麻衣ルート14話 三原家の真相

「間もなく旦那様が来られる。しばし待て」

三原家の大広間に入ってきた黒瀬さんはそう言いながら、俺と麻衣の少し後方で正座した。

「誠さん、足きついのでしたら崩していただいてもよろしいのですよ?」

「だ、大丈夫だ」

正座なんて普段しないから、5分くらいか? ――しか経ってないのに、もうきつくなってきた。とはいえ、足崩したら情けなく見えそうだし。

「痺れそうになったら、いつでも崩してくださいね」

「ああ。麻衣は大丈夫なのか?」

「普段から正座なので平気です」

「そ、そうか」

そういえば、泊まりに来てたときも正座してた気がする。

「よくぞ帰ってきた、我が愛娘よ!」

「遅くなり申し訳ありません」

「俺は門限なんてめんどくさい真似はしたくないが、せめて暗くなる前には帰ってこい」

「はい、気をつけます」

「で、なんでこの坊主がここにいる?」

「お話がありまして――黒瀬から聞いてないでしょうか?」

「…………」

「黒瀬……おめえ、後で面貸せ」

「承知いたしました」

まさか黒瀬さん、俺のことなにも――

「ここに来ちまったもんは仕方ねえ。話ってなんだ?」

「丸善さん、麻衣さんに婚約者がいるというのは本当ですか?」

「坊主、その話誰に聞いた?」

「私が言いました」

「……まさかとは思うが、相手のことは言ってねえだろな?」

「黒瀬に止められましたので」

「…………」

そんなに聞いてまずいことなのか?

「麻衣の婚約者はいるぞ。それがおめえになんの関係がある?」

「その婚約、破棄できませんか?」

「なに?」

「麻衣さんはその婚約を嫌がっています。だから――」

「帰れ、坊主」

「な――」

「お父様――」

「答えの出てるもんに交渉の余地なんてねえんだよ。帰れ」

「待ってくださいよ!」

「なんだ?」

「説明が不足すぎます。俺はなにも――」

「なんでおめえみたいな奴に、懇切丁寧説明しなきゃならねえんだよ?」

「そ、それは――」

「理由なんてねえだろ?」

「俺は麻衣さんの恋人です、だから――」

「まだそんなごっこ遊びしてやがったのか?」

「ごっこ……遊び……?」

「お父様――!」

「麻衣、俺は言ったはずだぞ? んな幼稚なことやめろって」

「…………」

「どういう……ことですか?」

「言葉通りだよ。おめえとの恋人ごっこをやめろって、この前言ったんだ。まだ続けてたのか」

「…………」

「言葉がすぎますよ! 俺と麻衣の関係がそんな子供の遊びみたいな――」

「間違ってねえだろ? ちょっと好きになっただけで付き合って、飽きるまでの遊びなんだろ?」

「違います!」

「ほう」

「俺は麻衣のこと、本当に好きです。麻衣だって、俺のことをそう思ってくれてます」

「そうなのか、麻衣?」

「……はい」

「…………」

「そうでなければ、ここに――丸善さんに会いに来ません」

「どういう意味だ?」

「正直に言うと俺、丸善さんのこと苦手なんです」

「…………」

「怖いし、迫力あるし、肝が据わってる。言葉を包み隠さないところが――自分の心に正直だからこそ、受け止める度胸も必要なんです」

「…………」

「俺にその度胸があるのか今でもわかりませんが、そんなことよりも麻衣への気持ちのほうが大きいんです。苦手だけど、それがあるから俺はあなたに立ち向かえます」

「…………」

「麻衣への気持ちが遊びでないことの証明になりませんか?」

「俺のこと、肝が据わってるって言ったな?」

「はい」

「おめえこそ、同じじゃねえか」

「え?」

「普通、苦手な相手に苦手だなんて告白しねえだろ?」

「あ――すみません」

「気にするな。俺は嫌いじゃない」

「じゃあ、婚約の話は――」

「それはダメだ」

「なんで――」

「…………」

「話にならない、こんなの」

「…………」

「俺にはわかりません。どうして父親であるあなたが、麻衣の嫌がることをするんですか」

「…………」

「ただ俺が気に入らないという理由なら、まだ納得できます。でもそうじゃない。どうして婚約にこだわるんですか。そんなに大事なものなんですか。麻衣の気持ちを殺してでも――」

