第1章 異世界の洗礼
第1章 異世界の洗礼 1
――ここは一体……。
確かに街灯に触れたはず。
だが、一瞬にして吸い込まれた漆黒の闇。
次の瞬間には、もうここへと放り出されていた。まるで吐き出されるように。
そして、地に足が着いた瞬間に直感した、ここは公園とは違う場所だと。
ゆっくりと顔を上げ、現状把握の為に周囲を見回す。
薄暗い街灯に照らし出されているのは、粗末なベンチが一つだけ。
さっきまであったはずの、塗装の禿げた動物の乗り物や、錆びた鉄棒はどこにも見当たらない。代わりに芝生と遊歩道、そしてやや遠目に木々が取り囲む。
ここは公園というよりは、もはや庭園と呼ぶ方が相応しい。
ひとまず街灯が照らし出すベンチに腰掛け、取り出したのは携帯電話。
電源を入れると、時刻はさっきのまま。
そして電波は、やはりと言うべき圏外。
(やっぱり、異世界なんだろうか……?)
テレポート、タイムリープ、はたまた突然死からの死後の世界……。
一瞬にして周囲の状況を一変させる現象は、いくらでも思いつく。
なにしろこんなことは、僕の好きなライトノベルなら当たり前の事象。
しかし、『異世界へご案内しましょう』と呼び出されてこうなった。ならば、異世界へご案内されてしまったと考えるのが一番自然。
そしてそれが本当ならば、まさに憧れていた念願の異世界到達だ。
(よし! この世界で魔王を討伐して、英雄になってやる)
思い浮かべたのはお気に入りの作品。
この世界のことなど何もわからないくせに、テンションだけは急上昇。
頭の中の自分は早くもハーレムを作り、既に民衆からももてはやされている。
(異世界転移なら、魔法ぐらい使えてもおかしくないよな……)
とはいえ、魔法なんてどうやって撃ったらいいものやら。
物語にありがちな、右手を突き出したポーズで、頭の中に燃え盛る火をイメージしてみる。
そしてその気合を入れて、右手の先に力をこめると……。
――シーン……。
何も起こらない。
色々な物語の魔法発動シーンを思い出し、試してみるがやっぱりダメ。
当然と言えば当然の話。実際に魔法を撃った著者が、その実体験を書いているわけではないのだから。
だが、慌てる必要もない。やがて出会うだろうこの世界の住人に、魔法の撃ち方を教わればいい話だ……。
(まてよ? 本当にそれでいいのか?)
ふと我に返ると、突如芽生える不安感。
頂点にあったテンションは一気に急降下。
ろくでもない考えが、頭の中を支配する。
魔法の撃ち方を教わるって、言葉は通じるのか?
この世界の住人の身体の大きさは? 巨人だらけで、僕なんか餌の存在だったらどうすれば……。
いやいや、人類だっているかどうかわからないんじゃ……。
そもそも、生物自体いなかったらどうすれば……。
(異世界へ来ちゃって、本当に良かったのか……?)
