第7話 叢

「グルルルルルル」

黄色く鋭く、そして飢えた色の満月が二つ、唸り声を引っ掛けながらペネトラを見ていた。


「・・・お腹、減ってるの?」


じりじりと近づいて来るそれに、ペネトラは少々怯えつつ、そう問いかけた。

するとその獣は鼻を鳴らして、舌舐めずりまでした。肯定の意だと捉えていいのか。


「・・・丸パン、あるよ?」


獣にはどうやら、パンが見えていないらしい。なおもじりじりと、ペネトラに近づく。

ペネトラは徐々に心を蝕む恐怖に抗おうと、わなわなと震える腕に、いっぱいに力を込めて獣の方へと伸ばした。


若干濡れた鼻に、指先が触れた。荒い息遣いで、獣は匂いを嗅ぐ。


「・・・がぅ」


興味が失せたのか、がっかりとでも言うような鳴き声を挙げて、獣は踵を返そうとした。


「・・・何で?何で食べないの?お腹、減ってるんだよね・・・?」


言下、獣はぱっと振り向きペネトラを押し倒した。

「私は生きた肉しか喰わぬ」

「わたし、生きてるよ?息してるし、血だって流れてるもん」


と、目の前で火花が散った。殴られたのだ。

「・・・何で殴るの・・・」

「貴様は死んでおる。故に喰わぬ。わざわざ貴様の様な人形、喰ってなどやらぬわ」


人形・・・。たった二文字の侮辱。しかしそれは真実だから尚更、ぐさりと刺さるものがあった。


「貴様は肉体より先に心を殺した。自ら命を絶った魂より、よほど不味いだろうな」

「・・・ねぇ、貴方は何故、生きた肉を食べるの?何故死んだ肉を食べないの?」

「心の活きている肉は、旨い。ただそれだけの事だ。

貴様が生き返ったならすぐに喰ってやろう

貴様の様な幼子の人肉が、果たして旨いか確かめてやる」


そう吐き捨て去ろうとした獣を、ペネトラは無意識に呼び止めていた。


「・・・何だ」

「貴方が何を求めているかは理解しきれない。けれど、解るため一緒には居れるよ?」

「何が言いたい」

「わたし、《カーラ》に行きたいの」


と言うと、獣は眼を見開いて驚いた。

「おい、カーラと言ったか!?」

「・・・?うん」

「何故人間がそれを、その名前を知っているのだ!!」


・・・え?

なぜ怒られているのか、ペネトラには理解できなかった。


「《カーラ》は、隔離された世界だぞ!それを何故人間が、ましてや幼子が・・・!!」


驚きと困惑が頭を飛び交っているようだったが、少し経ってから鼻を鳴らした。

「・・・乗れ。近くに、知り合いの獣がいる」




その知り合いのもとへ向かう途中、彼から様々な話を聞いた。

彼の名はナハトということ、ナハトは絶滅寸前の『人語を解す獣』の種族であること、彼の他に生き残ったのはごく少数で、大型獣は彼以外には二匹しかいないらしいということ。


「・・・私は夜間ならば誰にも負けない。負けないはずだった。

人間が火を持って、高度文明を築くまでは」


火は彼らの住処を焼き尽くし、そのうちに次々、命を奪っていった。

そうして、彼も家族を失った・・・。


「一人ぼっちだったんだね・・・」

そう言って、ナハトの毛並に顔を埋めてみる。獣臭かったが、柔らかかった。


気が付けば草むらを抜け、夜空が頭上に広がった。星が無数に散りばめられていて、それは綺麗だった。

「私の住処はここからずっと遠い処だ。

私の名は、故郷で夜生まれた私に、母さんが夜空の様に大きくなってほしい、とつけたそうだ。名の意味は《夜》なのさ」


ナハト・・・夜、か。

「・・・いい名前ね」

「当たり前だ、母さんは偉大だからな」

一人と一匹、独りぼっち同士は夜の野原を駆け抜けていく。

微かな花の香をあとに、独りは二人になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る