筒六ルート18話 素の筒六

「お、きたきた!」

イルカショーが始まって、まずは数分間、盛大なパフォーマンスが行われ、観客を大いに盛り上がらせた。そして、前もって決まっていたショーの体験者たちが迎えられ、順番にイルカと触れ合っていく。筒六の出番は最後だった。

「…………」

いつもはクールな筒六もさすがに緊張してるみたいだな。

「さあ、それではまずイルカちゃんにプールを一周してきてもらいましょう!」

「は、はい!」

事前の説明もあったとは思うが、スタッフは丁寧に筒六みにイルカへのサインを指導する。

「そ、それ!」

指導通り、筒六はイルカの顔前で円を描くように手を動かすと、イルカは瞬時に水中に潜り、プールの壁面に沿って適度なスピードで一周し、再び筒六の目の前で顔を出した。

「うわあ……」

自分の指示通りにイルカが泳いでくれたことに心底感心しているみたいだな。イルカ好きだし、感動も一入だろう。

「はい、それではもう一度お願いします!」

「はい! ――えい!」

さっきと同様に筒六がイルカに指示を出すと、イルカはその通りに一周し、筒六の元へ帰ってくる。

「ありがとうございます。それでは良い子のイルカちゃんを撫でてあげてください」

「えーと……」

「頭を優しく撫でてあげてください」

「わかりました」

筒六は恐る恐るイルカの頭に手を乗せ、撫でるというよりさするような感じで触れる。手を離すとイルカはプールの中央まで泳いでいき、その場で数回クルクルと回り始めた。

「イルカちゃん、褒められて嬉しがっているみたいです」

「可愛い」

回転をやめ、イルカは再び筒六の元へ帰ってくる。

「それでは次はジャンプをしてもらいましょう!」

「は、はい!」

スタッフの後に続いて、手を振り上げるサインをイルカに送る。するとイルカは潜水し、勢いよく水中から空中へと飛び上がった。

「きれい……」

「はい、それではもう一度お願いします!」

「えーい!」

定位置に戻ってきたイルカはサインに促され、二度目のジャンプを行う。

「わあ、すごい」

「では、イルカちゃんは水中に潜ってもらいましょう」

でた、エスパージャンプだ――俺が勝手に言ってるだけなんだけど。

「さあ、イルカちゃんはとても賢い生き物です。なので、水中からでもお客様が振り上げた手を感知することができます。どうぞ、お好きなタイミングでお願いします」

「わかりました……えい!」

筒六が手を振り上げたとほぼ同時に水中にいたイルカが大きくジャンプして、姿を現す。

「す、すごい……」

「どんどん合図を送ってあげてください」

「はい」

筒六は試すようにタイミングをずらしながら、何度も手を振り上げる。しかし、ほぼ誤差なしでイルカは水中から飛び上がっていた。

「わああ……」

本当にイルカが自分の手の動きを感知して、飛び上がっているのではないかと思ってるんだろうな。

「俺はもう種がわかったぞ」

水中にダイバーがいるみたいだ。その人が筒六の手の動きを見て、イルカに合図を送っている。頑張れば子供でも気づけそうなトリックだが、イルカで夢中になっている筒六にはわからんだろうな。

「すごいすごい!」

あんなにはしゃいでる筒六を見るのは初めてだ。今日、ここに来てよかった。

「はい、ありがとうございます! では、最後にもう一度だけ大きなジャンプをしてもらいましょう! お願いします!」

「はい――それえ!」

筒六が大きく振り上げた手を真似するようにイルカも今までで1番高くジャンプする。

「わああ……!」

筒六はただひらすらにイルカの姿に魅了され、拍手を送っている。筒六のその気持ちわからなくもない。すごく大きな体してるのに、あそこまで高く跳べるなんて。あんなに高く跳んだら、着水するときの水しぶきすごいだろうな。