「誠さん……」

「俺だってこんなことしたくねえよ……」

「え……?」

「……そこまで納得出来ないなら、教えてやるよ」

「それって――」

「麻衣の婚約についてだ」

「いいんですか?」

「絶対に外へ漏らさないと約束出来るか?」

「当たり前です」

「……いいだろう。黒瀬」

「はっ」

「防音しておけ」

「かしこまりました」

「さて、この家――三原家のことから話そうか」

「お父様」

「ん?」

「それに関しましては、私のほうからお話してあります」

「そうか」

「それって、三原家がある土地では名家として名が通っているという話ですか?」

「ああ、そうだ。だがな、名家はうちだけじゃねえんだ」

「そうなんですか?」

「うちと同じぐらいの名家がある。……あんまり大きな声で言えねえが、『川平家かわびらけ』ってのがそれだ」

「川平家……」

「ここからは”カワウソ”で通すから、そのつもりで聞け」

その名前、どこかで聞いたような……。

「うちとカワウソは犬猿の仲でな、地元でずっと争ってきた。どっちがその土地を治めるにふさわしいかをな。それこそ、俺の祖父よりもずっと前からだ」

「本当にそういうのってあるんですね」

物語とかだと聞いたことあるけど。

「ずっと同格だったうちとカワウソだったが、最近は奴らが著しく成長している。そのせいでうちは肩身が狭くなっているんだよ。奴らから交渉を持ちかけられたのは、そんなときだ」

