表情取引所

 人間の感情は、まるでそれ自体が生き物のように気まぐれだ。

 泣きたいぐらい悲しいのに笑ってしまったかと思えば、面白過ぎて泣いてしまったり。


 そして、時と場合により、どうしても出してはいけない感情、逆にどうしても出なくてはいけない感情というものがある。

 しかし、気まぐれな感情をコントロールするのは至難の業……なのだが、感情の相棒であり、感情よりも操作しやすい存在、それが表情。

 

 とある歓楽街の裏路地にひっそりと佇む1軒の店。

 ここは日本……いや世界で唯一、表情の売買が行われる〈表情取引所〉。

 今宵もまた、表情を売りたい人、表情を買いたい人が訪れてくるに違いない。

 この世界が、感情によって動いている限り……。




 ガラガラガラッ!

 引き戸を勢いよく開けながら店の中に入ってきたのは、サングラスをかけた初老の男性。


「いらっしゃいませ」


 店主がカウンター越しに声をかける。


「た、頼む、急いで泣き顔を売ってくれ!!」


 男の顔にはじっとりと脂汗が滲んでおり、声は焦りに満ちていた。


「泣き顔ですが……少々お待ちください」


 店主は手元に置いた帳簿をペラペラとめくりながら、客の顔をチラッと確認した。

 どこかで見たことあるような、と記憶の糸をたぐり寄せ、無事答えにたどり着いた。


「あっ……」


 嬉しそうにニコニコ笑いながら思わず声を漏らす店主。


「ど、どうかしたのか!?」

「あ、はぁ……お客様もしかして、芸能界の方ですか?」

「な、何言ってんだ!? 職業を明かさないと表情を買うことは出来ないのか!?」

「いえ、表情に個人情報など一切関係ありません。失礼しました」


 店主は頭を下げつつも、その顔は満足げだった。

 間違い無い。

 この客は最近週刊誌に不倫スキャンダルをすっぱ抜かれた某有名芸能人。

 恐らく、これから謝罪会見が開かれるのだろう。

 謝らなければならないのだから泣き顔が必要という気持ちは分かる。

 しかし、本当に謝罪の念があるのなら、店で買わずとも自然と湧いて出るはず。

 それに……。


「申し訳ございません。ただ今、泣き顔は品切れとなっておりまして……」

「なんだと!? チッ、使えない店だな……!」


 男は舌打ちしながら踵を返し、入って来た時よりも荒々しくドアを開けて帰って行った。


「またのお越しをお待ちしております」


 ニコニコ笑いながらその背中を見送る店主。

 手元の帳簿には、『泣き顔在庫僅少』と書いてあった。



 

 ガラガラガラ。

 店のドアが開き、今度は喪服を着た女性が入って来た。


「いらっしゃいませ」

「ねえ、泣き顔ある? 今すぐ必要なんだけど!」


 女性は明らかに苛立った顔をしながら店主に尋ねた。

 

「泣き顔ですか……少々お待ちください」


 もちろん、在庫僅少なのは把握済みなのだが、店主は表情を軽く取り扱いたくは無いと考えており、決まってこう言いながら帳簿をペラペラめくるようにしていた。

 その間考えていることと言えば、この客がなぜその表情を必要としているのか、ということ。

 喪服と言えば葬式。

 葬式と言えば涙……だが、悲しければ自然と出るはず。

 つまり、買わなければ泣けないような理由が──。


「ちょっと、まだ!? 早くしないと遅れちゃうんだけど! お義母さんの葬式に!」

「ほう、おかあさま……とは、もしかしてお姑さんでしょうか?」

「そうよ! 死ぬ間際までずっとネチネチ嫌味を言われ続けた上に、葬式を遅刻なんてした日には私が死ぬまであの世から嫌味を言われ続けちゃうわ! だから早くして!」


 なるほど、そういう事情が……店主はニコニコ笑いながら頷いた。

 女性の顔には長い苦労の跡と思われる深いしわが刻まれている。

 嫁姑問題に関しては一概にどちらが悪いと言い切れるものでは無い。

 ただ、店主の目に映る女性の顔は、焦りの下にどこかホッとしたような安堵の感が見え隠れしていた。


「お客様、泣き顔につきまして、僅かですが在庫あります」

「ホント? 良かった! じゃあ、それ売ってちょーだい!」

「かしこまりました」


 店主が金額を告げると女性はすぐに財布からお金を出し、泣き顔を手に入れて満足げな表情を浮かべたまま店を後にした。

 帳簿の泣き顔欄は『僅少』から『極僅少』に書き換えられた。




 ガラガラガラ。

 店のドアが開き、今度はランドセルを背負った少年が入って来た。


「いらっしゃいませ!」


 店主は満面の笑みを浮かべ、心の中でガッツポーズした。

 なぜなら、子供がこの店に来ると言うことは十中八九買いでは無く売り。

 そして、昔から子供が売る表情と言えば〈泣き顔〉に決まっている。

 店主自身も幼少期、なんども泣き顔を売ってお小遣いを稼ぎ、駄菓子やオモチャを買ったものだった……のだが。


「あの……笑顔を売りたいんですけどぉ」

「……えっ? 笑顔、ですか?」

「うん。だって、学校で笑ってるとヘラヘラするなって怒られるし、外で友達と笑っていると近所迷惑だって叱られちゃうし、家で笑ってるとそんな暇あったら勉強しなさいって言われちゃうし……」


 店主はニコニコ笑いながら絶句した。

 まさか、子供が笑顔を売りに来るとは……。


「か、かしこまりました……少々お待ちください」


 手元の帳簿をパラパラとめくりながら、店主は大いに悩んでいた。

 笑いながら遊ぶのが仕事とも言える子供から笑顔を買い取るなんてこと、できるわけが無い……。

 かと言って、大切な客であることに変わりは無く、少年は少年で笑うと怒られるというのとは別に、シンプルにお小遣いを欲しいという気持ちもあるかも知れず……。


「すみません。笑顔はただ今とても多くの在庫が余っている状態のため買取してないんです」


 店主は笑顔のまま頭を下げた。


「えっ? そうなの??」

「はい。ただ、もし良ければ……」

「う、うん」

「なにか悲しいことがあった時は、すぐに当店へお越し下さい。現在、泣き顔は需要が増加していて常に品薄状態のため、高値で買い取らせて頂きますので」


 店主が小声で具体的な金額を告げると、少年は「えっ!? うそ、そんなに!?」と驚きの顔を見せた。


「あっ、もし良かったらその〈驚き顔〉買い取らせて頂けませんか? テレビに出演されてる方などは大きなリアクションを求められることもあって、驚き顔についても非常に高値で取引されていますので」


 またも店主が小声で具体的な金額を告げると、少年の顔がパァァと笑顔に変わった。

 そして、子供であればそこそこ豪遊できる程のお金と驚き顔を交換し、少年は嬉しそうに店を出ていった。

 店主はその背中を見送りながら、窓ガラスにニコニコと笑う自分の顔が映っていることに気がついた。


 泣き顔に比べ、笑顔は置き場所に困るほど余りまくっており、それを裁くために店主は常に自分の顔に笑顔を貼り付けていた

 しかし、いま窓に映る自分の顔は紛れも無く自然に出た“本当の笑顔”であり、たったそれだけでこれほど幸せな気持ちになれるのかと驚きながら、店主は帳簿をパラパラとめくり、〈驚き顔〉の在庫欄の数字を2つ追加した。

 


〈了〉

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