「あ……」

瞬間、筒六の姿は大きな波の中へ消えた。


「本当に申し訳ございません!」

イルカショーが終了して、20分ほど経ち、職員代表が俺たちに深々と頭を下げた。

「い、いえ、お気になさらずに……」

最後にイルカが大きくジャンプしたとき、大きな水しぶきが起きたせいで、プールサイドにいた筒六は頭から水を被り、ずぶ濡れとなったのだ。その後、職員に連れられ、すぐに着替えを用意してくれた。着替えと体の乾燥が終わると職員は再度、俺たちへ謝罪をしに来た。

「お洋服のほうは必ず弁償させていただきますので――」

「大丈夫です。クリーニングに出していただければ……」

「えっと、このジャージは――」

俺は職員が用意してくれた着替えのジャージを指さしながら、聞いてみる。

「そちらのほうはご迷惑料とご一緒に差し上げますので、ご自由にお使いくださいませ」

「あの……このお金、本当に受け取ってもいいんでしょうか?」

「はい、今回の件に関しましてはわたくし共に不備がありましたので、当然の処置でございます」

「はあ……」

「今日はもう帰るか、筒六?」

「はい、そうですね」

「せっかくのご来館、この度は非常にご不快な思いをさせてしまい、改めてお詫び申し上げます」

「いえ、本当に気にしないでください」

「今後とも、当館をよろしくお願いします」

「あ、すみません」

「はい」

「えっと、これ頂いてもいいですか?」

ショーが始まる前、記念撮影した際にもらっていた番号札を見せる。

「もちろんでございます。すぐにお持ち致しますので少々お待ちください」

「あ、いえ、もう帰るので受付まで行きますよ」

「さようでございますか。重ね重ね申し訳ございません」

なんだかこっちが悪い気がしてきたよ。


無事、写真を受け取り、水族館を後にした俺たちはなんとなく気まずい雰囲気になりながら商店街を歩いていた。

「…………」

「大丈夫か、筒六?」

「平気です」

「イルカの着水場所がもう少し離れていたら、水を被ることもなかったんだけどな」

「仕方ないですよ。イルカもわざとしたわけじゃないでしょうし」

「それにしても、すごかったな。水しぶきどころか、軽く波だったもんな」

「はい。その証拠に頭から被ってしまって、そのときはすごく寒かったです」

「スタッフの人たちも慌てて、筒六を室内へ運び込んでいたもんな」

「自分で歩くことは出来たんですが、圧倒されちゃって……。色んな温かいものを出されました」

「この季節だし、当然だろうな。もし、これで風邪でも引かれたら水族館からしてみれば、信用に関わるだろうし」

「事故だってわかってるので、私は気にしないんですけどね」

「いやいや、あの衆人環視だ。自分の被害じゃなくても、クレームつける連中がいるかもしれないぞ」

「それ、嫌がらせにしか見えないんですけど」

「余計なちょっかいをする輩もいるんだよ。それより、寒くないか?」

「はい。このジャージ、思ったよりも温かいですから」

「でもなあ……」

さすがにデートでジャージってのは些か不憫な気がする。

「お、そうだ!」

「どうしました?」

「さっきもらったお金で服買いに行こうぜ?」

「服、ですか?」

「筒六が今のままでもいいんなら、強制はしないけどさ」

「……いえ、買いに行きます」

「適当に見て回って、よさそうなの探そう」

「はい」

慣れた商店街だけあって、すぐ服屋に到着し、筒六は品定めをした後、これだと思ったものを手に更衣室へ篭った。俺はそのカーテンの前に立ち、着替えを待つ。定番通り、覗くなという注意を受けたのは言うまでもない。そんなこと言われなくても覗かないっての。

「ふあ~あ……」

「あら、ごめんなさい」

「おわわっ!?」

俺があくびをして、気が抜けたときだった、少し太めの女性が俺の前を通ったとき、体がぶつかってしまい、思わず尻餅をついてしまう。

「え……?」

「あいてて……なんだってんだよ……」

ったく、自分の体型ぐらい把握してから、通り抜けろよな。

「…………」

「……ん?」

「誠さん……?」

「あ……」

倒れた状態で声のするほうを見上げると、そこには着替え途中で下着姿の筒六がいた。わーい、これぞ俗に言うラッキースケベだー。現実でこんなことに遭遇するなんて、俺ってば超ラッキー。

「…………」

なーんて気分に浸っている余裕がどこにあろうか。これは更衣室に倒れ込んだという解釈でおーけー?