「交渉?」

「三原家のカワウソへの併合、吸収の話だ」

「…………」

その言葉が出た瞬間、麻衣の肩が少しだけ上がる。

「正直、このままじゃうちは潰れるかもしれん。そのぐらいカワウソは勢いづいてるんだ」

「それは大変ですね」

話が大きすぎて、想像つかないけど。

「カワウソへ吸収されちまったら、俺たちは安泰になるが、その代わり三原家の名は消えちまう。それだけは阻止しなければならない」

家の名前ってそんなに大事なんだろうか。

「それを理由に断ったんだが、向こうもうちを目の上のたんこぶって思ってるのか、条件付きならうちの名前を残すって言ってきやがった」

「それってまさか――」

「麻衣をカワウソへ嫁がせることだ」

「…………」

「なんでそんなこと……時代錯誤もいいところじゃないですか」

「そんなことわかってるんだよ。だが、向こうがそう言ってきている以上、そういう条件なんだ」

「条件は他になかったんですか? 例えば、お金とか――」

「カワウソの長男坊がえらく麻衣を気に入ってるようでな。毎晩お盛んなんだと」

「お盛んってどういう――」

「麻衣を想いながら、色んな女抱いてるってことだ。気味悪いったらねえ」

確かに気持ち悪いな……っていうか、完全に麻衣のこと体目的だろ。

「だがな、向こうさんがそう言っている以上、それに応えるしかないんだよ。そうしないと三原家だけじゃねえ。麻衣にまで問題が降りかかってくるからな」

「なぜですか?」

「交渉を断りでもしてみろ。カワウソの長男坊が激怒して、報復してくるに違いねえ。麻衣を危険にさらす可能性だってあるんだ」

「身勝手だ……」

「だからな、この交渉は受け入れるしかない。それが三原家のため、麻衣のためなんだ」

「…………」

「…………」

重苦しい空気が広すぎる大広間を包み込む。

「こんなのおかしいですよ」

「なにがおかしいんだ?」

「麻衣のためを思うのなら、報復があったとしても守ろうとするのが本当じゃないんですか。まるで最初から諦めているかのような――」

「100%守りきれる保証がねえから言ってんだよ。それにな、麻衣だけじゃない。三原家の問題でもあるんだ」

「三原家の問題って……名前を残すことがそんなに大事なんですか?」

「なに?」

「家名を残すことが、自分の愛する娘よりも大事なんですか?」

「坊主……!」

「誠さん!」

「ま、麻衣?」

麻衣は毅然とした態度で俺を見つめる。

「それ以上はいけません」

「なんで――」

「誠さんにはわからないかもしれませんが、家名を後世まで残すことは、私たちにとって、とても大事なことなんです」

「…………」

「納得はできないでしょうが、理解してください」

わかんねえ。意味わかんねえよ、俺には……。

「俺らの先祖が代々受け継ぎ、培ってきたものをそうやすやすと手放すことはできねえ……それに――」

「…………」

「俺は三原家を消したくねえ。それは今の坊主の気持ちと同じなんだよ」

「俺の気持ちと同じって――」

「愛する人のためってことだ」

「愛する人……?」

「麻衣の母親……俺の嫁のことだ」

「…………」

「麻衣が幼かった頃に亡くなったっていう――」

「なんだ聞いてたのか」

「申し訳ありません、お父様」

「別に悪いことなんてねえよ。もう随分前だしな」

「…………」

「聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「奥さんのためっていうのは一体――」

「……ま、いい機会か。麻衣にも教えたことなかったしな」

「教えてくれるんですか?」

「麻衣もいい年だからな。辛いかもしれんが、ちゃんと聞いてろ」

「はい……」

「――もう数十年前になるか、俺がまだ若い頃だ。その後、結婚することになる南元愛衣みなもとあいと、この町で出会った」

「え!?」

「お父様、この町って――御守町ですか!?」

「おお、そうだ」

「なんでこんなところで……丸善さんはずっと地元にいたんじゃないんですか?」

「地元で仲が良かった友人がこっちに越してな。成人してから会いに来てたんだ。つっても、そいつはもう別の場所に移ったが」

「きっかけはなんだったんですか?」

「俺の一目惚れだ」

「ひ、一目惚れ……?」

イメージ湧かないな。

「なんだ、その目はよ?」

「い、いえ……」

「ふん……。ちゃんと理由があるわい」

「その理由はなんですか、お父様?」

「命の恩人だ」

「命の恩人?」

こんな人でも命の危険に晒されることがあるのか。

「御守町に越した友人と昼間っから呑んでて、夕方頃には別れたな。その時間からベロベロに酔っ払って、足元ふらつかせながら歩いてたわけよ。そしたら、知らない間に車道に飛び出しちまってよ」

「その時に車が来て、未来の奥さんのおかげで助かったってことですか?」

「そうそう」

なにやってんだ、このオヤジは……。

「助けてくれた後、あいつは俺の頬を思いっきりビンタしてよ、『早まるな!』とか言ってきやがってさ。一気に酔いがさめた。俺の上に馬乗りしてきたあの制服姿、今でも忘れねえな」

「その時のお母様は学園生だったんですか?」

「御守学園だぞ」

「俺たちと一緒じゃないですか」

「だから、麻衣もそこに入れたんだよ」

「え?」

「順を追って話してやる。ビンタ張られたもんだから、俺もカチンときて殴り返してやろうとしたんだがよ」

女相手に容赦ねえな。

「俺を助けたときにできた傷やら制服の汚れやらを見て、自分のことを顧みずに俺の心配をする愛衣に感動してな」

「それでお母様に恋愛感情を抱いたということですか?」

「あのときの愛衣……勇ましかったなあ……」

「で、その後はどうしたんですか、丸善さん?」

「その場で告白したさ」

「え、まだお母様のこと、なにも知らないのにですか?」

「断られたがな」

当たり前だ。

「坊主にはわかると思うが、そこからがヒートアップってわけよ。恋は盲目だなんて、よく言ったもんだぜ」

「えーと、違うという前提で聞きたいんですが、毎日告白したとか?」

「よくわかったな?」

「…………」

「柄にもなく花束なんか背負ってよ、片膝落として渡したさ」

えらくロマンチストだな。

「御守学園の前で下校してくるのを待ってたな。愛衣は大抵、同じ友人たちと――愛衣を含めて、6人だったんだが――下校してたみたいだけど、他の連中は眼中になかったな。1人を除いて」

「1人を除いて?」

「愛衣と下校してた他の5人の中になぜか1人だけ男がいた。そいつ以外は愛衣含め全員女だった」

なんだそのハーレムは……羨ましい。

「しかも、そいつは愛衣にも馴れ馴れしくしやがってよ。許せねえぜ」

「ただのお友達だったのでは?」

「いーや、奴はたらしに違いねえ。忘れもしねえよ……鷲宮浩わしみやこう

「うぇ!?」

その名を聞いて、思わず自分でも奇妙だと思える声が出た。

「鷲宮って……」

「どうしたよ?」

「誠さんも鷲宮――」

「同じ苗字なんてざらだ。赤の他人だろ」

「そ、そうですよー。俺その人、全く知りませんから」

本当はその人が俺の父親だなんて、口が裂けても言えん。

「それでお父様、その男子学生となにかあったのですか?」

「俺のことストーカー呼ばわりしてよ。ガキのくせに一丁前に睨みきかせてきやがった」

今では考えられんぐらい勇ましいな。

「奴のボディブローは体に染みたぜ」

親父、そこまでなの!?

