彼女の願い
エルファ
1話 夢の女性と幼馴染
「ここ……どこ? おーい、さちー!」
少年は森の木漏れ日を浴びながら辺りを見回し、自分が迷子になっていることを自覚する。
「だれか……だれかぁ……」
「…………」
目に涙を浮かべた少年を背後から見つめる女性。
「うっ……うう」
「……どうしたの?」
その女性は巫女服を着こなし、凛とした面持ちながらも優しげに話しかける。
「え……?」
「迷子?」
「おねえさん……だれ?」
「覚えていてくれる?」
「え……?」
「……なんでもない。行きましょうか」
女性は少年に手を差し伸べる。
「……て」
「んん……?」
どこからか聞き覚えのある声が聞こえた気がして、少年は後ろを振り返る。
「……きて」
「このこえ、しってる」
「……おきて」
手を差し伸べる女性にその声は聞こえないのか、不思議な眼差しで少年に語りかける。
「どうしたの? ほら、手握ってないとまた迷うよ」
「……うん」
少年は女性が差し伸べる手を躊躇なく掴む。
「ひっ!」
驚いたようなその声は手を握った女性のものではない。
「あれ? 手ってこんなに柔らかかったっけ?」
「もっとしっかり握って」
「うん」
「ちょっ――やっ!」
女性に言われるがまま、その柔らかすぎる手をがっしり掴む。
「なんだかすごくいい感触だ」
母を連想するような温かい感触を少年は感じた。
「誠ちゃん――いい加減に――」
「ん……んん? ……ああ、紗智か」
寝ぼけ眼に映るは数十年連れ添っている俺『
「…………」
「おはよう」
その幼馴染は横になっている俺を中腰で見下ろし、頬を赤くしながら怒りの表情というなんとも面白顔芸を披露していた。
「誠ちゃん、他に言うことあるよね?」
「ん? ああ――」
「…………」
「お前も揉めるぐらい成長したんだな。長年、連れ添った幼馴染としては嬉しい限り――」
いかな紗智のとはいえ、おっぱいはおっぱい。わざとでないにしても、ここは揉んでおくのが礼儀――
「誠ちゃんのバカーー!」
「うぐぅ!」
「…………」
「なあ、悪かったよ。そろそろ機嫌直してくれよ」
リビングへ移動した俺たちだったが依然として紗智は拗ねた態度をとっている。すでに出来上がっている朝食は目の前なのに……腹減ったぞ……。
「…………」
「俺も寝ぼけてたんだし、いくらなんでも奪い取った枕を顔にぶつけるのはあんまりだぜ」
それと布団剥ぐな。11月のこの時期にそれは拷問に近い行為だぞ。
「ふんっだ。今日の誠ちゃんは朝と昼のごはん抜きだから」
「勘弁してくれよ。親父もお袋もいない今、頼れるのは紗智だけなんだからさ」
「そ、そんなこと言っても、ダメなものはダメなんだから――」
「隙あり!」
「あ、玉子焼き!」
紗智がそっぽを向いた一瞬の隙を突き、おかずの1つである玉子焼きを奪取する。
「んむんむ――なかなか美味いな」
「ほ、本当に?」
「上出来だ」
「えへへ、じゃあ朝ごはんにしようか」
「なんだよ、俺は抜きじゃなかったのか?」
「うーん、仕方ないから許してあげよう」
「なんだそれ」
「いーの! ほら、誠ちゃんも準備手伝って」
「へいへい」
よくわからん内に紗智の機嫌は直っていた。朝食をテーブルに運ぶ紗智に対して、俺は箸やらコップやらを準備する。
「おじさんとおばさん、いつ帰ってくるの?」
「年末には帰ってくるとか言ってたけど、なにもお袋までついていくことないんだけどな」
「二人とも、仲良いもんね」
「だからって、親父の出張にお袋がついていくことを置き手紙で息子に知らせるか」
「あたしは前日におばさんから聞いてたよ。『誠をよろしく』って言われたもんね」
「お袋め……余計なことを……」
「余計ってどういうことさ」
