第82話 文化祭XIV
どれほどの時間が過ぎただろうか。
俺はその場に立ち尽くし、夕日で赤く染まった西の空を何とはなしに見つめていた。
結局晴人がどうして再び自分で考えようとし始めているのか、俺にはわからなかった。聞くことができなかった。
何が腐れ縁だ。晴人のことを信じてやることができなかった。晴人がそんなことで傷つくような奴じゃないってことぐらい、中学の頃からの付き合いで分かっていた。それでも、たとえ傷つけることはなかったとしても、晴人との関係性が変わってしまうかもしれないという理由付けをして、そうやって自分を納得させて、俺は結局のところまた逃げてしまったのだ。正面から向き合うことが怖くて、顔を背けてしまった。それに、万が一にでも晴人を傷つけてしまったとしても、俺の晴人がこれまで積み重ねた関係が、崩れ去ってしまうことなど、もし晴人のことを信じていれば、考えつくはずもないことであった。突き詰めると俺が晴人のことを信頼していなかったのだろう。腐れ縁などと言いながらも、どこかに壁のようなものを感じていたのかもしれなかった。晴人が俺に話せないことがあると言われてから、晴人に少しばかりの、もしかしたらもっとおぞましく巨大な、不信感を抱いてしまった。どんなに親しく仲の良い間柄でも、秘密の一つや二つ、あってもおかしくないのに。
俺の脳内はミキサーに放り込まれたみたいにぐちゃぐちゃで、形がはっきりしなくて、もうどうしたらいいのか、何をすべきなのかもはっきりとしなくなっていた。分からなくなっていた。
晴人は明日プロットを完成させてくるだろう。そこは信頼している。もしかしたら、信用なのかもしれないが。何らかの見返りのようなものが、そこには存在するのかもしれなかった。
ぎしっと、後ろで扉が開く音がした。
俺の体は氷で固められたように動かない。俺の心が振り返ることを許してくれない。
晴人が戻ってきたのだろうか。
その予想は、残念ながら、もしくは幸いにも、外れた。
「……春樹」
温かな声音が、俺を拘束していた氷の鎧を溶かしていく。
「どうだった?」
振り返れば、扉から顔だけ覗かせている秋月がいた。
冬川から聞いたのだろうか。場所は言ってなかった気がするのだが。
一瞬だけ目を合わせ、俺は屋上の床へと視線を落とす。
秋月の質問はとても漠然としていて、しかしながら、この場合はどうしようもないくらいに明確だった。秋月が何を問うているのかは明らかだった。
「ダメだったよ」
そう。俺は失敗した。晴人の心に踏み込むことが出来なかった。あのとき、どんな手段を使ってでも、晴人の話を聞くべきだったのかもしれない。過去という墓場を掘り起こすべきだったのかもしれない。
「そう」
扉の影からするりと姿を見せながら、秋月はそれだけを言った。
「うん、ダメだった」
誰かにこの話を聞いてもらいたかったんだろう、俺は。どうしようもなくて、ふがいない俺をだれかに受け止めてもらいたかった。
……晴人もそうなのではないか。
過去の自分を誰かに受け止めてもらいたいのではないか。そうでなければ、いつまでも前に進めない。過去を清算しなければ、現在が過去に縛られ、未来も過去となるだろう。
晴人の過去を受け止めてくれる相手はいるのだろうか。
秋月、冬川、俺。
晴人はアクティブでいろいろな場所に赴くことも多いから、それらの場所で、そういった人がいるのかもしれない。
「そんなの関係ないじゃん」
俺の口から洩れたつぶやきを一刀両断するような言葉が飛んできた。
「春樹がどうしたいかが大切なんじゃないの。春樹は晴人に打ち明けてほしいんじゃないの? そういう相手がすでにいるかどうかないいてどうでもいいじゃん。春樹が晴人にとってのそういう相手になりたいかどうかが最も大事だと私は思う」
いつの間にか俺の近くへと歩み寄っていた秋月は、俺の目を射抜くような、捕らえて離さないような視線を向けている。
「それに、そういう相手は多いほうがいいに決まってるじゃん」
ふわりと穏やかな笑みを浮かべると、秋月はくるりとこちらに背を向けた。
「じゃあ、今日のところはもう帰ろうか。下校時刻だしね」
屋上で聞く下校のチャイムは、どことなくさっぱりと澄み渡って聞こえた。
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