの男は、一瞬で魔法を撃ってきた。躊躇している暇はない。

 先手を打たなければ、負けるのは必然。

 振り返った男に言葉を畳み掛け、言い終えるや否や、左手を手前にグッと引く。


「俺の魔法で成仏しろよ。お前の頭の中をかき乱してやるぜ――」


 けたたましく店内に鳴り響く、甲高い電子音。

 これほどやかましくて不快な騒音は、この世界にはきっと存在しない。

 そして突き出した右手では、中指に掛けられたリングに繋がった紐が、ブラブラと宙に揺れている。そう、僕は魔法に見せかけて、防犯ブザーの紐を引き抜いた。


 魔法と言ったのが功を奏したらしい。みんな、自分の身を守ろうと必死だ。

 黒装束の男だけでなく、店員、それにカズラまでもが両耳を手で押さえながらうずくまり、恐れおののく。

 生まれて初めて聞くこれほど不快な音を、『頭の中をかき乱す魔法』と言われたら、魔法のある世界では真に受けて当然だろう。

 平然としているのは、音の正体を知っている僕だけだ。


「防魔服越しだというのに……。こいつは……」


 こんな子供だましがいつまでも通用するはずがない。

 頭を抱えて呻いている男を横目に、急いでカズラの手を取ると、出口に向かって一直線に駆け出した。

 店内の異変に、外で待機していた男の仲間もたじろぐ。

 防犯ブザーの警告音を鳴り響かせながら威勢よく啖呵を切り、男の仲間を蹴散らす。


「お前らも頭の中をかき乱されたくなかったら、耳を塞いで命乞いするんだな!」


 ドアの外を囲んでいた黒装束の集団が、その声に思わず道を開ける。

 表情はヴェールで見えないが、言い付けを守ってそれぞれに耳を塞いでいる姿が滑稽だ。

 ドアを勢いよく跳ね開け、黒装束の集団を尻目にまんまと逃走に成功。

 だが、またしてもマラソン大会か……。

 必死に走りながら横を見ると、カズラも言い付けを守って耳を塞いでいた。



「はあ、はあ……。ここまでくれば……、ひとまず大丈夫だろう」

「今回は助かったわ。あ、ありがと……」


 素直なお礼の言葉にびっくりして振り返る。

 目に映ったのは、照れくさそうに目を伏せているカズラ。

 あまりにも貴重な、カズラの感謝の言葉とこの姿。これ以上のご褒美があるだろうか。いや、ない。

 いや、まて。これで満足感に浸ってしまうなんて、調教され過ぎではないのか。


「どういたしまして。でも腕は大丈夫? 怪我させて護衛失格だったね、ごめん」

「なに謝ってんのよ。こうして二人で無事、逃げ延びることができたんだから胸を張りなさい」

「せっかくの服が台無しになっちゃったけど、急いで帰って怪我の手当てしようか」

「そうね、また見つかったら面倒だものね」


 言葉を交わしながらわずかな休息を取り、息も整ったところで帰宅を急ぐ。

 火傷で水膨れができている痛々しい右腕を押さえながら、カズラが三歩ぐらい後ろを歩く。



「あんた、すごい魔法使えるんじゃない。見直したわ。…………ちょっと、カッコ良かったわよ」


 さすがに小さ過ぎたその声は僕の耳には届かない。


「ん? なんか言った?」




「――独り言よ。黙って歩きなさい」

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