東京都防衛編

記録01 俯瞰の硝煙

2019年 5月

日本海上空



「アメリカがかなりやられてるってのは本当なのか? デオグラシアス」

 ピーター・スミスは飛行中のヘリのなかを歩き回りながら、タブレット端末を操作する同期の隊員に話しかけた。デオグラシアスは角刈りの頭を動かしてピーターの顔を見やると、鼻を鳴らして端末に顔を戻した。

「祖国が心配なのか? ピーター。ハンバーガーほど不味いものはないと言っていなかったか?」

「そうだとも。確かに俺は母国が大っ嫌いだ。だがな? いち軍人として関心を持たずにいられるわけがないだろう? 嫌いと不必要は違うんだぜ、デオグラシアス。なんだかんだであの国はなくては困る。単純な興味本位だよ。あのアメリカ軍が苦しめられるほどの状況ってのは一体どんなもんなのか。ターミネーターでも攻めてきたのか? まさかほんとにゾンビが溢れたわけじゃないだろう?」

 デオグラシアスのタブレットが映していたのは東京都の衛星写真だった。報告では現在の東京都はその衛星写真からはかけ離れた有様になっているとのことだった。

「お前はハリウッドは好きなんだな?」

「嫌いだよ。好きなのはハリウッド映画だ」

 操縦席の後ろに座っていた若き女性隊長が、席から立ち上がり通路の真ん中に立った。上官の命令を察知したピーターは、素早い身のこなしでデオグラシアスの隣に腰を下ろした。

 国連軍特殊作戦部隊第八大隊隊長シェリー・カスペンダー少佐は機内の部下たちを見回し、それぞれの表情が真剣味を帯びていくのを眺めた。

 この若い少佐が女性でありながら、訓練生時代に残した伝説は数知れない。そして異例の早さで昇格を果たし、国連軍特殊部隊の隊長にまでのぼりつめたのも、彼女が敏腕の兵士であることの証明となるだろう。いまだかつて、彼女の持つ訓練生時代の射撃大会記録を打ち破った者はいない。

 シェリー少佐は充分な沈黙をつくってから、隊員たちに切り出した。

「間もなく当機は目的地へ到着する。東京都内の地図は頭に叩き込んだか? たった今現在の都内の衛星写真を各々の端末に送信した。一目見ておくように。それからもう一つデータを送っている。開いてくれ」

 隊員たちはそれぞれの携帯端末に送られたデータを呼び出した。そのデータは「重要機密」と記述されているわりにはあっさりと開き、そして彼らを困惑させた。彼らが目にしたのは、見たこともないグロテスクな写真と、膨大な記述だった。

 シェリー隊長はデータについて話し始めた。

「昨日、日本の自衛隊が都内にて黒い生物の撃破に成功した。みんな戦闘中のこいつらの映像は見たと思うが、これは我々が手に入れたおそらくはじめての奴らの死体の写真だ」

 見上亜莉沙上等兵は小柄な体とは裏腹に、強い精神力と粘り強い性質を持つ兵士だったが、その端末に映した写真には戦慄を覚えずにはいられなかった。それはまさしく「見たこともないもの」だった。

「ほぼ原形を留めていないが……ここまでやれば、とりあえず奴らは死ぬらしい。これで奴らを殺せるということだけはわかったわけだ」

 それの死体の傍らには長さを示すメモリが付随しており、その全長は三メートルに近かった。

 見上上等兵や他の隊員たちは、“それ”の映像や写真をいくつか見てきた。しかしそれはどれも不鮮明で、そして鮮明に映っていたとしてもそれがどんなモノなのか正確に識別することはできなかった。

 奴らは黒い皮膚に覆われていた。褐色の黒人の肌とも、日焼けした健康的な肌とも違う。

 それはまことに漆黒の皮膚だった。

 その生物は人に似た形をしていた。

 筋骨隆々の肉体に、鋭い牙と爪。白い毛髪のなかに湾曲した角を生やし、とがった耳を持ち、目は赤く、黒い肉体のなかで真っ白な牙がむしろ際立っていた。

 限界まで盛り上げたともいえる筋肉を纏ったその生物は一見、体毛のないゴリラで、首から上は肉食化したヤギのようでもあった。

 見上が見たそれの死体は半分以上が損壊しており、血まみれだった。血は赤かった。その黒い肉体に似合わず、流す血は赤く、皮が剥げて露出した筋線維も赤かった。その写真はそいつがただ単に皮膚が黒いだけの動物なのだという事実を示し、目にした隊員たちを安心させる。

