52話「安置所」

「こういうの、あまりやりたくはないんですけど……」

 外がすっかり暗くなっている中で、電気のついた明るい室内に居る梓だが、あまりいい気分はしない。横には威圧的な銀色の冷蔵庫がそそり立っているし、目の前には、同じく銀色の、台に横たわった人体があるからだ。

 その人体の顔は、梓はよく見知っている。刑事、杉村叡吉のものだ。死神のような怪物によって首は切り離されているが、パーツとしては体の殆ど全てが揃っている。


「あたしも、こういうの慣れないから、なるべく早く退散したいところよね」

 梓の隣に居る杏香も、あまり気分の良さそうな顔をしていない。

「そうですよね……」

 目の前にあるのは、杉村の死体。紛れも無い人間の死体なのだ。職業柄、こういった死体の検視をしなくてはならない時も多いが、神職についている自分が死体を弄りまわしているという状態に、梓は時折、矛盾を感じ、また、魂の入っていない抜け殻の人体を触る度に、気分が沈んていく感覚にとらわれる。凄く嫌な感覚だ。


「ええと……一通り見てみましたけど、毛の痕跡は見つからなかったです。霊的なものも無いですね」

 とはいえ、梓にしか感じられないことがある以上、梓は死体の検視をしなくてはならない。


「そっか、これといって証拠は見当たらない……か……」

 杏香が唸りながら腕を組む。


「角がある以上、毛が大きな手掛かりになると思ったんだけど……」

「見当たらないですね……」

 梓には、杏香の言っている事が理解できた。角があるのならば動物の関係した容姿の可能性は高いだろう。となると、他にも特徴的な部位が存在するはずで、一番的を絞り易いのは毛だろうということだ。

 体の部位の中でも、毛はちょっとしたことで付着することもあるし、毛の色や長さによって、更に色々な情報が手に入る。


 梓が死体を探る事によって、霊的な観点で死体に残った細かい痕跡を見つけ出したいところなのだが……。

「どうも、そういった残り方をする呪詛ではないようですね」

「みたいね。一応の成果はあったか……」

「出来れば、もっと一気に絞り込みたかったですけどね。少なくとも、呪詛の傾向は絞れましたけど……」

 霊的な証拠も残さない呪詛。毛の痕跡は見つからなかったが、一応幅は少なくなった。


「ひとまずは、こんなところですかね……えと、この傷ですね、杏香さんの写真の……」

 梓が杉村の手の平の傷に注目する。杉村の手の平には、細かい、無数の傷が付いている。梓と杏香は、この傷を、化け物の体毛によるものだと結論付けた。


「確かに、見せてもらった写真通りですね。深くて、鋭くて……そして、凄く細い……」

 梓が、杉村の手を掴んで、自分の顔に近付けた。杉村の手の平の傷を、よく観察する。

「鋭利な刃物で傷付けられなければ、こんな傷は出来ないはずですが……」

「ええ、やっぱり、毛を掴んだことによる傷……と考えるのが、むしろ自然になってきたわね」

「そうですね、細い糸とか、ワイヤーみたいなものって、結構鋭利に切れるんですよね」

「チーズカッターとか、そうよね」

「はい。だから、この傷って……」

「やっぱり、呪いの毛よね」

「そうだとすれば、しっくりくるです。杏香さん、他の傷がある死体、見てみるです」

「そうね」

 梓と杏香はそれぞれのポケットから、番号を控えておいた紙を取り出した。そこに書いてあるのは、手に傷が付いている死体の番号だ。二人は番号に対応した冷蔵室を引き出した。


「傷の深さと多さを考慮に入れないとすると……うん……確かに杉村の死体と同じような傷跡に見えるわ」

 杏香がまじまじと、死体の手の平を見ながら言った。

「細かく調べてみないと確実とはいえないですけど……私の方も、杏香さんと同じ感じだと思うです。細い毛を、力いっぱい掴んだから出来たものっぽいです」

「ええ……うん?」

 また違う死体を冷蔵室から引き出して、手の平を見た杏香が首をかしげた。

「どうしました?」

「これは違うわね。切り傷というより擦り傷に近いわ。何かの拍子に地面で擦ったってところかしら」

「ああ、その可能性もありますよね、ということは、毛を掴んだ死体は三割を切るかもしれませんねぇ」

「ええ、ちょっとシビアなことになるけど……要は、複数の死体で同じ毛によって出来た傷が見つかればいいって話だから……」

「ざっと調べてみても、それらしい人は三人……」

「なかなか確実な手掛かりだと思うわよ。これは結構な発見よ。すぐに、その方向で捜査するように切り替えましょう」

「それがいいです。つまり、この傷がどうやって付いたかを調べるですね?」

「ええ。私達だけじゃ判断付かないから、ちゃんとした研究機関に頼むことになるわね」

「警察の人は調べなかったですかね?」

「関係無いと思ってるか……もう調べたけど、有益な情報が出なかったか……でも、何かしらの生き物の毛だというところまでは、こちらで調べて分かったんだし、そこまで絞れた状態で改めて調べてもらえば、また何か出てくるかもしれないわ」

