ハゲを拾った男
仕事の帰り。
川沿いの道を歩いていた男は、道端に光る何かが落ちていることに気がついた。
「も、もしかして……」
道に落ちてる光るものといったらアレしか無い……と、男はソワソワしながら駆け寄ってみた。
しかし……。
「な、なんだこりゃ!?」
それは、綺麗な〈M字ハゲ〉であった。
「おカネじゃなくておハゲかよ! 紛らわしいんだよ!」
給料日前につきカツカツで過ごしていた男は、ぬか喜びのお返しとばかりに、そのハゲを拾って川に投げ捨てようとした……のだが、振り下ろした手はハゲを掴んだままだった。
男の脳裏に浮かんだのは、数年前に亡くなった父親の面影。
若くして天国に旅立った父親の頭もまた、綺麗なM字ハゲだったのだ。
「ったく、しょうがねーなーもう……」
最初から無視しとけば良かったと後悔しながら、男はハゲを持って近くの交番へと歩き出した。
「すみませーん」
男が交番に入ると、優しそうなベテラン警官が声をかけてきた。
「ん? お兄さんどうかした?」
「いや、川の近くの道に落ちてたこれを拾って……」
男は鞄の中からM字ハゲを取りだして警官に見せた。
「ああ、ハゲかい。財布なんかはしょっちゅう来るが、M字ハゲとは珍しいねえ。まっ、落ちてないハゲならそこら中で見かけるけども」
そう言って警官は豪快に笑った。
「そ、そうですね、ハハハ……。あの、これってどうしたら良いんですか? 正直くたくたで、すぐ家に帰りたいんですけど……」
「ああ、すまんがハゲを拾った人には書類に名前と住所、それにいくつかの質問事項について記入頂く決まりでね。ちょっとそこに座って貰えるかな」
警官は申しわけ無さそうな顔で伝えながら、机の引き出しの中から書類を取り出した。
「あっ、そうですか……そんな長くはかからないですよね?」
男は、机を挟んで警官と向かい合う形で椅子に腰を下ろした。
「うーん、どうかなぁ。素直に答えてくれればねぇ」
「……えっ? どういう意味ですか?」
「いやね、ハゲを拾ったと言いつつ、実はハゲを盗んだ犯人だったというケースもあるからねぇ」
「…………!?」
驚きのあまり言葉を失う男。
それもそのはず。
好き好んでハゲを盗む人間なんてこの世に居るわけがない。
いや、万が一そんな人間が存在してたとしても、せっかく盗んだハゲを交番に届けるだろうか?
と言うかそもそも、このハゲの落とし主の頭は一体どんな状態になってるんだろうか……。
様々な思いを頭の中で巡らせながら、男はとりあえず警官に渡された書類に住所や名前など必要事項を書き込んでいった。
が、妙な視線を感じて顔を上げると、そこには男の頭のあたりをマジマジと見つける警官の顔。
「えっ、なんですか!?」
「あっ、気にしないで。ハゲ確してただけだから」
「ハゲカク?? って、なんですか?」
「ハゲ確認、略してハゲ確ね。さっきも触れたが、この世には他人の頭からハゲを盗む不届き者が居るからねぇ……あっ、お兄さんは大丈夫そうだね。フサフサだし」
「そんなことが……って、大丈夫なのは今だけですよ」
深いため息をつく男に対し、警官が「おや、それはどういうことだい?」と問いかける。
男は、自分の父親がこのM字ハゲにそっくりなM字ハゲだった件を話した。
「なるほどね。ハゲは遺伝すると言うから、それを恐れてるってわけか。まあ私は一介の警官に過ぎず、専門的な知識があるわけじゃないから何とも言えないが、そう悲観する必要は無いと思うよ」
「えっ? なぜ……?」
男は書類に走らせていたペンを止めた。
「キミのお父さん、そのハゲとそっくりなハゲだったと言ったね」
「はい、そうですけど……」
「だとしたら、それはとても羨ましいことだ」
男は一瞬、警官の言ってることがよく分からずに思考が停止してしまった。
父親を含めたハゲの人たちには申しわけないが、ハゲで羨ましがられるなんてことあるわけが──。
「ほら、私なんてこの有様だからね」
警官は自ら被っている帽子を取り、少しうつむくようにして露わになった頭を男の方に向けた。
「あ……」
思わず言葉を失ってしまう男。
警官の帽子の中身は、お世辞にも“良いハゲ”とは言いがたい、非常にとっちらかったタイプのハゲ頭だったのだ。
「ねっ。羨ましいと言った言葉の意味、分かってくれたかな?」
「ま、まあ……」
「おっと、すまんすまん! 気を使わせちゃったね」
警官は帽子を被りながら矢継ぎ早に続けた。
「ここだけの話、カツラという選択肢を考えたこともあるんだけどね、ギリギリの所で踏みとどまったんだよ。なぜだか分かるかい?」
「い、いや……ちょっとわかりません……」
「市民の安全を脅かしておきながら嘘をついて罪を隠そうとする犯人に対し、嘘を見抜いて真実を明るみにするのが務めの警官が、カツラという名の嘘をついてちゃダメだろ……ってね」
ベテラン警官は、言ってやったとばかりにキメ顔を決めた。
……が、いまいちピンと来てない男の様子を見てさらに続けた。
「まず、警官である私が真実の頭を明るみにしなくてどうするってね。嘘の毛はいかん。嘘の毛いかん。嘘の警官……なんちゃって」
「……プッ! ぷはははは! ちょ、ちょっと何言ってるんですかもう!」