「誠さん?」

「や、やあ、筒六。ふ、服の調子はどうかな?」

「誠さんには私が服を着ているように見えますか?」

「えーと……裸の王様的な?」

「ほほう。私には見えませんので、私がバカだと言いたいわけですね?」

「め、滅相もございません! いやあ、冗談だよ、冗談」

「そう、では私が今どんな状態か、わかりますよね?」

「それは~……」

「そんなにじっと見つめて……誠さんは本当に変態さんですね」

「見つめてないって!」

「そうなんですか?残念です」

「え?」

「恋人の下着姿を見て、興奮で目も背けられないかと思ったのですが、そうじゃないんですか?」

「い、いや、それはその……」

「ん~?」

「つ、筒六の今みたいな姿を見てなんとも思わないわけないだろ」

「え……?」

「筒六は体の線がすごくきれいだからつい見入っちゃうし、そうでなくても自分が可愛いって思ってる恋人のあられもない姿なんて興奮しない奴がどうかしてる」

「せ、誠さん……」

「正直、水着を着ているときの筒六には俺の目線は釘付けなんだ。引き締まった二の腕や太もも、スラッと流れるような曲線を描いている背骨、鍛え抜かれた体でも忘れていない女の子の体つき。その全てが俺の心を鷲掴みにして、もうどうにかなっちまいそうなんだよ。水着でそれなのに、下着姿でなんとも思わないわけないだろ」

「わ、わかりました。わかりましたから、その……」

「ん?」

「さすがに恥ずかしいです……」

「す、すまん……」

勢いに任せてすげえこと口走っちまった。

「1つ聞いておきたいんですが……」

「なんだ?」

「わざとではないんですよね?」

「当たり前だろ。実はさっきな――」

「いえ、いいです」

「なにがいいんだ?」

「故意でなってないとわかっただけでよしとしますから」

「信じてくれるのか?」

「信じます。信じますから――」

「どうした?」

「そ、そろそろ出て行ってくれませんか?」

「あ……」

「は、恥ずかしいです……」

「悪い!」

「誠さん」

「なんだ?」

「もうこの服買いますので、外で待っててもらってもいいですか?」

「わ、わかった」

俺は服屋からダッシュで外へ出る。

「ふう……」

周りに人がいなくて安心した。もしあんなとこ見られてたら、通報待ったなしだったな。

「お待たせしました」

「お、おう」

「どうでしょうか?」

筒六は購入した服を少し恥ずかしげな表情で見せてくる。

「すごく似合ってるぞ」

「それならよかったです」

「あ、それ持つよ」

ジャージが入っているであろう紙袋を渡すよう、手を差し伸べる。

「いいんですか?」

「お詫び、みたいな?」

「では、お願いします」

「これからどうする?」

「今からだと……遠くには行けませんね」

「そうだよな……」

不慮の事故とはいえ、せっかくのデートだったのになあ……。

「公園……」

「ん?」

「公園の高台に行きませんか? あそこなら景色もいいですし、ゆっくりも出来ます」

「それいいな。そうしようぜ」

「はい」

ギュッと握り締めてきた筒六の手を受け入れ、高台へと歩き出す。冷たい気温のせいもあってか、そのときは繋いだ手が妙に温かく感じた。


「歩いているうちに日が暮れてきましたね」

高台にあるベンチの前へ移動しながら、夕焼けを見つめる。

「冬だから、落ち始めたら早いな」

手は離さずにベンチへ腰掛け、沈んでいく夕日を見つめながら他愛もない話を繰り返す。1人でこんなことしていてもすごく退屈に感じるはずなのに、筒六と一緒ってだけでどうしてこんなにも飽きないのだろう。

