デイジーエッダ 第一部 ~地獄編~

りじょう

プロローグ ~ 第一章 はじまりの国-1

 遠い昔、神話が歴史であったころ。神の行いと人々の営みが、まじりあって歴史のタペストリを作っていたころ。世界は二つの文明ある存在に治められていた。ヒトとアクマ。神がその姿に似せたといわれるヒトは、平和を好み、国や村の共同体で個人をつないだ。個人をいたわり、助け合い、行き過ぎたものは縛ることで、種の繁栄を極めた。一方アクマは一様に、大きな共同体を嫌った。組織による統治を嫌った。個人の感情、個人の目的を達成することこそが幸福であり、そのための力と自由を信奉していた。アクマは、獣とヒトが合わさったようなものから、より獣に近い姿のものなど様々な姿で、言葉を解せぬ者もいるなど、知性も幅があった。

 そのような二者に共存はいかにも難しく。大多数のアクマが欲望のためにヒトを襲い、一部の力あるヒトがアクマを退治する。それがこの世界の秩序だった。

 しかし、凪いだ水面を風が起こすように、秩序はいつか乱される。

 ある時、一部のアクマが他のアクマを武力で、あるいは弁舌で併合し、勢力を拡大していった。やがてそのアクマは王を名乗り、ヒトを完全に支配するべく大規模な戦争を起こした。それに対して、ヒトも連合して応戦、世界中で争いが続いた。

 激戦の末、一部のヒトによってアクマの王は討たれ、戦争はヒトの勝利で幕を閉じた。多くのアクマはこの世界を離れ、魔界と呼ばれる場所へと住処を移した。残されたわずかなアクマはヒトを襲うことを忘れ、別の形での共存の道を歩き始めた。


 それから長い時が立ち、ヒトとアクマが共に暮らすことが当たり前となった。世界はヒトが治める国々によって分割され、統治された。共存を選んだアクマの末裔は、数は少ないながらもヒトと同じように町で暮らした。時折、ごく少数のアクマがヒトを襲う事件も起きた。しかし、これは先祖返りと呼ばれる非常に稀な例とされ、アクマ祓いと呼ばれるヒトに退治されていた。町の外では、獣のようなアクマに襲われることもあるが、それもまた、ヒトによる討伐の対象になった。ヒトもアクマも、秩序の中でおおむね平和に暮らした。

 それが、新しい世界の在り方であった


 第一章 はじまりの国

 

 朝。石造りの街並みには、一人の人も見えない。淡いべっこう色の太陽が差し込んでいるが、昨夜はかなり冷え込んだのだろう、幾分か透明感を感じる空気に包まれている。静かではあるが、そこら中の家々から目覚めかけの活気を感じさせる下町の通り。一人の男が花に水をやっていた。花や雑貨を商っている様子のその男は、いくつかの花に囲まれ、無表情でありながら心なしか微笑むような雰囲気を纏っていた。この男、その姿はヒトではなく、ヒトの四肢に豹の頭、柔らかな栗色の毛並みに包まれていた。彼の名はシトリー。この町に住むアクマである。アクマでありながら争いを好まぬ、穏やかな人物として評判だった。シトリーが目を上げると、かごを下げて通りを歩く、近所の女房と目が合った。

「おはよう、シトリーさん。」

「あ、おはようございます。」

「シトリーさん、聞いた?昨日この町でも先祖返りが出たそうじゃない。」

「え、そうなんですか?」

「えぇ。町の入り口の近くで、魂を抜かれて抜け殻のようになったヒトが発見されたそうよ。それがあの薬屋の息子さんらしいのよ。」

 おばさんは、気味の悪そうな、だけど好奇の色を隠しきれていない様子だった。

 先祖返り…このあたりではそのような話は全然聞かなかった。行商たちに聞く、遠い町の噂だった。

(先祖返りか。帰ってゆっくり新聞でも見てみようか。)

「そうなんですか…ここらも怖くなりましたね。おばさんも気を付けてくださいね。」

 そう答えると、おばさんは少しだけうれしそうな顔をした。

「あら、ありがとう。きっとアクマ祓いの人が派遣されて解決されるでしょう。心配ないわ。じゃあ、またね。」

「えぇ、それでは。」

 そう言って、おばさんが背を向けかけた瞬間だった。


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