第6章 王女ナデシコ

第6章 王女ナデシコ 1

「――王女様って言うのは本当ですか?」


 甘味屋での修羅場を乗り切り、何とか無事にケンゴの自宅へと舞い戻った。

 そして今でも耳にはっきり残っている、『王女様、お戻りください』という言葉。

 先に逃げた三人には届かなかったかもしれない。

 でも聞いてしまった以上、確かめずにはいられない。

 そこで、単刀直入に聞いてみたのだが、返ってきたのは沈黙のみだった。


 最初は『何を馬鹿な』という表情だったケンゴ。

 だが長く続く沈黙に、その表情が懐疑に変わっていく。


「まさかこいつの言った通り、王女様だってえのか?」

「…………」

「…………」


 二人から返ってくるのは、黙秘の二文字。

 黒い髪の先を指でクルクルといじりながら、視線を逸らすカズラ。

 俯いたまま、口を真一文字に固く結ぶアザミ。

 時間だけが無駄に経過していく。

 これではまるで、子供を叱っているようだ。

 いや、むしろその頑なな姿に、こちらの方がいじめているような、そんな罪悪感さえ芽生えてきそうだ。

 沈黙が続けば続くほどに空気は重さを増し、部屋のムードも険悪になっていく。


「せめて、本当か嘘かだけでも教えてくれませんか?」


 質問を変えてみても、二人の口は堅く閉ざされたまま。

 沈黙、即ちそれが答えなのだろう。

 家出をした王女と疑われたら、普通は通報を恐れて否定する。

 それに、『人違いだ』とか『質の悪い冗談だ』といくらでもごまかす方法だってある。でも、それをせずに沈黙を貫いているのは、逆に考えれば正直なのかもしれない。


「まあ、いいや。話したくなったら教えてくれや。ちょっと寝るわ」


 追及を止めたケンゴは、そのまま居間から出て行った。

 確かにこのまま答えを迫ったところで、口を開くとは思えない。むしろ考える時間や、二人で相談する時間を与えるべきかもしれない。

 しばらくの間、二人きりにするために僕も部屋を後にする。

 ドアを閉めるなり聞こえてくる、小さな話し声。さっそく、話し合いが始まったらしい。耳を凝らせば内容を聞き取ることもできそうだが、盗み聞きはマナー違反だ。

 僕はそっと部屋を離れた。


 『ちょっと寝るわ』と席を外したケンゴを、格好良く思う。

 それに引き換え自分はダメだ。気になることには、結論を出さないと気が済まない。しかもそれは、好奇心や探求心を満たしたいだけの、自己満足だと思う。

 きっと彼女たちだって、意地悪で口を閉ざしているわけじゃないはず。

 沈黙、即ち答えだと確信しているくせに、しつこく追求してしまった……。

 対照的なケンゴの行動。恩着せがましくなく、さり気ない立ち去り方。

 あんな大人になりたいものだ……。



 ――前言撤回。


 高らかにいびきをかくケンゴ。

 納戸の扉に寄り掛かりながら、だらしのない寝姿。

 本当に寝ているとは……。


 居間では密談中。

 台所はそのすぐ隣なので近寄り難い。

 寝室も今はカズラとアザミの部屋同然。

 もちろん、トイレや風呂場に籠るわけにもいかない。

 となると、落ち着ける部屋など残っていない。ケンゴもきっと、同じ結論に達してここにいるのだろう。いびきがやかましいが、仕方なくケンゴの隣に腰を下ろす。


「王女様か……」


 あの頑なな沈黙だ。間違いなく、どちらかが王女だろう。

 だとしたら、王女はどっちかも大体見当はつく。

 出会ってから、まだたった一日なのに色々なことがあった。

 ゲークスから逃げる時に握った手。その後の膝枕の感触。

 今日だって、出かける前に遭遇したあの美しい後ろ姿。今でも目に焼き付いて離れない。

 こき使われながらも、買い物も楽しかった。そして甘味屋での一件も……。


 そういえば甘味屋で僕は、青年の足を引っかけて、逃走の手助けをした。

 普段なら、そんな争いの火種になるような行動は絶対に取らないのに、なんであんな大胆な行動に出られたのだろう。

 あれは無意識だった。身体が自然に動いた感じだ。なんで、あんなことを……。


 だが、ちょっと時間を巻き戻して考えると、簡単に結論に行き着く。

 美味しい物を食べている時に浮かべていた満面の笑み。

 『まだ帰るわけにはいかない』と言った、彼女の真剣な眼差し。

 そして、青年を見た時の怯えた表情。


 ――ああそうか、困っていた彼女たちを助けたかったのか。


 家出の理由もその正当性も関係ない、ただ彼女が困っていたから助けた。

 あの時点で王女だとわかっていても、きっと同じ行動に出ただろう。

 王女が家出を画策するなど、余程の決意だと思う。そして考えに留まらず、実行に移した。もちろん、王宮から抜け出すのも容易ではないはずだ。王族の温室育ちのお姫様がお付きの女性と二人で屋敷の外へ、きっと心細いに違いない。現に僕が出会った時は、チンピラのゲークスとやらに絡まれていた。

 そんな目に遭ってもなお『まだ帰るわけにはいかない』と言う。それほどまでに、彼女はこの家出に賭けているのだろう。


 僕は異世界に憧れていた。

 だが、憧れていたのは異世界だけではない。異世界で魔法をぶっ放し、悪人を倒して困っている人々を助ける英雄への憧れだ。

 来て早々、魔法をぶっ放す憧れは潰えた。青年も悪人ではないだろう。それを差し引いても、『異世界で困っている人を助ける』なんて憧れが半分も叶っているじゃないか。

 一番最初に出くわした時は見捨てようとした事実は棚の上にあげて、僕は全力で王女の家出を手助けしようと決心した。

 居間を出てから結構な時間が経っていることを思い出し、まずはケンゴのいびきから離れる。




「――となると、こうしちゃいられないな」

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