「筒六」

「なんですか?」

「今日、楽しかったか?」

「突然、どうしました?」

「少し不安になってさ」

「不安?」

「俺はちゃんと筒六を楽しませてあげられてるのかなって」

「…………」

「それにほら、今日あんなことになって……せっかく約束までしてデートしたのに、それっぽいことあまり出来なかったなって」

「…………」

「それにさっきもわざとじゃないにしても、筒六に恥ずかしい思いさせちゃったし」

「誠さんは……どう思いましたか?」

「どうって?」

「私と今日一緒に過ごして、どんな気持ちになりましたか?」

「俺の気持ち……」

「誠さんはデートっぽくなかったから、あまり楽しくありませんでした?」

「そんなことない。俺は筒六と一緒にいれるだけで嬉しいし、なにをしたって楽しく感じる。イルカショーの時だって、俺は体験してないけど、筒六が楽しそうにしているのを見ているだけで俺まで楽しくなったぞ。だから、デートっぽくないって理由だけで楽しくないって言うわけない」

「ふふ……」

「な、なにかおかしかったか?」

「誠さんってば、忘れん坊さんですね」

「え?」

「昨日も言いましたよ。私も同じだって」

「あ……」

「私も誠さんと共に過ごす時間はどんなことでも楽しいし、嬉しいんです。確かに今日のことがなければ、もう少しデートらしいことを楽しめたかもしれません」

「…………」

「でも、それもこれも良い思い出になるとは思いませんか?」

「思い出?」

「はい。だって、デート中に水族館で水を被ったなんて、忘れられない思い出になるとは思いませんか?」

「忘れられそうにはないな」

「忘れられない思い出が――誠さんとのそんな思い出があると思うと、私はすごく幸せに感じます」

「筒六……」

「だから、誠さんと過ごした時間に嫌だとか、悪いだとかは有り得ません」

「ごめん、筒六」

謝りながら、繋がれた手に少し力を込める。

「俺の言ってること、筒六に失礼だよな。筒六はそんなにも俺のこと思ってくれてるのに、これじゃまるで筒六のこと疑ってるみたいだもんな」

「やっと気づきましたか」

「すまん」

「では、今の気持ちを忘れさせないように誠さんの心と体に刻みつけます」

「な、何する気だ?」

「目をつぶってください」

筒六の言われた通りに目をつぶるが、一体なにをされるのだろう。

「えーと……」

「誠さん」

「は、はい」

筒六のことだから、きついお仕置きだったりして……。そうされても仕方ないこと言ったかもしれないし、受け入れるしかないか。

「…………」

繋がれていないほうの筒六の手が俺の頬に静かに置かれる。その手は少し冷たく、俺は思わず背筋をゾクッとさせてしまう。

「いいですか?」

「お、おう! こい!」

ああ、これ多分ビンタだな。ガキの頃、悪いことしたときによくやられてたから、懐かしい。顔に力いれると余計に痛いからな。ここは力抜いて――

「ん……ちゅっ……」

「!?」

この感触は――

「ちゅむっ、んっちゅ……」

目を開けると筒六の顔がゼロ距離で俺の目に映っている。それにこの唇に伝わる温かくも柔らかな感触。

「ちゅっちゅっ……」

ああ、なにもかも信じ込まされそうな魔性の魅力を秘めているこの感じ……。好きな相手だから得られるこの安心感。キスというのは実に素晴らしい行為だ。

「んっぷあ……これで誠さんの心は私でいっぱいです」

「こんなことされなくても、そのつもりだよ」

「えへへ……」

「好きだぞ、筒六」

「私も大好きですよ、誠さん」

筒六は俺の肩に自分の頭を預けてくる。なんだか、このまま眠っちまいそうだ。

「そういえば――」

そう思った矢先、1つの懸念事項を思い出した。

「どうしました?」

「これ、どうする?」

水族館でもらった俺と筒六のツーショット写真を手渡しながら問う。1枚しかないから、どっちかしか持っていられないからな。

「……もしよかったら、私が持っていてもいいですか?」

「いいぞ」

「ありがとうございます」

「記念写真とか好きなのか?」

「好きではあるんですけど……」

「ん?」

「……支えが欲しくて」

「支え?」

なんのことだ?

