第13章 エッジ(3)
「すず、とにかく生き延びよう。付いて来るんだ」
礼韻のささやきに、涼香は暗示にかかったかのように、気持ちが鎮まってきた。
悩んでも、不安がっても、今はなんの意味も持たない。それらは余計なことなのだ。礼韻の思考方法が、気持ちのなかに入り込んできた。その一本化したストレートな思考が、動揺をゆっくりと収めてくれた。勝手に巻き込んでおいてという、腹立たしい思いはもちろん消えない。しかし気持ちのもう一方で、礼韻と心を通わせられたことにうれしさを感じていた。
涼香は礼韻の胸から頭を離し、目を見つめ、こくりと頷いた。礼韻は口をギュッと結び、頷き返した。
「さて、これからどうする?」
礼韻は今度、優丸に顔を向けて聞いた。
「うーん、そうだな……」
優丸が唸る。
「とりあえず、西軍のあの大集団に潜り込むしかないだろうな」
優丸の、迷いを感じさせる歯切れの悪い言葉に、礼韻が頷いた。実際、どう動くのか見当のつかないところだ。
町人や百姓になど、素性の知れない者が潜り込めるわけはない。しかし戦闘集団であれば、島津など一部の例外を除けば可能だった。多くの隊が、合戦にあたって現地で臨時徴募しているからだ。顔の知らない者が紛れ込んでもバレることはない。ここではまず、どこかの隊に紛れ込んでいるのがいちばんだった。
「衣装も小早川のものだし、まずはひと安心ね」
緊張状態を和らげようと、久方ぶりに笑みを浮かべて涼香が言う。しかし、
「いや、ちがう」
礼韻が眼光鋭く打ち消した。
「今が最大の危機だ」
「え、どうして?」
涼香は咎めたものの、礼韻が単なるあまのじゃくな発言をするような人間ではないことを知っている。つまり礼韻が危機と言うからには、本当に危機なのだ。それではいったい、どういう……。
礼韻が、眠りこんでいる5人の足軽を指さした。中の一人は、まるでギャグ漫画かのように鼻ちょうちんを膨らませている。パチンと割れ、鼻をむずむずさせているのを見て、涼香が笑った。
「それで、あいつらをどうする?」
言われて、涼香は意味が分からない。
「いずれ目が醒めるぞ」
そこでアッと思った。たしかにそうだ。足軽たちが目覚めれば、当然、何者かに自分たちの衣装と武具を取り上げられたと
「殺して口封じしてしまうのが、最も安全だ」
恐ろしいことを礼韻が言った。しかし現実には、それが最も安全な案だった。
「でも、できるか? いかにパラレルワールドの中といえ、現代から来たおれたちに殺人などできるか?」
涼香の表情が凍りついた。
「あるいは、やつらの目をつぶすか?」
さらに恐ろしいことを礼韻が言った。たしかに自分たちにとって、今、最大の危機だった。
「さっきまでの、しばらく眠らせておくという方法は取れない。睡眠薬を多く与えたところで、いずれ目を覚ましてしまうだろうからな。どうする、あいつらの口を塞いでしまわなければ、おれたちは窮地に立たされるぞ。最大の危機というのは、この時代の当然の行動を、おれたちが取れないということだ。この時代の武人であれば、自分が生き伸びるためであれば、たやすく人を殺すだろう」
涼香は声が出ない。
「やむをえないな」
これは、優丸の言葉だった。
「口を封じるしかないのであれば、そうせざるを得ない。顔も見られているわけだしな」
いつもとなんら変わらぬ、声のトーンだった。これにはさすがに礼韻も黙った。
「2人とも先に盆地に下りていろ。汚れ役は引き受ける」
そう言って、優丸は2人を促した。
歩き出す礼韻のうしろを、涼香が追った。
「本当に、優丸は口封じするのかしら? 彼らの命を奪うのかしら?」
「分からない」
礼韻が歩調を速めた。
「分からないが、今はなにも考えない方がいい。今は、とにかく、この『西軍が勝利した世界』で生き延びることだけを考えるんだ。生き延びなければ、戻るチャンスもなくなる」
さらにいろいろと聞きたかった涼香だが、厳しい礼韻の表情を見て、口をつぐんでしまった。
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