※「ちんちん電車」——慕情@天王寺

 大阪にも路面電車がある———。


 大阪人はそれを「ちんちん電車」と昔から呼んでいるけど、それが全国共通の呼び名なのかどうかは知らない。

 札幌、富山、大阪、広島、熊本、鹿児島に、それに分類される路面電車が走っている。

 で、大阪のそれは「天王寺」〜「堺市」を結ぶ線であり、「天王寺駅前」〜「浜寺公園前」まで総路線延長19kmほどである。


 もともと「ちんちん電車」って呼び名は、運ちゃんと車掌の「発車確認」の合図に「チンチン」と呼び鈴みたいなのを鳴らしたことから始まるのだが、獅子文六という作家が東京都内の市電が廃止されるにあたって「ちんちん電車」という随筆を編んだことによりその名が「路面電車」の呼び名として定着したとある。


 話は戻り、大阪のそれは、私の「天王寺」を始発に堺市まで通じているのだが、乗ったのは一、二度だけだったと思うが記憶は定かではない。

 大阪の「ちんちん電車」が頻繁にテレビのニュースに登場した事件があった。

 知らない人も多いとは思うが、戦後の銀行強盗立て篭もり事件としては、最も狂悪だったと言われている。

(以下、ウィキペディア引用)


【三菱銀行北畠支店人質事件】

 1979年(昭和54年)1月26日に梅川昭美(単独犯・男)が大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入。客と行員30人以上を人質として立てこもり、梅川は警察官2名、行員2名(うち1名は支店長)の計4名を射殺、女性行員を裸にしてバリケード代わりに並ばせるなどした。

 大阪府警察本部は梅川に投降するよう交渉を続けたが、事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊により梅川は射殺され、最終的に事件解決するに至った。戦後日本の人質事件が犯人射殺という形で解決した例は、本事件のほかに1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件の計3例のみであり、本事件以降は2017年現在まで存在しない。———(引用了)


 この時、ニュースでは頻繁に北畠支店を映し出していたんだけど、その際に「ちんちん電車」が通過していくのがよく映った。ちんちん電車の「北畠停留駅」がすぐ近くだったから。




 さて、今や路面電電車もスタイリッシュな車体に変わり、ヨーロッパの街を走るそれと同じくお洒落なデザインになっているけど、私が覚えている「ちんちん電車」は緑の車体でちょうど、京都の「嵐車」や江ノ島の「江ノ電」みたいな緑の車体で、のそのそと走り、軌道との摩擦音も大きくてそれはもうレトロなもんだった。

 今はもうない———、寂しいね。


 浪人時代、予備校の授業を終えて、天王寺デパートの向かいの「立ち食いうどん」で素うどんを啜りながら、あの「ちんちん電車」の軌道を走る音をよく聞いていたんで、今でもあの「音」は反射的に「天王寺」を思い出させてくれるんだけど、今となっては「あの音」はもう聞けない。

 

 スムーズに滑り出し、流れるように走っていくいまの「ちんちん電車」もいいんだけど、やっぱり私にはあの「音」で走るのが、「ちんちん電車」であり、あの「音」のない「天王寺」駅前は「天王寺」じゃないのだ———。


 

 思い出というのは、景色もあれば、匂いもある。そして”音”も。



 熊本市内を走る「ちんちん電車」——熊本城をバックにした「景色」は熊本民の心の拠り所。


 富山市内を走る「ちんちん電車」——冠雪した立山の峰々をバックに冬の空気を切り裂くような金属音は、北陸の街を思い出させる「音」



 それでも、地域の日常生活に密着して走り続ける「ちんちん電車」はこれからもいろんな「思い出」を作ってくれると思うことにしたい。



チンチン♪ 発車オーライッ—————



 

 




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