「…………」

「筒六?」

「すみません、ボーッとしてて……」

「大丈夫か? 疲れたか?」

「いえ、大丈夫です」

「ならいいんだけど。明日も部活あるのか?」

「はい」

「何時まで?」

「昼までです」

「お、ならさ、明日も会おうぜ? 日曜なんだし、どっか出かけるとか――」

「すみません……今日の練習試合の結果がありますので、明日の午後からは自主練したいと思いまして……」

「そうか。それなら、しょうがないな」

「ごめんなさい……」

「気にするなって。筒六にとって、水泳は本当に大事なものなんだし、はやく調子戻さないといけないしな」

「ありがとうございます、誠さん。この埋め合わせは必ず――」

「あら? 筒六?」

「ん?」

俺は突然、かけられた声のほうを見ると、1人の女性が俺たちのほうへ向かってきていた。

「やっぱり、筒六じゃない」

随分、馴れ馴れしく筒六に話しかけてるけど、知り合いか?

「お母さん……」

「お母さん!?」

言われてみれば、顔が似てるような……。

「初めまして。筒六の母、仲野久乃なかのくのです。それで君は――もしかして、筒六の彼氏?」

筒六の母親らしいその女性は座っている俺の目線に合わせて、中腰で話しかけてくる。

「は、初めまして! お……いや、僕は鷲宮誠と言いまして、筒六さんとお付き合いさせていただいておりますです!」

「せ、誠さん……」

「あはは、君ってば面白い子だね」

「あははは……」

「そんなに堅苦しくしなくていいから、もっと気軽にね。娘の彼氏なんだから、他人行儀な態度はいらないよ」

「ありがとうございます――えーと、お義母さん?」

「誰がお義母さんじゃーい!」

筒六の母親は裏手で、俺の胸を叩きながら、ツッコミをいれる。

「え、ええ……!?」

「…………」

「あはは、冗談冗談。親なら人生で一度は言っておきたいじゃない?」

「は、はあ……」

俺に聞かれても……。

「それで誠くん、筒六のどこに惚れたの?」

「そ、それはその――」

「ほれほれ言ってみ? 顔か? 胸か? それとも――」

「え、ええっと……」

「お母さん! いい加減にして!」

「ごめんごめん、筒六」

「もう……」

「誠くんが初々しい反応をするもんだから、つい可愛くなっちゃって」

「か、可愛いって……」

間違いない。この人は確実に筒六の母親だ。やり方は違うけど、俺への対応が似ている。冗談なのか本気なのかわからないところがまるっきり同じだ。

「そうやってたじろいだり、照れたりするところがよ。筒六~、いい子ゲットしたわね」

「やめてよ、お母さん。誠さんが困ってるでしょ」

おおう、筒六の口から俺が困ってるからやめてくれだなんて言葉が出てくるとは……。久乃さんのほうが一枚上手ということか。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。褒めてるのよ?」

「そんなふうに聞こえないから、言ってるの!」

「あら、そうだった誠くん?」

「あの、えっと――」

「そういうのだってば! いいから、早く行ってよ!」

「冷たいなあ、筒六。お母さんも混ぜてくれてもいいじゃない」

「もう! 知らない!」

「あ、ちょっと、筒六! どこへ行くのよ!」

筒六は腰掛けていたベンチから立ち上がり、どこぞへ走り去ってしまう。久乃さんの絡みがよほど嫌だったんだろうな。

「あの子ったら……ごめんね、誠くん」

「い、いえ……」

原因は久乃さんだと思うけど……で、なぜ俺の隣に座る?

