第70話 文化祭Ⅱ
「……どういうことなの、あれは」
ぐったりと部室の机に突っ伏したと思いきや、疲れ果てた声が秋月の口からこぼれる。
「これまでの相談部の先輩たちは、どうされてきたのでしょうか」
生徒会に所属しており、学校の事情にも詳しい冬川は、さすがにそれほど驚いた風でもないが、顧問との関わり方の難しさについては感じているみたいだ。
残る晴人はといえば、部室を出たときから、ずっとスマホの画面を操作し続けていた。画面に顔を向けたまま、耳はこちらに向いている。
「去年転任してきたみたいだね、彼女は。名前は本真さゆり。担当科目は国語。三年生の受験コースをもっているね。前の高校は――隣の赤坂高校だ。ここでも国語を、しかも三年生の受験コースを担当していたんだってさ。」
三年生の受験コースを担当していた国語の先生か。受験生たちのピリピリと緊張した雰囲気で本真先生もあんなにピリピリしていたのだろうか、などと冗談にもならないようなことを考えながら、次に晴人が言うであろう俺たち相談部員にとっての重要事項に耳を傾ける。
「肝心の本真先生が相談部の顧問になった、本人曰く、ならさせられた、押し付けられた、その経緯だけど、ちょうど相談部の前の顧問が学校を去るタイミングと本真先生が転任してくるタイミングとが重なったからみたいだね。しかも、前の顧問も国語を担当していたみたいだし、学校側としては、そのまま引き継いでもらう方が色々と手間がかからないと考えたんじゃないかな」
つまり、冬川の疑問に答えるのであれば、《これまでの》相談部の先輩で本真先生と関わりがあったのは、去年活動していた相談部員だけで、あの先生の態度からするに、どうするもこうするも、どうにもしていなかったのではないかと思われる。
「確かに、変だとは思ったんだよね。あの桜井先輩が部長にもかかわらず、文化祭で毎年恒例の文集を出していたなんて。先輩は革新派だから、絶対現状打破を目指してこれまでとは違った企画を出していると思っていたのに。……本真先生があんな感じだから、先輩もどうしようもなかったんじゃないかな」
それって、まずくないか? 俺たちの相談部小説の企画も了承してもらえないってことじゃないか。
「じゃあ、別の企画にするか」
あくまでもまずいのは、新しい企画を考えなければならないという点で、俺個人としては、小説を書く必要がなくなるわけで、相談部小説を書かないなら書かないで別にそれはそれで構わない。
「それはダメだ。相談部小説は出したい」
反論するとしたら秋月ぐらいのものだと考えていたが、このとき意外にも晴人から反対の声が上がった。それも真剣さがうかがえる声音だったため、ほんの一瞬ではあるが、空気が緊張感に包まれた気がした。その空気を緩めたのもまた晴人であった。
「プロットを考えるのがとても楽しみになっちゃってね。もうやみつきだよ。止められないよ」
晴人は鞄から取り出したうまい棒にかぶりついた。……学校にお菓子って持ってきていいの? というか、もし仮にいいのだとしても、いつもうまい棒を持ち歩いているのか?
「他にも、キャベツ太郎や餅太郎もあるよ」
そんなことは聞いていない。……キャベツ太郎は俺も好きだけれども。
内なる欲が表に出ていたのか、「春樹も何か食べる?」と晴人が鞄の中を見せてくる。……おいおい、こんなにたくさん入っているのか、お菓子。
「晴人さん、学生の本文である教科書はどうされているんですか?」
鞄の中身の大半を占めるお菓子に冬川は驚きを隠せないようだ。しかしながら、教科書をどうするかだなんて、そんなこと――ん? もしかして、冬川は――。
「冬川、教科書っていつもどうしてる?」
俺の質問の意図が読めないのか、冬川は首を傾げた。
「どうって、鞄の中に入れていますよ」
鞄の中を見てみれば、そこにはきれいに並べられた教科書が入っていた。
「……もしかして、冬川さんって、毎日教科書を持ち歩いているの?」
俺の横から晴人も鞄の中を覗き込む。
「ええ、そうですけど。……晴人さんはどうされているんですか」
晴人とたがいに目を合わせる。――どうする、言った方がいいか。いや、でもなんか言いづらいよね、どっちかっていうと冬川の方が学生のあるべき姿っていう気がするし。そうだよな、別に悪いことはしていないんだが、何となく罪悪感を感じてしまうというか。でもやっぱり隠し事は――。
そんなやり取りを目で瞬時に行った俺たちは――ちなみにこの特技は俺と晴人が中学時代に身につけた共同スキルの一つだ――首を傾げている冬川の方を向く。
「えーとな、正直なことを言った方がいいかとは思ってな、冬川には」
こほんとわざとらしく咳をする。よーし、言うぞー。そんな女の子に告白するくらい緊張しながら――告白したことはないのだが、まあ、想像だ、想像――俺は重々しく口を開いた。
「教科書は机の中に置いてある」
全国の高校生の皆さん、これが一般的というか、よくあるケースというか、皆さんそうしてますよね? 毎日教科書を鞄で持ち帰ったりしてませんよね?
「ええ、それは私も教科書は机の中にしまいますけど」
話が通じてない!
「あー、冬川は毎日教科書を家に持って帰って、次の日には教科書を学校に持って行って――を繰り返しているんだよな」
ええ、そうですよ、という冬川の言葉を聞き届け、俺は話を続ける。
「俺たちはそれをしていないんだよ。教科書を学校の机の中に置いて、下校しているんだ」
まさか! 確かにそうすれば、毎日重たい教科書を持ち帰らずに済みますね!
人生最大の大発見をしたとでも言いたげな驚き様でハイテンションで冬川は握りこぶしを反対の広げた手にうち当てた。……どうやら、秋月の影響が冬川をも侵し始めているようだ。
でも、予習と復習はどうするのでしょうか。その――つぶやきに答える声はなかった。
「教科書で思い出したんですけれど、本真先生って教科書を作られているんですね」
しばらくすると、冬川は自分の鞄の中から一冊の教科書を取り出した。表紙には、『国語』と書かれている。
「ここです」
教科書の最後の方のページには、『編者 本真さゆり 緑坂高校』と書かれていた。
「教科書を書いているなんてすごい!」
今度会ったときにサインもらおうかな、と浮かれている秋月を横目に、俺たちは話を進める。
「これは、状況が悪いな」
本真先生が名の通った先生だとすれば、少々面倒なことになるかもしれない。
「どうしてだい?」
サインは教科書にしてもらうことに決めたようで、秋月は冬川の教科書をパラパラとめくり、どのページにしようか、などと悩んでいる。
「……他の先生に頼んで、本真先生を説得してもらう手があるのではと考えていたんだが、どうも難しそうだな。本真先生が著名な先生だと。他の先生も本真先生に物申すのは気が引けるだろうし、もしかしたら本真先生も他の先生のことを下に見ていて取り合わないかもしれない。とにかく、状況は悪化したと言っていいと思う」
さっきの会話からもあの先生は一度決めたことは変えないといったような雰囲気を醸し出していたし――前途多難だ。
「やっぱり表紙かな!」
いっそのこと、《先生のファンです、サイン下さい》の方法で上手くいかないだろうか?
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