第1章 異世界の洗礼 3

 ――僕は異世界へ来てしまった。


 煙草に指で火を点けるような手品は、テレビで何度も見たことがある。

 しかしバーのマスターに呼び出され、場所も季節も一瞬で変わってしまい、何の変哲もない普通の人が、目の前でそれをやってみせる。これはもう確信して良いだろう。

 他に考えられるのは、未だに夢の中といったところか。可能性を消すために、伝統的な儀式を試みる。


「いててて……」

「何してるんですか?」

「すいません、気にしないでください」


 思いっきり力を込めたせいで、じんじんと痛む右の頬。

 これだけの痛みを感じるなら、夢の中に居たとしても、きっと目を覚ますだろう。夢を見ているという選択肢も消去だ。


(異世界へ来たという現実を受け入れた上で、少し冷静に考えてみよう。この世界には魔法がある。これは紛れもない事実のようだ。

 そして、最初に見た灯りを明るくしたのは魔力補充。今の火を点けた行動は魔法。さっき馬鹿にされたのは、言葉の使い方を間違っていたということか……。)


 奇妙な行動をしたと思えば、今度は長考。

 そんな僕に同情したのか、それとも哀れんだのか。リーダーは少し優しい口調で話しかける。


「さっきの話といい、頬っぺたをつねったりといい、本当に君はわけがわからないですね。……とりあえず自己紹介しましょう。私はチョージです。彼らを束ねてます」


 リーダーはそう名乗り、右手を差し出す。この世界でも握手は有効らしい。

 元の世界との共通の習慣。つい困惑するが、名乗られて握手を求められたのなら、それに応えるのが礼儀だ。

 自分も右手でしっかりと握り返し、自己紹介をする。


「え、あ……山王子、山王子さんのうじ 玲央れおです」


 がっしりと握手を交わしたまま、じっとこちらを見つめるチョージ。

 徐々に肩が震え出したかと思うと、堰を切ったように大声で笑い出した。


「ホッホッホッホッホ……本当に君には驚かされますね。苗字持ちで、しかも名前がレオですか。とても勇ましいお名前です……いやはや」


 またも困惑する僕を尻目に、周囲からも大爆笑が沸き起こる。名乗っただけでこれは失礼極まりない。

 だが全員揃ってこれほどの反応なら、何かしらの理由があるのだろう。


「あ、あの、なんでそんなに笑ってるんですか? 僕、何かおかしいこと言いましたか?」

「いやいや、気にしないでください。それより、魔法のお話をしましょう」


 『気にするな』と言われても、あれだけ大爆笑されて気にならないわけがない。

 だが、今一番知りたい『魔法の話』と言われると、そちらに意識が傾く。大爆笑の理由は、後で聞けば良いだろう。


「君は、あれが何で光っているのか、わかりますか?」


 魔力補充とやらで明るさを増した街灯を指差しながら、チョージが尋ねてきた。

 わざわざ聞くからには、何かあるのだろう。

 しかし、街灯は曇りガラスで覆われていて中が見えない。わからない以上、推測して答えるしかないが、推測できるのは自分の知識の範囲までだ。


「え? 電気じゃないんですか?」

「電気? なんですか、それは」

「じゃぁ、ガスですか?」

「違いますね。やっぱり、魔法に関しては全然のようですね」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか。何で馬鹿にされたのかもわかりませんでしたよ。今は、ちょっとわかったような気もしますけど……」


 もったいぶった言い回しに、ちょっとイラつく。

 さらに、魔法に関する無知の繰り返しの指摘。ついつい、拗ねたような口調になる。


「あの中にはね、クロルツっていうものが入ってます」

「クロルツ?」

「魔力を蓄えられる石です。魔力を蓄えておいて、そこに光を放つように魔法を掛けてあげると、魔力がなくなるまで光り続ける。そういう仕組みになっています」

「すごいですね! そんなことができるんですね!」


 チョージの解説で魔法に実感が湧き、思わず興奮する。

 魔法に憧れていた僕には、これ以上ない刺激。きっと今の僕は、子供のように目を輝かせていることだろう。

 チョージは照れながらも、少し自慢げに解説は続く。


「そのまま放っておくと魔力が尽きて、そのうち光らなくなってしまいます。魔法を掛け直すのは少しばかり面倒なんで、魔力が減ってきたらさっきの男がやったように補充して、また光の寿命を延ばしてあげるんです」

「それが魔力補充……、と」

「そして、さっき私が煙草に火を点けたように、変化を起こすのが魔法ですね」

「変化を起こすのが魔法……、と」


 言葉を繰り返して、頭の中に刻み付ける。再び誤用して、侮蔑の眼差しを向けられないために。

 魔力補充と魔法、確かに根本的に違う行動ということは理解した。だが、あそこまで馬鹿にされるほどの間違いだったのかと考えると、少し納得がいかない。

 思い出したら怒りがぶり返し、少し険しくなった表情をチョージに向ける。

 

「真剣にこんな話を聞くなんて、本当に魔法を知らなかったんですね。普通は子供でさえ当たり前すぎて、こんな話に興味なんて持ちません。さっきはすみませんでしたね」

「何を謝ってるんです?」

「みんなで魔法を知らないはずがないって、疑ったり馬鹿にしたことですよ」


 ひょっとしたら、魔法で考えていることまでわかるのでは?

 そんな不安を起こさせるような、タイミングの良すぎる謝罪。だが考えすぎだろう。きっと、表情から読み取っただけだ。


「いえ、でもこうしてわかりやすく教えてもらいましたしね。そうそう、僕にも魔法って使えるようになりますか? なんか、コツとかあったら教えて欲しいんですが」


 街灯に右手を突き上げて、念を送ってみる。

 突き出した人差し指の先端に、意識を集中させてみる。

 目の当たりにした動作を、さっそく見よう見真似で試してみたが、当然ながら何も起こらない。

 しかし念願だった異世界にやってきて、折しも魔法に触れられた。そして話を聞けば、子供の頃から当たり前に使われるような日常的なものらしい。

 憧れていた本の中の世界が、ここにはあるのだ。胸躍らずにはいられない。

 そして、チョージは僕に教えてくれた。




「――君に魔法は使えませんよ」

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