第84話 文化祭XVI

 文化祭開催前日。この日までの絶え間ない努力と献身によって完成した文集が、印刷所から帰ってきた。

 ガムテープを剥がした段ボール箱のふたを四人で持ち、せーの、の掛け声で段ボール箱を開封する。

「「「「おおー」」」」

 そこには、俺たち相談部の文集が隙間なく詰められていた。

「これ、何部あるんだっけ」

 興奮の気持ちを露わにした声音で秋月が聞いてくる。

「百部ですね。去年の文集の二倍量です」

 去年は五十部印刷していたそうだが、仮に五十部売れたとしても、通算売上は去年のトップに遠く及ばなかったそうだ。そこで、今年は発行部数を二倍にして、通算売上トップを狙える体制を整えているのだ。……去年の売上部数は三十部だったから、百部というのは思い切りのある決断だったといえるだろう。その決断をした人物は――。

「完売目指して頑張ろう! 目指せ通算売上ナンバーワン!」

 右手の握りこぶしを掲げながらやる気に満ち溢れているこの人物――晴人である。

 当初は例年通り五十部を予定していたのだが、五十部売り上げてもナンバーワンになれないことを知ると、「増刷しよう」と晴人が言い出したのだ。七十部ほど売れれば去年のトップになれることから、それくらいの部数を見込んでいたのだが、「いや、それだと負ける可能性もある。それに圧倒的に勝利したい。二位との差を大きく離したい」と少しの冗談も感じさせない声音でいうものだから、まあ、幸いなことに部費もいくらか余裕があったことから、百部印刷する運びとなったのだ。

 いや、それにしても、この量。本当に完売できるのか。売れ残った分は部費から支払わないといけないのだが……。

 冬川がそのあたりのことは考えてくれていると願いたい。

「最低でも六割は売らないと元が取れません」

 最低六十部か。これはなかなか厳しいのではなかろうか。去年の売上部数の二倍は最低でも売らなければならないということだし。

「何か戦略を考えた方がいいんじゃないか」

 普通に販売しても売れないだろうからな。

「戦略って?」

 秋月が問い返してくる。

「戦略は戦略だ。戦いに勝つための方策だ」

「いや、それぐらい分かってるって! 中身だよ中身! どんな戦略なのかってこと!」

 ほほを軽く膨らましながら、プンプンという効果音がふさわしい表情を浮かべる秋月。

「……それは、今から考えるんだよ」

「なーんだ、適当に言っただけじゃん、春樹」

 そんなすぐに戦略なんて思い浮かばないでしょ。戦略はあくまで慎重に考えなければならない。……そうは言っても、明日から文化祭が始めるのだが。

「ふふっ」

 誇らしさとわざとらしさが入り混じったような声が部室の空気に入り混じる。

「何か策でもあるのか? 発行部数増版の張本人」

 待ってましたと言わんばかりに、大きく胸を反らせている。

「ああ、あるよ。とっておきの策が。秘策の戦略がね」

「それはどのようなお考えなのですか。現状の懸念を打破できるような秘策とはいったい何なのか。私とても気になります」

 その反応に対して、晴人は首を上下に何度も頷かせる。

「そうでしょう、気になるでしょ、冬川さん。文集を百部売り切るための戦略はね――」

 百部を売る戦略なのか。てっきり赤字にならないための戦略か何かだと思っていたのだが。これは少し興味があるぞ。

 少し前のめりになりながら晴人の話に耳を傾ける。ほかの二人も晴人の話に聞き入っているようだ。

「ずばり、店舗巡りだよ!」

 数秒の停止した時間を取り戻すようにして言葉を切り出す。

「……店舗巡りっていうのは、ほかの部活の出し物を回るってことか?」

「そうだよ」

 即時返答があった。

「他の出し物を回る際に、僕たち相談部の文集の宣伝をするんだよ。口コミの効果は大きいからね」

 それはあくまでも仲のいい友達からの口コミが有効というだけで――そうか、この意見は、友達が少ない俺だから有効でない方法なのか。晴人は友達が多いということだろう。

「秋月さんや冬川さんに口コミをお願いすれば、人もたくさん来てくれるでしょ」

 おいおい、自分はどうなんだよ。

「僕も口コミはするけどね。そんなに人脈が広いわけでもないしね。僕や春樹に比べたら、二人のほうが人脈は広いんじゃないかな」

 生徒の情報の多くを握っているウィキのくせに、何を謙遜しているんだ。それに、事実とはいえ、俺がもとから頼りにされていないことに若干のいら立ちを抑えきれない。

「それは違うよ。確かに僕は多くの緑坂高校の生徒の情報を持っている。だけど、それは、人脈が広いことと同義ではないよね。相手のことをよく知っているからと言って、相手と親密な関係であるとは限らないってこと。逆もまた然りかもしれないけどね」

 晴人の言わんとしていることは理解できた。要するに、晴人には心を許せるような友達がいないってことだ。

「いやいや、春樹のことは心から信頼しているよ」

 何をふざけたことを。それだったら、あのとき俺の質問に正直に答えてくれたはずだ。お前は答えなかったじゃないか。

 あのときの感情が沸々と甦ってきた。だめだ、いまはそれどころではない。戦略を考えなければならない。文化祭は明日からなんだ。

 感情にこれでもかというくらいの重いふたをかぶせて、部室空間へと回帰する。

「確かに、それはいいかも! 一層のこと、文集を歩き売りしてもいいかも!」

 こちらに身を乗り出しながら、秋月は握りこぶしを胸に当てている。

 確かに名案だな。宣伝効果に加えて、販売場所の拘束という枷も外せるしな。一石二鳥だ。

 しかしながら、気が付いているのだろうか。この案、戦略の根本のところにあるものを。動機を。

「やっぱり文化祭は楽しまないとね。生徒が楽しむための文化祭なんだしね」

 そう、こいつは単に自分が楽しみたいだけなのだ。まあ、宣伝効果はあると思うから、いいのだが。

「確かに宣伝効果は必要だと思う。ただ、別に三人ともが宣伝に回る必要はないだろう。それこそ、冬川と秋月の二人で十分だと思うぞ」

 ギクッと肩を震わす晴人。

「ま、まあ、確かにそうかもしれないね」

 そう言って肩を落とした。「とは言っても、宣伝以外にすることは特にないだろうから、宣伝に回ってくれて大丈夫」と言葉を続けようとしたが、その言葉が空間に提示されることはなかった。

「あ、私は宣伝にはあまり協力できないかもしれません。生徒会の方の仕事があるので」

 おずおずと手を挙げる冬川を一瞥すると、晴人はほっと胸を撫で下ろした。

「だ、だったら、仕方ないよね。僕が宣伝に回るよ」

 決まりだな。晴人と秋月が宣伝。冬川は宣伝サポート。

 え、俺は何を担当するかって?

 そんなの決まっているだろう。この役割は宣伝よりももっと大切だ。必要不可欠なものだ。この担当がいなければ、文集を売ることができない。大赤字だ。

 そう、店番だ。

 俺は担当表に「古川――店番」と書き込んだ。


※新しい作品を書き始めました。そちらも読んでいただければ幸いです。↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884778004


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