「それで奴は――」

「あのー丸善さん? 話が脱線してるみたいなので、本題のほうを――」

「おー、悪い悪い」

これ以上聞いたら、俺が墓穴を掘りそうで怖い。

「毎日会っていたということは、その間ここで寝泊りを?」

「ああ、そのために建てたからな」

「た、建てた~!?」

そこまでするか!?

「いつでも迎え入れられるようにしとかないとな」

「お父様のお母様への想いはそこまでのものだったのですね」

納得するの!?

「わかってくれて、嬉しいぞ」

「はい」

いや俺、置いてきぼりなんだけど?!

「話が少し前後するが、麻衣が地元の学園から転校したいって言ったとき、この町にしたのはそういう理由があったからだ」

「えっと……ここに家があったからということですか?」

「それもあるが、愛衣と同じ制服を着せてやりたかったんだ」

「どうしてそんなことを……?」

「麻衣には……愛衣に会わせてやれなかったから」

「え……?」

会わせてやれなかった? あれ?

「お、お父様? なにか記憶違いされていませんか? お母様の記憶なら、私――」

「…………」

「……なぜ黙られるのですか? 私なにかおかしなこと――」

「すまねえ、麻衣」

「話がわかりません、お父様が謝る必要は――」

「全部……嘘なんだ」

「え……」

「…………」

「嘘って……嘘ってなんですか? 嘘なんてなにも――」

「麻衣?」

「はい」

「愛衣の記憶を教えろ」

「どうして――」

「いいから」

「寝るときは……いつも優しく抱きしめて、それで……」

「…………」

「あれがお母様の温もりだって……」

「それは愛衣じゃねえ」

「え……」

「嘘ついてた俺が悪いのは百も承知だ。すまない……」

「じゃあ、麻衣を抱いていたその女性は――」

「乳母だ」

乳母って……映画とかでよく見るやつだよな? 現実にいるとは……。

「お母様じゃない……?」

「麻衣」

「…………」

「辛いかもしれんが、ちゃんと聞けって言っただろ?」

「…………」

「受け止めろ」

「それはあんまりじゃないですか?」

「あ?」

「麻衣に嘘ついてたのは丸善さんなのに、身勝手ですよ」

「だから、俺は謝った。その上で理解しろと言っている」

「そんな無茶苦茶な――」

「…………」

「麻衣に坊主、よく聞け。俺は別にお前らに納得してほしいなんて微塵も思ってねえ。どんな腹づもりでいようが気にしねえ。だがな、理解だけはしていろ。理解すら放棄するってことはそのものから逃げてるのと同じだ。その後どうするかは自分で決めろ。俺を恨むもよし、責めるもよし。しかしだ、いくら責められようが俺には謝ることしかできん。俺の謝罪を聞いて満足する暇があるんなら、他にやることがあるんじゃねえかって思うがな」

「…………」

「…………」

あまりにも……あまりにも自分勝手な言い分だ。でも、言い返せない。丸善さんを否定する言葉が見つからない。俺たちが経験の浅い若造だからか? だから、反論すら出来ないのか? 悔しい……くそ……悔しい……。

「……お父様」

「なんだ?」

「私……この件に関してはお父様のこと許しません」

「…………」

「こうなるならば、最初から嘘なんてついてほしくなかったです」

「…………」

「だから、これからはお母様のことで、嘘なんてつかないでください」

「ああ、わかった」

「麻衣……大丈夫なのか?」

「お母様のこと、すごくショックです。今にも胸が張り裂けそうです。しかし、今はその事実だけを受け止めておきます」

麻衣は幼い頃から、丸善さんにこういう教育を受けてきたんだろう。だから、心の痛みと状況把握は別物として捉えられるんだ。俺には……そんなことまだ出来ない。

「お父様、お母様はどうされたのですか?」

「……麻衣を産んだときに亡くなったよ」

「な、なぜですか?」

「愛衣は生まれつき心臓が弱かったから、心臓に大きな負担をかけることができなかった。医者からは出産には命の危険を伴うと言われていたが、俺と愛衣はそれを無視した。出産すれば愛衣は命を落とすかもしれない。そんなリスクを負ってでも、2人の子供が欲しかったんだ」