「ですね」

「杉村の手の平だけ、傷跡が深いのも気になるけど……」

「それは、多分、杉村さんの執念が成したものでしょう」

「執念……」

「杉村さんは怨霊になりかけるほどに、この事件の犯人を憎んでいたか……怒っていました」

「見つからなくてイライラはしてたわね」

「ええ。それに加えて、犯人は警察の目を掻い潜って、更に殺人を続けた」

「ああ……プライドの高い杉村のことだから、相当屈辱に感じてたでしょうね」

「はい。そして、その犯人が目の前に現れて、拳銃まで使ったのに効かなくて……」

「最後には自分が殺された……か……まあ、気持ちは分からんでもないわね。だから、怪物に抵抗する力も、一層強いものになったと」

「他の人も、首を切断されるまでの僅かな間、何かしらの行動を取ったと思うんですが、その中の一つが、何かを掴んで怪物を引き離すような事だったんです」

「最後の足掻き……というわけね。怪物の正体は呪いだから、人間の力ではどうにもならないでしょうけど……」

「はい。怪物はびくともしないですが……自分の体になら、跡が付いたです」

「それがこの傷ね。なるほど、無意識に掴み易い部分……つまり、毛の生えた部分を掴んでたってわけね」

「そうです。そして、杉村さんの場合は、犯人に対する強い執念が、他の人よりも強い力を引き出して……」

「手の傷の深さも、その力に比例して深くなったってことね。確かに、杉村以外の人は関係者じゃないし、助かろうってだけで、杉村ほど特別な感情は抱かないでしょうね」

「ええ……」

 梓は杉村に向かって両手を合わせ、目を閉じた。

「杉村さん、杉村さんの抵抗、無駄にはならなかったですよ……」


「……最後の最後で役に立ったじゃないの、杉村。……ってか、梓、それ、杉村と連絡取ってるの?」

「え……? いえ、さすがに成仏した人と連絡は取れませんよ。でも、ほら、こうしてると、きっと杉村さんに届くんじゃないかって……」

「ふぅん……」

「何です? 拝むの、そんなに不思議です?」

「いや、そうじゃないけど、霊が明確に見えて、霊に対して鑑賞できる梓でも、分からない事があるんだなって」

「……霊に対して人間がやれることは限られてるですから。死後のことなんて、ほんの少ししか分からないですよ。生きている人間には」

「そう……こんな死体安置所で手を合わせて、バチ、当たらないかな?」

「神道であれ仏教であれ、動作的な決まりはあるですけど……こういうことって、心がこもった事をすれば、そういった決まりに関係無く、伝わるものだって思うです。だって、それが信仰であり、神様じゃないですか」

「ええ……? 梓って、巫女って割には作法に気を使ってないの?」

「多少、厚かましくなってる面もあるかもですね。でも、こういった、ちょっとしたお祈りとかって、もっと気軽にやる方が、この日本に会ってるんじゃないかって思うです。杏香さんだって、作法を気にしている割には流派とかまで気にしてないでしょ?」

「え? ……まー、そうね。神頼みする時も神様仏様ーって言うだけで、流派とかはね」

「そうでしょ。自分が普段、どんな神様を信仰してるかって、普通の人は意識してないんですよね。でも、作法は流派によって差があるです」

「そっか……自分が何を信仰してるかが分からないと何とも言えないってわけね」

「それもそうなんですけど……そういう国民性だからこそ、宗教をもっと身近に捉えた方がいいんじゃないかって思うんです。だから、どんな形式であれ、ちょっと間違っていたとしても、心を込めて拝むことが大事なんじゃないかって、そうすれば、もっと神様を身近に感じられるんじゃないかって、そう思うんです」

「なるほどねぇ……確かに、その方があたしに合ってるかもね……」

 杏香は梓の見よう見真似をして手を合わせ、目を閉じた。

「……」

 暫くしたら、杏香は目を開けた。

「なるほど、気持ち的な問題って大事かもね。本当にあの世の杉村に伝わった気がするわ」

「でしょ? 気にし過ぎるのも良くないですよ」

「そうねぇ……ま、伝わってたら伝わってたで、ウザがられる気がするけどね。あの杉村のことだから」

「うふふ……そうですね。お前らは手を出すなって怒るかもです」

「そうそう、あはは……って、私達、死体安置所で何やってるんだか。ひとまず、必要な資料は写真に撮って、研究機関に届けましょう」

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