第4章 一億総手塚治虫時代

人それぞれの好みもあるが、絵柄には流行がある。

所謂「萌え絵」には大きい頭や目、省略化された鼻や口という特徴があるが、

これは幼児に見られる特徴で、大人が赤ちゃんや子供を愛でるような感覚がある。


しかし冷静に考えると「鉄腕アトム」もそれに当てはまる特徴がある。

つまり、萌えブームにおいてこういったデフォルメが革新的だったわけではない。

今の目で手塚漫画を見ると萌えに分類されるキャラがいくつも出てくる。

というより、「ボクっ娘」「猫耳」「ケモノ」など今の萌え要素と呼ばれる物のほとんどは手塚治虫によって既に発明されていた。

もちろん細かい差異はあるが、

これは時代を経て読者の目線が変わったという事だろう。

読者・視聴者の成長という目線でサブカルの歴史を追っていく。


近代漫画の黎明期は「子供のための漫画」であった。

まだ物が無く貧しかった時代、

ストーリーは夢あふれるSFや冒険物が主流で、

登場人物は強い大人や怪獣、面白いロボット、優しい魔女など

超能力を持ったスーパーヒーロー、ヒロインが主役。

ヒーローに憧れた子供たちはやがて現実と向き合い漫画を卒業して大人になる。


60年代から70年代ハードボイルドな社会派や時代劇の劇画、

「あしたのジョー」や「巨人の星」などのスポ根など

漫画は荒唐無稽なSF以外のジャンルを開拓し、

登場人物も読者に近い等身大の主人公が中心になる。

これは青少年の心を掴み、やがて「大学生が漫画を読む時代」になる。

漫画に自己投影できるようになった事で、

読者と漫画が共に成長し、漫画を卒業しない人が増えたのである。


物語的(外面世界)に成熟期に達した漫画は、

80年代にキャラクター造形(内面世界)に目が向けられ、

内面心理を描いてきた少女漫画の影響を受けると同時に

コミックマーケット(同人誌)などのファンダム文化(おたく)が勃興する。

この頃を象徴するのが

高橋留美子やあだち充などのラブコメ漫画や

吾妻ひでおを始めとするロリコン漫画である。


特に80年代のロリコンブームと00年代の萌えブームの類似性は着目すべき点である。

ロリコン漫画は今でこそエロ漫画と同一視されるが、

性的・肉体的関心ではなく、

純粋でプラトニックな少女愛として高尚な文化と(一部で)認められていた。

これは「萌え原理主義」に極めて近い考え方であろう。


大人向けに大人が主人公の漫画も出てきたが、

これまでのように登場人物に自己投影するのではなく、マンガ家同様に物語を俯瞰で眺める読み方が生まれ、「大人が読んで描く漫画」になり、

サブカルの主体は漫画からアニメに移行する。

アニメの世界では「ヤマト」や「ガンダム」などのSFブームとなり、

漫画の世界で言う劇画全盛期のようにリアルで硬派な作品が生まれる。

漫画とアニメでは流行に10年の開きがあると言えるかも知れない。


この段階で今のオタク文化の下地は完成していたが、

宮崎勤事件もあり、社会一般には大人になってもマンガを卒業できないオタクは

社会不適合者、また犯罪者予備軍として差別の対象となった。


90年代になるとますます、この傾向は強まる。

家庭用ビデオデッキが普及し、ゲーム文化が勃興すると

秋葉原などの電気街がオタクの街と化し、フィギュアなどのグッズも生まれる。

一方、現実世界では不況が続き、行き過ぎたオタク差別も拍車をかけ

外に出て恋愛をするという消費活動を行わなくなり、

部屋に篭もり「美少女ゲーム」や「恋愛シュミレーション」に没頭するようになる。

オタク全体が内向きになる中で、漫画、アニメ、ゲームのメディアミックスが進み、

「アダルトゲーム」との親和性も高められ、萌えは性的な意味合いも含むようになった。


00年代になり、ネット文化が広まると

ドラマ化された「電車男」の成功もあり、社会的にもオタクの名誉は回復に向かい、

オタク文化の一面でしかなかった「萌え」がフィーチャーされ、社会一般にも認知され始める。

こうして「萌え」を中心に捉えたコンテンツが増え、

極端に物語性(テーマ性)を排した日常系と呼ばれる作品群が生まれる。

これは登場人物に自己投影するのではなく、登場人物に萌えることが目的であり、

私が社会人になり、仕事に追われる生活の中で萌えアニメを許容するようになったように、今までアニメを見なかった層も取り込むなど、アニメ視聴者の幅を広げた一方で、ある意味では読者・視聴者の白痴化を促したとも言える。


百合やBLに関しては萌えに似てはいるが、登場人物の同性同士のカップリングを妄想して第三者の視点で萌えるため多少複雑ではあるが、

「くまみこ」のアニメ最終2話の炎上で、

「面白くない」ではなく「かわいくない(萌えない)」という批判が起こった事は

まさに視聴者の白痴化を表していたと言えるのではないか?

これは視聴者層の幅が広がりによってオタクの中にもライト層が生まれた事も一因ではある。

一方で80年代以降、アニメ・マンガ評論の分野もネットと共に発展を続け、

視聴者層のレベルが上がっていることもまた事実であろう。


そして、YouTubeやニコニコ動画の誕生とPCやデジタルの技術革新により、

同人誌(漫画)のみならず個人でアニメが作られるようになった。

つまり、ようやく視聴者は手塚治虫に追いついたのである。

こう歴史を見ていくと萌え文化はマンガ文化のある意味で完成形であり、

劇画全盛期からの漫画の復権であり、「一億総手塚治虫時代」の到来だったとも言えるのではないか?

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