「親の呪縛から解き放たれ、自由の生活を得られると思った矢先にどこぞの世話焼きが意気揚々と自宅に乗り込んでくるんだぞ。これのどこが余計でないと言えようか」
「誠ちゃ〜ん? それって一体誰のことかな〜?」
「洗面台に鏡あるだろ? そこに映ってる奴がそうだから、ちょっと見てきてみ」
「わかった。見てくる」
とてとてと洗面台に走る紗智。
「…………」
「って、ちっが〜〜う!」
「おお、ナイスノリツッコミ」
「どうもどうも。――じゃなくて、余計なんてひどーい!」
「毎朝、俺の貴重な睡眠時間を削ってくるだろ?」
「起こしてあげないと遅刻するじゃん。あたしがいなかったら、ご飯どうするのさ?」
「それぐらい自分で出来るぞ」
「カップ麺しか作れないのに?」
「調理済みの商品を買えばいい」
「洗濯は?」
「コインランドリーがある」
「掃除は?」
「掃除機がある」
「…………」
「どうよ?」
「はあ……」
「なぜ、ため息が出る?」
「誠ちゃんのことだから、好きなものしか食べないでしょ」
「う……」
「コインランドリーの使い方わかる? そもそも、行こうとする?」
「うう……」
「掃除機のかけかたわかる?」
「それはわかるわ!」
本気で心配する顔しやがって。
「でも、やろうともしないよね?」
「ううう……」
「さて、問題です。はたして、あたしは余計でしょうか?」
「いえ、余計ではございません。助けてください、お願いします」
くっそー、勉強も運動も苦手で俺よりできないくせに家事全般だけはテキパキしてるからな。自由ではなくなるが、両親が帰ってくるまでの生活を犠牲には出来ん。
「よろしい。誠ちゃんにはあたしがいないとダメなんだよ」
「紗智にそんなことを言われてしまうとは……。だが、なにも言い返せないのが悔しい」
「漫才はこれぐらいにして、早く食べないと本当に遅刻しちゃうよ」
「漫才って――仰るとおりなんだけどさ」
俺とこんなやり取りをしながらも朝食の準備が完了している辺り、家事の手腕が伺える。俺、箸とコップを机に置いただけだな。
「うー、さぶっ」
朝食を終え、俺が身支度をしている間に後片付けを終えた紗智はすでに玄関先で待っていた。
「誠ちゃーん、鍵ちゃんと閉めないとだよー」
「そのぐらいわかってるって」
「カバン持ったー?」
「出る前に聞いただろ。ほら、行くぞ」
「その前に――よっと!」
「おわっ、お、おい! 急に抱きつくなよ!」
「えへへー、いつものことだからいいでしょ!ギュッー!」
登下校は毎日一緒だし、その度に腕を組んでくることも知ってるよ。だけどな、する必要はないんだぞ。
「ったく、こんな年まで恥ずかしいったら」
「だから、途中までにしてるでしょ。本当はずっとしてたいのにさ」
「冗談じゃねえ! それじゃ、まるで――」
「まるで?」
その先を考えてなかった。
「…………」
「誠ちゃん?」
「コアラみてえだな」
「コアラ〜!?」
「ユーカリの葉でも食うか?」
「食べないし、コアラでもないよ!」
「お前、忙しないもんな」
「それどういう意味さ?」
「なんつーの、猫みたいにちょろちょろ動き回ってるじゃん」
「そんなことないよ! それに猫はじっとしてるときのほうが多いよ」
「それもそうだな」
紗智のわりには納得の言葉だ。
「猫といえばさ――」
「ん?」
「お前のカバンについてる、それ。なんだ?」
「え?」
紗智のカバンについている羽の生えた猫みたいなキーホルダーを指さした。けっこう色が褪せてるぞ。
「キメラか?」
「なにそれ? ていうか、これは猫さんなの! 天使さんなの!」
「どっちなんだよ」
「……覚えてないの?」
「うーん……」
「…………」
天使……猫……。
「あっ――」
「思い出した?」
「ガキの頃、少し流行ってた『天使猫』だろ? 懐かしいな」