「それで誠くん?」

「はい?」

「筒六のこと、好き?」

「ぶほっ、げほっ!」

「そんな反応しなくてもいいじゃない。真面目な話だよ?」

「す、すみません……」

急にそんなこと聞かれたら、ビックリするって……。

「筒六さんのこと、もちろん好きです」

「そ……ならよし。それと私の前だからってあの子のこと、丁寧な呼び方しなくてもいいわよ」

「わかりました」

「そっか、あの子に彼氏ねえ……」

「意外ですか?」

「水泳一筋だと思ってたからね。色恋沙汰はもうちょい先になるって思ってた」

「でも、恋人になってからも筒六の水泳への姿勢は変わってませんよ」

「うん、知ってる。最近、少し雰囲気変わったかなって思ってたけど、水泳に対しては以前と変わってないもん」

「雰囲気が変わったっていうのは?」

「表情が柔らかくなったっていうのかな。多分、誠くんと付き合い始めたからでしょ」

「そうなんですか?」

付き合う前とそんなに変わってないような……。

「誠く~ん、女の子の気持ちは微妙な刺激で移り変わっていくものだから、その辺は勉強が必要だよ?」

「す、すみません」

「誠くんは女の子と付き合うの初めて?」

「はい」

「うーん、なら仕方ないかな。これからはそういうところにも気を配ってあげてね?」

「努力します」

「ま、といっても相手があの子じゃ難しいかもね」

「?」

「あの子、感情をあまり外に出さないでしょ?」

「ええ、まあ」

「私の前だと、さっきみたいに可愛い反応してくれるんだけどねえ」

「家と外では違うんですか?」

「そりゃそうでしょ。誠くんだって、人によって対応を変えるでしょ?」

「言われてみれば……」

「外でもあんなだったら、少しはいいんだけどね」

「とくに問題ないと思いますけど?」

「そうは言えないのよ」

「なぜです?」

「あの子、真面目だけど不器用だから、一生懸命にやるのはいいんだけどガス抜きが下手なのよ。それに意地っ張り。自分1人でなんでもかんでも抱え込んじゃって、他人に頼ろうとしないのよ。それを弱さだって思ってるのか、無意味なものって思っているのかまではわからないけど」

そういうこと、前にあった。水泳が上達しないって悩んでたときだ。

「本人も無自覚かもしれないけどね」

「自分でもわからずにやっちゃってるってことですか?」

「自分の心を完全に分析出来る人間なんていないのよ。自分がイメージしてる自分と、他人がイメージしてる自分は意外とギャップがあるの、知ってる?」

「そういうものなんですか?」

「そうよ。だから人間関係って厄介なのよね」

「はあ……」

「ともかく、あの子の他人に頼ろうとしない姿勢は正直よろしくないわね」

久乃さん、態度は飄々としてるけど筒六のこと、本気で考えてるんだな。

「失礼ね。これでも親なんだから、当たり前でしょ?」

「母親譲りのエスパーだったとは……」

「それに、あの子は昔の私にそっくりなのよね」

「そうなんですか? とてもそうは見えませんけど?」

「性格は違うけど、私も昔はねえ……。自分のことで他人に迷惑をかけるのが嫌だったから、自分で全部やろうとしてたわけ。結果的にもっと迷惑かけることになったんだけどさ。――ん、あれ?」