警官の口から飛び出したオヤジギャグがあまりにもくだらなすぎて、男は思わず吹きだしてしまった。
そして、そう言えば自分の父親は自らのハゲを自虐した事は1度もなく、常に堂々としてたっけ……なんてことを思い出していた。
「こりゃ失礼。話を逸らしてしまって申しわけない」
「いや、全然……って、そういえば、このM字ハゲの落とし主がいつまで経っても現れなかったらどうなるんですか? 処分されるかとか……」
「そんなもったいない! 私がこっそり貰うことになるだろうね」
「えっ? マジですか!?」
「…………」
「ほ、本当なんですか?」
「…………失礼。今のは嘘だよ。貰いたい気持ちは山々だがね」
「も、もう! 勘弁してくださいよ! っていうか、あんなに偉そうなこと言っておきながら、市民に対して平気で嘘付くとかダメでしょ!」
「ハハハ、こりゃ一本取られたな。おっと、私の髪の毛は一本取られたどころの騒ぎじゃなかった」
「プッ……って、これじゃいつまでも帰れませんよ! もう、いい加減ちゃちゃっと書いて終わらせるんで!」
男は楽しそうに笑いながら、簡単な質問事項に答えを書き記していく。
……しかし、書類の最後に記載されていた確認事項を見た瞬間、ペンの動きがピタッと止まった。
「えっ、これどういうことですか……?」
そこにはこう書かれいた。
【□2週間経過しても落とし主が現れなかった場合、ハゲは拾い主の物となることを了承する】
「どういう……って、書かれている通りだよ」
「えっ、いや、『ハゲは拾い主の物になる』って、つまり僕のことですよね? ハゲが僕の物になるって一体……」
「酷なようだが、つまりキミの頭がこのM字ハゲになるってわけだ。奇しくも、父上に似たこのM字ハゲにね……」
「嘘でしょ……。覚悟してるとは言え、まだまだ先のことだと思ってたのに……あっ、さてはこれも冗談なんですよね? ほら、さっきみたいに!」
「すまない……法律でそう決められているんだよ……」
その警官の表情を見て、男は本当に冗談なんかじゃないことを悟った。
だとしたら、こんな確認事項にチェックなど入れたくはない……と、ペンを置こうとしたその時。
「そうだ! 警官さん、僕と裏取引しません?」
「えっ? やぶからぼうに何を……よりによって、警察と裏取引だなんて」
「良いから聞いて下さい。実際に僕が拾ったから分かるんですけど、あんな場所に捨ててあったってことは、きっと必要が無くなって捨てられたハゲだと思います。だからきっと、2週間経っても落とし主は現れないでしょう。そうなった場合、結果的に誰も得をしません。僕なんてM字ハゲになってしまうほどです。たまたま、この交番には僕とあなたしか居ません。なので、僕が手に入れたこのM字ハゲを、警官さんにプレゼントする……そう、日頃我々市民の安全を守ってくれていることに対するお礼として……」
男は、わざとらしい“企み笑顔”を見せつつ、その瞳には優しさで満ちあふれていた。
「そ、それは……正直言うと、もの凄くありがたいプレゼントであるが……警官として……」
「大丈夫です。僕が黙っていればこの件が明るみに出ることは絶対にありません。天国の父に誓って、このことは一生黙って墓場まで持って行きます!」
「そ、それならば──」
と、ベテラン警官の手がM字ハゲを掴みかけたその時。
「あー! それワシの!! ワシのハゲ!! 良かったぁ~。2度と会えないかと思った~。あっ、もしかしてあなたが拾ってくれたのですか? いやぁ、ありがとうありがとう! 本当にありがとねぇ!!」
小太りの初老男性が交番に飛び込んで来るや否や、思いの丈を早口で吐き出し、男の手を握ってハンチングを被った頭を何度も下げて感謝の意を表した。
「い、いや、どういたしまして……ハハハ……」
男は乾いた笑いと共に、苦笑いを警官に向けた。
まあ、裏取引をする直前で助かった……と思いきや。
「では、落とし主さんはこちら、拾い主さんはこちらの書類にサインして下さい」
警官は、顔を曇らせながら2枚の書類を机の上に置いた。
「……えっ!? これ、どういうことですか!?」
拾い主用の書類に目を通した途端、愕然する男。
そこにはこう書かれていた。
【2週間以内に落とし主が現れた場合、拾い主はハゲの1割を受け取らなければならない】
「ちょ、ちょっと!? ハゲの1割って……これ拒否できないんですか!?」
「すまんね。法律で決まっているんだよ……」
警官は、色々な意味で残念だとばかりに首を横に振りながら、深いため息をついた。
「それじゃ、ハゲの9割を私が」
と、落とし主の初老男性がハンチングを脱ぎ、M字ハゲを器用にちぎって自分の頭にのせ、
「残りの1割を君に。ホント、ありがとうね!」
と笑いながら男の頭に乗せた。
恐る恐る交番の窓に目を向けるとそこには、父親に似た頭が……。
「これで僕も、ちょっとだけ父さんに近づけたかな……って、そんな近づき方全然嬉しくねえ! ハゲの落とし主からハゲ1割プレゼントとか誰得~!」
〈了〉
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