しかし問題なのは、自分たちと同じ生物である筈のその生き物が、今までただの一度も観測されることなく、常識では考えられない能力を有し、突如として大量に現れたことだった。

「戦車の榴弾一発に、小型ミサイル二発、銃弾無数。それがこいつを殺すのに使用された弾薬だ」

 隊長が口にした兵器の数は、異常だった。たった一匹の生命体を抹殺するのに用いられる兵器の数ではなかった。少なくとも、地上にいる生物のなかでは。

「こいつを殺すことが可能であるという事実は朗報だが、同時に悪報だ。これだけのものを叩き込まなければこいつは死なない」

 写真の黒い生物は、腹部に巨大な穴が空き、角が折れて片腕がちぎれていた。腹部の筋肉が露出し、内臓が垂れ下がっている。口を大きく開き、目は大きく開かれていた。

 確かにこれは死んでいた。これだけの傷を負えば、死んでいる筈だった。それでもこれが確実に死んでいるという確信を持つのは難しかった。報告にあるこの生物は、それだけ生命力が異常に高かった。

「現在も解剖中だが、なにせメスを入れるのにもかなり手こずっているようでな。現状で判明していることは記載されている。こいつの全容判明にはまだ暫くかかるそうだ」

 シェリー少佐は、ゆっくりと通路を歩きだした。神妙な面持ちの隊員たちを、一人ずつ眺めていく。作戦を始めるにあたり、メンタルに問題のある隊員はいなかった。ピーターにあたっては、相変わらずへらへらとした笑みを浮かべていた。が、その目は真剣だった。

「こいつの正体はいまだ掴めていないが、とにかく弾丸を撃ち込み続ければ死ぬということはわかった。勝てない相手ではない。全員気を引き締めろ!」

 隊員たちの野太い返事が機内に響いた。

「現在確認されている日本にいる黒い生物の総数は100体前後。各地の自衛隊基地に分布し、東京都内が最も多い。渋谷区では数十体の黒い生物と自衛隊が交戦中。都内は約2割が壊滅状態。我々の任務は、壊滅した地区の生存者の探索、及び救出だ」

 シェリーは厳かな声音で、淡々と続けた。

「本来の我々の任務は、謎の生物の調査だが、ほとんどの自衛隊が動けないうえに、大打撃を受け、市民救出ができないというのが現状だ。歯がゆい話だが、我々の戦力では謎の生物に対抗することもできない。実際に我々が取り掛かるのは、謎の生物の調査という名目で行われる民間人の救出となる」

 通路を半分ほど進んだところで、シェリー少佐は振り返った。

「もう一度言っておくが、現在都内の警察消防等は機能していない。自衛隊は黒い生物への抵抗で精いっぱいの状態だ。故に我々が生存者の救出を行う。その後、自衛隊を支援する。部隊の分け方と探索地域は先ほど言った通りだ。なにか質問のある者は?」

 隊員たちが黙っていると、隊長はピーター隊員の前で足を止めた。不意にピーターの顔が引き締まる。

「さきほどのピーターの問いに答えよう。アメリカはいま軍基地の三割が襲撃を受けている。これからもっと増えるだろう。ワシントンが攻撃されているとの情報もある。ただ今は入ってくる最新の情報はどれも噂と区別がつかないから、正確とは言えないがな」

「まだ負けてはいないということですね」

 ピーターは、彼にしては珍しく厳かな口調で言った。

「ああ。君の故郷は無事かな、ピーター?」

「ド田舎なんで。奴らが襲うほど価値のあるものはありませんよ」

 機内に笑いが起こった。隊長も笑みをこぼし、再び歩き出した。

「こいつは世界中に現れている。各先進国が多大な被害を受けているなか、みな母国が心配だとは思うが、まずは目の前の任務に集中してもらう。まずは日本首都の市民の救出を最重要任務とする。皆の者! 準備はいいか!」

 隊員たちは大きくうなずく。

「間もなく到着するぞ!」

 目的地が近づき、着陸態勢に入ったヘリは大きく揺れた。眼下に広がる日本の首都は、あらゆる場所から炎と煙がのぼり、半壊した建物が溢れていた。

席に戻りシートベルトをしめたシェリー少佐は、向かいに座る副隊長に声をかけた。

「2班を頼んだぞ、中尉」

 副操縦士の後ろの席で短機関銃を握りしめた長髪の男は、静かにうなずきを返した。

「生きてまた会おう、カルロス」

 穏やかな笑みを浮かべた兵士、カルロス・アレクペロフ中尉は、静かに、しかし力強く決意を口にした。

「はい。必ず」

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