「それはそうなんだけど……」
「どうかしたか?」
なんだよ、急に暗い顔して。
「…………」
「紗智?」
「ううん……なんでもない」
「本当か?」
「うん! ほら早くしないと本当に遅刻しちゃうよ」
「お、おい! あぶねえから、引っ張るなって!」
「誠ちゃんが遅いからいけないんだよー」
「お前が腕掴んでるせいで、自分のペースで歩けねえんだよ」
「そんなの知らないもーん」
「なにおう――」
目にもの見せてくれるわ。
「てい!」
「あっ!」
「ふっふっふ、侮るなかれ。いかにお前の超絶アームロックとて、隙さえあれば容易く抜けられる」
力がないくせに俺の腕を掴むときだけは異様なパワーだからな。しかし、油断は禁物だぜ、紗智。
「ちょ、ちょっと! そんなのずるいよー!」
「へへーん、悔しければもう一度掴んでみることだな」
「待てこのー!」
「お前の足じゃ、到底俺の速さには及ばんのさ」
紗智は一生懸命走ってるみたいだが、所詮その程度よ。ほーら、どんどん姿が小さくなって――
「あっ! 誠ちゃん! 前! 前!」
「あ?」
「!?」
目の前には見知らぬ女の子!
「げっ!」
まずい! 前方不注意! と、止まらねえ!
「きゃっ!」
「うわっ!」
幸いなことに強い衝突は避けられたが、お互いに尻餅をつく。
「うう……」
「あてて、だ、大丈夫?」
「あ……はい……」
「本当にごめん」
「いえ……その……それでは」
俺の方をあまり見ず、足早にその場を立ち去る少女。本当に大丈夫か?
「誠ちゃん! 大丈夫!?」
「あ、ああ。俺は平気だ」
「あの女の子は?」
「平気だって言ってたけど――ん?」
尻餅をついたままの俺の近くに水玉模様のハンカチが落ちていた。あの子のだよな。
「ちょっと待ってろ、紗智」
「あ、誠ちゃん!」
きっと俺とぶつかったときに落としたんだ。ぶつかったこともちゃんと謝らないとだし、ハンカチ返さないと。
「おーい! 君ぃー!」
まだ姿の見えるその子の背中に呼びかける。
「!?」
「あぶねえ!」
俺に気づき、振り返ろうとしたとき、バランスを崩したのか、転倒しそうになる少女。
「よっと! 大丈夫か?」
既のところで背後から支えることが出来た。
「は……はい……」
「なら、よかった」
二度も俺のせいで転げさせたくないしな。
「あの……ありがとう……ございます」
「ああ、いや気にしないでくれ」
「!?」
「ん?」
さっきからこの手に余る肉厚感はなんだ? なにか今朝方、感じた柔らかい感触と似ている。
「あ……だ、め……」
「…………」
この包まれるような柔らかさとどこか安心するような手触り。
「そ……それ以上は……やっ……」
「…………」
そして、この反応は――
「は、はなして……ください……」
「どええーーーい!」
こ、これはイカンだろ! いくら助けようとしたとはいえ、こんな可愛い子のおおお、おぱ、おぱ――とにかく、これじゃ逆効果だろ!
「…………」
しかし、この重量感と豊満度はなんなんだ。今朝、触れたモノが偽物ではないかと疑ってしまうぐらいだ。
「す、すげえ……」
「へ……?」
いやいや感心してる場合か! 早く離れなければ――しかし、どうする。急に手を離せば確実にこの子は転ぶ。かと言ってこのままでは――
「……はっ、あっう……」
やべえ、なんか吐息が艶っぽいし良い匂いするし密着してるせいもあって健康な青少年には拷問だぞ。よし、ここは少しづつ手を動かして背中まで移動し、支える形で体勢を立て直してもらおう。
「こ、こうか?」
「あっ……いやっ……」
「す、すまん!」
少しづつ動かそうとした俺の手がツツツと少女の胸を伝ってしまう。どこから見てもいやらしい手つきで触ってるようにしか見えない。誰かー! 助けてくれー!