「…………」

「愛衣の全てを受け継ぐように麻衣、お前が産まれてきた。初めて抱く我が子に感動したよ。その場にいる誰よりも小さいのに、誰よりも存在感があった。愛衣は出産後ほとんど残ってなかった体力と力の全てを使って、麻衣をその腕に抱いたまま、笑顔で逝っちまった。今まで見てきた愛衣の笑顔の中で最高のものだったよ。昨日のことのように鮮明に覚えている」

「う、うう……お母様……」

我慢出来ず、麻衣は嗚咽をもらす。

「私が……私が産まれてこなければ……お母様は――」

「アホなこと抜かすな、麻衣!」

「お、父様……?」

「命を危険に晒してでも、愛衣はお前を産みたかったんだ。それを産まれてこなければだと? バカも休み休み言え」

「しかし、お母様が……」

「俺はな、麻衣。お前が産まれてきて、今こうやってここにいてくれて、本当に嬉しく思ってるんだぞ。愛衣との間に子供を授かってよかったって、心から思ってる」

「…………」

「……愛衣は死ぬ前に俺と麻衣、2人に同じ言葉をかけてくれたんだ」

「それは……?」

「『ありがとう』って、2回言ったんだ。耳をすませないと聞こえないぐらい、かすれた声でな」

「お、おか……うう、お母様……」

「…………」

俺はどんな顔をすればいいのかわからず、ただ黙って麻衣を見守っていた。

「愛衣はお前にたくさんの感謝とお礼の気持ちでいっぱいだった。だから、産まれてこなければなんて、冗談でも言うんじゃねえぞ?」

「はい……はい……!」

「……黒瀬、ちり紙もってこい」

「かしこまりました」

黒瀬さんは即座に丸善さんと麻衣のもとへ指定の物を手渡していた。麻衣はその後数分間泣き続け、丸善さんも深呼吸しながら、潤った目を拭っていた。

「……ふう」

「落ち着いたか、麻衣?」

俺は麻衣の肩に手を置きながら、気遣う。

「はい。取り乱してすみませんでした」

「いや……」

あんな話聞かされた後じゃ仕方ない。

「さて、話を戻そうか。俺はな、愛衣がいたこの家、名前を後の世まで残すことが、愛衣に報いることだと思っている。それに三原家がなくなっちまったら、俺と愛衣とのこともなくなるような気がしてな」

「だから、麻衣のことはどうでもいいってことですか?」

「どうでもいいことねえ。俺の愛娘だぞ。これが最良の選択だって言ってるんだよ」

「愛衣さんもそれを望んでるって言うんですか?」

「なに?」

「亡くなった奥さんもこういう選択を選ぶということですか?」

「そんなもん知るかよ。死人は口きけねえんだから、残された俺たちで答えを出すしかねえだろ」

「そうですけど――それは丸善さんの独断じゃないですか。麻衣のこと大事だって言っておきながら、交渉の道具に使って……矛盾してます」

「麻衣の了承は得ているんだ。独断じゃない。麻衣を思ってのことだっていうのも、さっき言ったはずだぞ」

「…………」

「了承って……従わせているだけでしょ? 麻衣の気持ちなんて、見向きもしてない」

「…………」

「俺は絶対に認めません」

「坊主に認められようが、認められまいが決定事項だ」

「だったら、俺が――」

「連れ出す――なんて言わねえだろうな?」

「そうなら、なんだって言うんですか?」

「……やめとけ。坊主1人に何ができるっていうんだ」

「やってみなくちゃ――」

「若いのは結構だがな、そろそろ理想だけ追うのはやめろ」

「理想って――」

「麻衣を連れ出す? それは結構なことだ。俺らの目を掻い潜ることができると思ってるのか? こっちは麻衣のために三原家一の実力者である黒瀬をつけてるんだぜ?」

黒瀬さん、そんなにすごい人なのか。

「黒瀬を出し抜き、他の護衛も出し抜くことができると本気で思っているのか? 坊主1人でそれができるのか?」

「そ、それは……」

「仮にそれが出来たとして、その不始末は誰がつける? カワウソとの約束のツケは誰が払うんだ? 当然、三原家だよな? 坊主1人のせいで三原家は途絶えるんだぜ? お前がしようとしていることはそういうことだ。坊主はこれまで受け継がれてきた三原家を、俺と愛衣の思い出を、全部壊そうとしてるんだぜ? とんだ人でなしだな?」