一度芽生えると、確証を得るまで膨らみ続けるのが不安感。
やはり、状況がはっきりしないというのは、ひどく落ち着かない。
こうしている間にも、得体のしれない化け物が迫っているかも……。
「ひぃ…………」
自分で自分を不安に陥れて、悲鳴まで上げている。なんというマッチポンプ。
大慌てで、手に持っていた携帯電話で周囲を照らす。
しかし、照らし出されるのは緑ばかり。
芝生、樹木、低木、草むら……。
今度は、その陰に何か潜んでいるのではと、終わりのない不安感に包まれる。
身震いして電源を切り、早々にしまう携帯電話。
そしてまた、闇との格闘が始まる。
街灯はここにある一つきり。それより外は一面の闇。
今まで住んでいたのは、夜中でも明かりの絶えない世界。そんな中で暮らしていた僕には、この闇に恐怖心を抱かずにはいられない。
しかも異世界の闇。押入れに閉じ込められたのとは、わけが違う。
「…………誰か……いませんかぁ……」
耳を澄ましても、見事なまでの静寂。
今まで住んでいたのは、夜中でも音の絶えない世界。常に無機質な音に溢れていた。自動車、エアコンの室外機……。
今は時折吹く風で、木の葉が擦れ合う音を立てるのみ。
不気味な音が鳴り響くよりは格段にましだが、そんな音もまた恐怖感を煽る。
目を固く閉じ、両手で両耳を塞ぎながら、ベンチに横たわり身体を小さく丸める。
闇を見るから怖いんだ。見なければ大丈夫。
音を聞くから怖いんだ。聞かなければ大丈夫。
意味不明な理論で恐怖をごまかしながら、少しでも心が安らぐように楽観的な方向に考えを巡らせる。
(街灯があるんだ、文明があるのは間違いない……)
(ベンチの大きさも、元の世界と違いがない。ならば体格も同じぐらいなはず……)
(それから…………)
必死に考え事で気を紛らわせる。
そう考え始めると、少しは落ち着きも取り戻せたらしい。
そしていつの間にか、目をつむっていたせいもあって眠りに落ちていた……。
「…………ハッ」
目覚めると、まだ夜も明け切らない、紫がかった薄暗さ。
ざわめきに気付き、思わず跳ね起きた。
すると周囲には人、人、人。僕を取り囲む異世界人たち。こんな目立つところで眠ってしまったなんて、なんという失態か。
僕が跳ね起きたことで、異世界人たちの会話が止まる。
背格好は僕と同じぐらい。そして、見た目も違和感のない人型なのは救いだ。
しかし、この世界の習慣はわからない。
どんな魔法や能力の持ち主かも見当がつかない。
そしてもちろん、いきなり襲撃を受けても今の僕にはなす術がない。
この後は何が起きるのか、不安に怯えていると、正面に立つ男が動く。
スッと伸びる男の右手、反射的に左手で払い除ける。
正面の男は軽く首をひねり、言葉などわからないというのに話し掛けてきた。
「ミタコトノナイカオデスネ、ドコカラキタンデスカ」
「ひぃいい……すいません、すいません」
「ナンデアヤマッテイルンデスカ」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
いや、待てよ。今の言葉は理解できる。思わず見上げて男の顔を凝視した。
白髪交じりというよりは、黒髪交じりといった方がいい銀髪。そして口元には、蓄えた髭。
少しずつ下へと視線を落とすと、広い肩幅にでっぷりと出た腹。
彼が話していたのは日本語だし、雰囲気もありがちな日本人の顔立ち。
異世界へ来てしまったつもりでいたが、自分の勝手な思い込みに違いない。
そしてここが日本だとわかると、今度は異世界じゃないことを残念に思う。
昨夜はとんでもない事態になってしまったと震えていたのに、人間はなんていい加減な生き物なのだろう。
太陽も昇り始め、明るさが充分になったところで、改めて周囲を見渡す。
しかし、目に映る風景に違和感は拭えない。
やはり、昨夜の待ち合わせの公園にあった遊具類は見当たらず、芝生と遊歩道に今座っているベンチがあるだけ。
そしてもう一つ、大きな違いに気付く。それは、この気温。
昨夜の待ち合わせの時は凍えるほど寒かったというのに、この暑さはなんだ。
昨夜は恐怖に震えていたせいか、気付いていなかった。
景色が一変したことと合わせて考えれば、ここは沖縄か小笠原あたり?
ならば、昨夜の現象はテレポートか。だったら何とでもなるだろう、言葉も通じるのだから……。
ダウンジャケットと中に着込んでいたセーターを脱ぎ、リュックに押し込みながら目の前の男の質問に、遅ればせながら答える。
「僕は東京から来ました。それにしても今日は、十一月だっていうのに暑いですね」
「トウキョウ? はて、聞いたことのない地名ですね。それに十一月って、おかしなことを言いますね。今日は五月一日ですよ」
「え?」
――僕は再び訳がわからなくなった。
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