15話「逢魔が時(あいまがとき)」

墓寄はかよせです。この屋敷に入る前……最後の石橋を渡った後あたりから、ずっと付き纏っていたです」

「え……そんなに前からなのか?」

「でも、見えなかったよ!?」

 駿一と悠が疑問を口にする。


「多分……私にしか見えてなかったんでしょうね。墓寄については、普段の霊能関係の仕事でも関わりがあるですから」

 そう、梓には見えていた。黒くモヤモヤした霧のような存在が、その大きな手を伸ばし、口をあんぐりと開けながら、五人を囲んでいた光景が。

「墓寄は、人の魂を食らう妖怪。その大きな口で魂を掴み、大きく開いた口でそれを食らう……今でも、たまに墓寄せに魂を食われる人は居るんです」

「そうだな……そういう意味では、前科はある……ということかな?」

 クレハは、そのだらりとした体勢を崩さず、愉快そうにしている。

「ええっ!? ま……まさか、これが!?」

 悠の顔が青ざめる。


「いえ……違うと思います。私も今回の事件の事を聞いた時に、真っ先に墓寄のことが浮かんだんですけど……今回の事件は、墓寄によるものにしては頻度が高過ぎます。墓寄による被害の多くは祟りから起こった事ですから、その人の自業自得といっていいでしょうが……今回の事件は祟りからくるものではないみたいです」

「ほう……なるほどな」

 クレハがニヤリと笑う。

「墓寄の仕業と見紛うほどの人殺しが、頻繁にか……人の世も、随分と難儀なことになっているのだな」

 クレハは愉快そうにしているが……梓には、クレハの表情が、少し曇った気がした。


「しかし……そんなものが俺達に付き纏ってたとはな……」

「試されていたんです。警戒していたのでしょうね。しかし……今、その疑念は消えた。そういう事ですよね?」

「その通りだ。なんだ、エンジンがかかってきたみたいじゃないか」

 クレハが口角を少し上げる。


「……恐れ入ります」

「では、本題に戻ろう。人の世では、黄昏時たそがれどき逢魔が時あいまがときと言うそうだな」

「はい……夕方は妖怪に……広義では怪異に遭遇しやすい時間だといわれています。そして、今回の事件は、主に夕方に……逢魔が時に起きています」

「ふむ……実はな、今回の事は我々妖怪も知っておる。もしかすると、その事で誰かがこの里にやってくるだろうということも予測していた。疑われても仕方のない要素は揃っているからな」

「それで、答えていただけるですか?」

「妖怪の仕業ではないだろう。そうであっても、少なくともこの里には居ないな」

「そうですか……」

「この里の長である私が言うのだ。一番信憑性のある情報だろう?」

「それは……」

「ふむ……やはり、完全には納得せんようだな」

「失礼ですが……雪奈ちゃんやクレハさんが知らない事もあるかもしれないですから。でも、可能性は限りなく低くなりました。妖怪のせいではないと思います」

「そうか。納得してくれてなによりだが……飛凧とびだこ、ここへ参れ」

 クレハの声を受けてか、一同の背後から、何かがすぅっと通り抜けた。


 駿一は、飛凧が横を通り抜けた時、それによって巻き起こされた僅かな風を体に受けて、少し寒気がしたが、クレハの隣にヒラヒラと浮かぶ飛凧を見たら、少しの寒気など気にならなくなった。

「お、あれは見たことあるぞ」

「一反木綿だ!」

 駿一の横で、悠がはしゃいでいる。まるで有名人にでも会ったみたいだ。

「ロニクルも文献とかテレビで見たことあるプ。それの横に長いバージョンだピ」

 ロニクルの言葉に、駿一も納得する。飛凧はその名の通り、凧みたいに三角で、横に長い。魚のエイが空中を飛んでいるような印象だ。それでいて、白くて平べったい。風にそよいでいるようにヒラヒラともしている。一反木綿との類似点は、多い。


「うふふ、もしかすると、近しい種族なのかもしれませんね。でも、あまり心を許し過ぎない方がいいですよ。それこそ、取って食われでもしたら大変です」

「えーっ!? 食べられちゃうの!?」

「こいつ……見かけによらず、狂暴なんだな……」

「フフフ……食わんさ。今はもう、そういう時代じゃないからな。だが……人は美味だ。口実ができればどうなるか分からん。用心するにこしたことはないかもしれぬな」

「や、やっぱり食うのか……」

 妖怪の長が言っているのだから、もしかすると食われることがあるのかもしれない。駿一と悠は、少し背筋がぞわぞわとしてきた。


「臆するな。そんな下品な輩は、この里には居ない……と信じたいがな。さて、実はこの飛凧が、偶然見たらしいのだ。お前達の役に立つかもしれない光景をな」

「私達の……役に立つかもしれない光景?」

「そうだ。今からそれを見せよう」

 クレハが飛凧の足を握った。足といっても凧の足の部分。凧の下部に付いている、ヒラヒラのアレだ。その光景は、クレハと飛凧が手を繋いでいるように見えて、どこか微笑ましい。

「お……」

 駿一は少し狼狽えた。周りの景色が一瞬にして切り替わったのだ。その場に居る全員は、そのままの姿で見えているが……浮いている。どこかの住宅街の上空に、浮いているのだ。