「人でなし? それは丸善さんのほうでしょ? 俺や麻衣のことをなんとも思ってないんだから」

「ああ、そうだぜ。俺には俺のやらなきゃいけないこと、やりたいことがあるからな。そう思われる覚悟は出来てるんだ」

「それなら俺だって――」

「本当にそうか?」

「どういう意味ですか?」

「麻衣を連れて行くってことは、麻衣も覚悟しなくちゃいけねえ。それができるのか?」

「…………」

「それは――」

「俺の娘だから、よくわかる。麻衣は優しいから、自分のせいで三原家が潰れたとなれば、後悔の念が消えることはないだろう」

「…………」

「それを麻衣に背負わせる覚悟もあるのかって聞いてるんだよ」

「…………」

そこまで考えてなかった。俺はただ麻衣と一緒にいたいと思って、麻衣もそう思ってくれてるからそうしようって決めたのに……。麻衣のことを考えてと言いながら、本当は自分のやりたいようにしたかっただけなのか。

「どうなんだよ?」

「俺は……くっ」

「悔しいか、坊主?」

「くっうぅ……」

「なんでこんなことにって思ってるか?」

「は、はい……」

「それはな、坊主に力がなかったからだ」

「力……?」

「麻衣を引き止められるだけの力だ。魅力だろうが財力だろうがなんでもいい。それがないから、麻衣を引き止めることもできないんだよ」

「なら、丸善さんだって――」

「そうだ。俺の力が及ばなかったから、こうなってるんだ。誰でもねえ、自分のせいでこうなっちまってるんだ。だから、受け入れるも抗うも自分で覚悟を決めるしかないんだよ」

「くそ……くそ……」

「誠さん……」

「理不尽だ、こんな……」

「理不尽で成り立ってるのが世界なんだ。勉強になっただろ」

「本当にこれで終わりなんですか?」

「…………」

「俺と麻衣の関係も――」

「…………」

「学園を卒業してしまったら、全部おしまいなんですか?!」

「勘違いしているぞ、坊主」

「え?」

「麻衣は御守学園を卒業しない」

「――っ!?」

「今、なんて……」

「どういうことですか、お父様?! 卒業しないって……それじゃまるで――」

「……予定が早まった。明日の内、地元に帰るぞ」

「な、なぜそんな急に――」

「カワウソの長男坊が騒いでるんだと。早くよこせってな」

「そんな、麻衣を物みたいに……」

「麻衣はいつでも出られるように支度していろ。できるだけ早く出発するからな」

「そんな……で、では、学園は?」

「地元の学園に転校してもらう。そこで卒業しろ」

「私……せっかく……」

「麻衣――」

「わかりました……」

丸善さんのキッとした睨みだけで麻衣はそれに従った。

「…………」

ダメだ。色んなことが急に起こりすぎて、頭がついていけない。麻衣が俺の傍からいなくなる?

「嘘だ、こんな……こんな……」

「坊主、現実逃避はなにもならないぞ」

「もう本当に……どうにもならないんですか?」

「答えは変わらん」

「…………」

「誠さん……」

「これ以上、ここにいても埓があかねえ。今日はもう帰って、頭冷やせ。おい、黒瀬」

「はっ――行くぞ、小僧」

「…………」

黒瀬さんに腕を掴まれ、強制的に起立させられる。

「誠さん……」

「麻衣……」

黒瀬さんに連れられながら、最後に見た麻衣の顔はとても悲しげで今にも泣き出しそうな顔だった。

「…………」

「気をしっかりして帰れ。帰ったらまず寝ろ。でなければ、考えがまとまらないぞ」

「…………」

「冷静さがなければ、決断も鈍る。いざという時、後悔するのは自分だ」

「…………」

「……またな」


黒瀬さんが去っていった後も俺はその場に立ち尽くし、どうやって帰ったのか、気が付けば自分の部屋だった。

「もうどうすることもできないのか……」

諦めるにしても、大切な思い出すら作れないなんて……。

「は、はは、ははは……」

もうおしまいだ。なにもかも終わったんだ。俺にはもうなにも……。

「麻衣……麻衣……麻衣……!」

その夜、いつ眠ったのかもわからないほど涙を流した。

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