「どうしました?」

「あなた……鷲宮誠って言ったわよね?」

「そうですけど?」

「お父さんとお母さんの名前は?」

「えーと……父がこうで、母が純玲すみれです」

「わあ、すっごい偶然!」

「え?」

「もしかして、お母さんの旧姓って上崎うえさき?」

「はい」

「やっぱり!? こんなことってあるんだ」

「あの……?」

「誠くんのお父さんとお母さんね、御守学園で私の先輩だったんだよ?」

「え!? そうなんですか?」

「そうそう。鷲宮先輩と純玲先輩、懐かしいなあ。お二人とも、元気?」

「俺を置いて、親父の出張にお袋もついて行くぐらいには元気ですね」

「あはは、あの人たちらしいわね」

「どうして急にそんなことを?」

「私が昔、いっぱい迷惑をかけちゃったときに鷲宮先輩が叱ってくれたんだ」

「親父が?」

「うん。いやあ、あんなに本気になってる鷲宮先輩を見たの初めてだったから、思わず泣いちゃったよ」

「なんかすみません」

「謝ることないって。そのおかげで私は大事なことに気づけたんだから」

「大事なこと?」

「人は1人じゃ何にもできない。1人でやっているつもりでも、誰かが自分の役に立ってるってこと」

「…………」

「人に頼ることの大切さを私は教えてもらった」

「…………」

「そういうわけだからさ、筒六にもそのことに早く気づいてほしいわけよ」

「そう、ですね」

「親の私が言ってもどうせ聞きゃしないから、任せたよ誠くん?」

「お、俺?!」

「恋人なんだから、当たり前でしょ?」

「でも、そんな経験がない俺が筒六を説得出来るとは思えません」

「なーに言ってんの! 出来るか出来ないかを気にする余裕なんてないわよ」

「え?」

「そんな打算的だとつまらない大人になるわよ。若いんだから、まずは挑戦」

「わ、わかりました」

「だめだめ、そんな不安気な返事じゃ。もっとしっかりと、はい!」

「わかりました!」

「よろしい。今のところ、筒六にはなんの問題も起きてないから大丈夫だけど、なにかあったときはよろしくね」

「はい」

「おっといけない。もうこんな時間。それじゃ筒六のこと、これからもよろしくね」

「俺のほうこそ、よろしくお願いします」

「またね、誠くん」

行ってしまわれた。性格は違うけど、母親なだけあって筒六と雰囲気が似ていたな。

「あ、そういえば筒六……!」

久乃さんに気を取られてて、すっかり忘れていた。もう家に帰っちゃったかな。

「さっきのこともあるし、まだその辺をうろついてるかも」

少し探してみるか。


「色々見て回ったけど、いない」

やっぱり帰って――

「…………」

あ、いた。

「おーい、筒六ー!」

「え?」

「まだ家に帰ってなかったんだな」

「誠さん……」

「どうした?」

「さっきはごめんなさい。急に飛び出しちゃって……」

「いいって。こうやってまた会えたんだし」

「それにお母さんのことも……」

「あ、ああ。少し驚いたけど、悪い気はしてないよ」

「あの後、変なこととか言ってませんでした?」

「なにも言ってなかったよ。あ、でも面白いことは知れたかな」

「面白いこと?」

「久乃さんと俺の両親が知り合いだったってこと」

「そうなんですか?」

「うん。久乃さんが後輩だって言ってた」

「知りませんでした」

「久乃さんも俺の名前聞いてから、もしやって思ったみたい。後は筒六のこと、よろしくぐらいしか言われてないよ」

本当はもっと色々話したけど、筒六の機嫌損ねたくないし、言わないでおこう。

「ならいいのですが……」

「筒六はこれからどうするんだ?」

「……帰ります」

「送っていこうか?」

「いえ、ここから近いですし、お母さんにまた冷やかされそうですし」

「あり得るな。じゃ、気をつけてな?」

「はい。また週明けに会いましょう」

「おう。明日も練習頑張れよ」

「それでは――」

疲れているからなのか、久乃さんに会うのが嫌だからか、その理由はわからないが帰路に着く筒六の背中は妙にげんなりしているように見えた。

「大丈夫か、筒六……?」

週明けに愚痴でも聞いてやるか。本人が言えばだけど。

「俺も帰ろう」


布団の上で背伸びをしながら、俺は今日の出来事を振り返る。

「なんか今日1日で色んなことがあった気がするな」

初デートでアクシデントからの母親登場だもんな。すごく濃密な1日だった。

「ふあ~あ……」

俺もちと疲れたな。明日はなんの予定もないし、無駄に浪費するんだろうな。

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