「あーーーー! 誠ちゃんが女の子の胸触ってるー!」
1番最悪な助けがきてしまった。その前に助けと呼べるのか、これ。俺の心の中で警報が鳴り響いているのがよくわかる。
「お、おい! そんな大声出すなよ! 勘違いされるだろ!」
「これはどういうことなのかな、誠ちゃぁん?」
「お前はなにかひどい誤解をしている。これはそういうんじゃなくて、つまりだな――」
「つまりなんなのかな?」
「不可抗力ってやつだ! お前の頭でもそれぐらいは理解できるよな?」
「言い訳はもう終わりかな?」
「待て! 俺の話聞いてたのかよ!」
「あ……あの……」
俺と紗智のやり取りを遮るように少女は口を挟む。
「なんだ? 今、取り込み中なんだから――」
「はなして……ください……」
「え? あ、うわ! すまん! ――あっ」
「ひゃあ!」
急に俺の支えをなくした少女は案の定、転倒しそうになる。
「あ、あぶない!」
咄嗟に紗智が支えになろうとするが、紗智の力では言うまでもなく不可能だった。一緒に倒れたら元も子もないだろ。
「う、ううん……」
「あいたたた、だ、大丈夫?」
紗智は自分のことよりも少女の心配をする。
「あ、は、はい」
「どこか怪我とかない?」
「大丈夫……です」
「なら、よかったー」
「あの、それでは失礼します。ハンカチ、ありがとうございました」
少女は軽く会釈して、走っていった。
「お前も大丈夫か、紗智?」
「うん、大丈夫だよ」
「ったく、危なっかしいったら。――ほら」
座り込んだままの紗智に手を差し伸べてやると、その手を取り立ち上がる。
「あ、ありがとう」
「あんまり無茶するなよ。心配するだろ」
「心配、してくれるんだ」
「当たり前だろ? お前になにかあったら、どうするんだよ」
「せ、誠ちゃん――」
「俺の生活」
「……へ?」
「両親が居ない今、家事できるのはお前だけなんだからお前がいないと困るんだよ」
「……はあ」
「なんだそのため息は?」
「誠ちゃんはいつまでたっても誠ちゃんだなって」
「なんかバカにされた気分だ」
「多分、気のせいだよ。それより、さっきの子この辺じゃ見かけないね」
それよりってなあ……。
「確かに初めて見るな。それにあの制服――」
「あたしたちと同じだったね。上級生かな?」
「もしくは下級生か同級生で別のクラスかだな」
「案外、転校生かもよ」
「なに言ってるんだよ。こんな時期にあるわけねえだろ」
「あはっ、だよね」
にしても、あの子――すごかったなあ……。
「そういえば、誠ちゃん?」
「ふぇっ!? な、なんだ?」
「さっきのあれはどういうことかなぁ?」
「さっきのあれとは一体なんのことでしょう?」
「なんで、女の子の胸触ってたのかな?」
「ソンナコトハヤッテマセン」
「あたし見たもん! それにそのこと思い出してたでしょ?」
「な、なんの根拠があって――」
「すごいエッチな顔してたよ」
「そ、そんなことは……ないぞ」
「あたしのだけじゃ物足りず、他の女の子のも触るなんて不潔だよ! 不純だよ!」
「バッカ、おめえ! お前のなんて比べものにならねえぐらいだったわ!」
あ……。
「ほっほーう?」
「いやだな、冗談ですよ。第一、僕は触ってないですし――」
「それで?」
「ほ、ほら! 見ただけでもお前とは段違い――」
「そこは否定しないんだね?」
「ぼ、僕はただ事実を述べてるだけであって――」
「誠ちゃあん? 言い訳はそれぐらいでいいかな?」
「…………」
俺に残された手はもうこれしかないようだ。
「紗智」
「なあに?」
「遅刻しちまうから、先に行ってるぜ!」
「あ、ちょっと!」
人類最後の手段、戦術的撤退発動!
「待てー! 誠ちゃーん!」
どんどん遠くなる紗智の声と姿を尻目に、俺は学園へ急いだ。
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