「すまんが少しまやかしを見てもらうぞ」

「これが妖狐の能力……飛凧の記憶を読み取り、それを直接まやかしにして、私達に見せている……凄い力です」

「……嫌か?」

「いえ……重要な手掛かりみたいです。是非、見せてもらいたいです」

 そう、ここは殺人の起こった場所。ダイイングメッセージ「GO」を残してくれた被害者が無くなった、塀に囲まれた場所だ。


「あ……!」

 梓は思わず声を上げた。飛び散る血が見えたのだ。塀の影になって、被害者と犯人の姿は見えないが、飛び散って塀にかかった血は、どろりと生々しく塀を垂れてゆく。

「う……酷いです……」

 仕事柄、事件後の、異常な死体の様子は何度も見ているが、いざ、こうやって実際に人が殺された様子を見ると、吐き気を禁じ得ない。


「あ……!」

「見たようだな……」

 クレハの口の左端が僅かに上がる。


「角……?」

 塀の上から、僅かに角が見えている。それはゆっくりと血が飛び散っている所から離れ……そうしながら、ゆっくりと薄くなり、消えていった。

「実に奇怪であろう。人の成せることではない」

 辺りの景観が、元に戻る。

「はい……これは貴重な証拠です」

 妖怪、血しぶき、そして殺人犯の姿……梓はパニックになりそうになりながらも、懸命に今見た情報を整理しようと試みる。

 人のものとも思えない角、殺した後は、何事も無かったかのように消えてなくなる殺人犯……この映像が本当なら、殺人犯は人外だ。


「これは飛凧が人の世を散歩していた時に、たまたま不思議な事態を目にしてしまった時の記憶だ。私はこのことを飛凧に聞いた時、不思議な事があるもんだと思ってな。面白そうだから、今のように記憶が引っ張り出して見てみたんだが……そうしたらどうだ? これは人間に出来ることではない」

「だから、妖怪に疑いがかかると思ったんですね」

「そうだ。なんとなくだがな、こういう時は、珍しく人間が、この里を訪れてくるかもしれんとな」

「そうですか……」

「ただ……意外だったのは、案内してきたのが雪奈だったということかな」

「雪奈ちゃん……ですか……」

「ああ。最近、人の世に居ついていることは知っておったから、この事に気付くのは早いだろうと思っていたが……なにせ、この通り内気なものでな、見つけたところで里に人を招き入れることまではしまいと思っていたのだ。だが、まさか里のためにここまで大胆に動くとは……それが一番、予想外だったよ。もしかすると、雪奈が人に近しい位置に居ることに嫉妬を抱くようになるかもな」


「う……さ……里に戻った方がよいでしょうか……」

「無論だ。私が刺客を送り込むようにならんうちにな」

「クレハ様……」

 雪奈はクレハに威圧感を感じてか、二歩ほど後ずさった。体も僅かに震えて、目線は下を向いている。


「ちょっといいか、クレハさん」

「うん? そなたは?」

「駿一……今川いまかわ駿一しゅんいちといいます」

「ほう……人の子だな」

「はい。クレハさん、雪奈は人間を怖がっていたんだ。その雪奈が、段々人間を好きになってる。人間の近くに居た方が、プラスになるんじゃないかって、俺は思ってるんだが……」

「雪奈は過去に、人に対してのトラウマがあることは、私も承知しているよ。人を恐れる妖怪になるのではないかとヒヤヒヤしていた。しかし……そなたも少しは雪奈のことを理解しているようだな」

「ああ……雪奈は無口だが、たまに話してくれるんだ。今日起こった事とか、今の気持ちとかを。妖怪のことは、あまり話してくれないが……」

「人に知られたくないことは山ほどあるからな。この里のことや妖怪のことで、口止めしてあることは多い。それについては気にせんでくれ」

「そうだったのか……分かったよ。だから……」


「よい。それ以上話さんでも分かるよ、お前が言いたいことはな。今の今まで、まだまだガキだと思っていたのだが……雪奈がここまで成長して、人間に対しての苦手意識も無くなったのは、お前との生活によるものが大きい。私としても、雪奈の成長を見れたのは嬉しい」

「……」

「何より、雪奈はお前に懐いているみたいだからな。人の世で幸せに暮らしているのなら、それ以上は望むべくもない。お前がよければ、ずっと人間界に居させてやってもいい。さっき物騒な事を言ったのは……まあ、人を驚かせたい妖怪の性だと思って、気にせんでくれ」

「本当か? なんだ、心臓に悪いぜ、全く」

「ただ……妖怪にばれて都合の悪いことは隠しておいた方がよいぞ、さっきのように、私は記憶を読み取れる。雪奈も拒否はせぬだろう」

「なるほど、確かにな……」

「それは、そっちの緑の奴にも言えることかもしれんが……そこは我々妖怪が気にすることでもないだろう」

「えっ……なんの事プか?」

 ロニクルさんはにっこりと笑っているが、その笑いはどこか引き攣っている。


「ああ……それは半ば脅迫みたいなもんだから、俺としては諦めてる」

「そうか。人間にしては、なかなか面白い生活をしているようだな。この里を治める長でなければ、私も遊びに行きたくなる」

「えっ!?」

「フ……行かんよ。この里を治める長でなければと、前提を話しただろう。……さて、他に用のある者は居ないな?」

 クレハが一同を見渡す。


「正直、こんな貴重な証拠が手に入るとは思わなかったです。一言、感謝の言葉を述べさせてほしいです。この里に来て良かったです」

「なに、これしきのこと、礼などいいさ……お?」

 クレハがふと手元を見ると、煙草の葉はすっかり燃え尽きていた。


「どうやら、私は思った以上に楽しんでいたようだ。こちらからも礼を言うぞ」

「どういたしましてです」

「ふむ。帰りの道中、里の者に取って食われぬよう、気を付けて帰れよ、達者でな」

「あはは……心得ましたです」

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