第12章 寸刻の決着(9)
涼香は地面にこすりつけている礼韻の頭をじっと見ていた。
「やめて、そんななさけない礼韻、見たくない!!」
涼香はそう叫びたかった。あれほどまで欲していた礼韻の動揺する姿を、今、心から見たくなかった。礼韻の動揺を誘うなど、実のところはお遊びだったのだ。本音では、礼韻はどんな状況においても心揺さぶられることなく、冷静に行動するものと信じていた。
涼香がかろうじて声を出さなかったのは、女であることがばれることを恐れてのことだ。それが足軽たちに知れれば、より危険が膨らむ。涼香はだから、ぐっと言葉を呑み込んだ。
それでも危機は目の前に迫っていた。足軽たちの歪んだ笑いを見れば、どんなに許しを請おうとも無駄なことだとだれもが分かることだった。
それでも礼韻は顔を伏せて、許して許してと繰り返している。
―――お願い、礼韻、やめて!!
こんなみじめな姿の礼韻に憧れていた自分がみじめだった。こんな人に付いて、のこのこと危険なタイムトラベルなどしてしまったのかと、心底悲しかった。たとえ勝機が薄いとしても、いつものすました態度で戦ってほしかった。
と、そのとき、涼香の頭の中に礼韻の声が響いた。
「息を止めろ。口元を塞げ」
ギョッとした涼香は、自分の横で同じくギョッとしている優丸に気づいた。優丸にも同じく、礼韻の拈華微笑の声が聞こえているようだった。
「息を止めろ、止めておけ!!」
礼韻の声は、あのいつもの、上段からの命令口調だった。心拍数が上がっているなか、息を止め続けるのはむずかしい作業だった。しかし涼香は耐えた。
そこで驚くことが起こった。
足軽たちが、ばたばたと、倒れた。
それは、ほとんど5人同時にだった。最後の男が倒れたことを確認するや、地に這っていた礼韻がスッと起き上がった。そして、布で口元を塞げと身振りで教えた。
「なにこれ?」
「なんだ、これは?」
布を通したくぐもった問いは、涼香と優丸、ほとんど同時にだった。
「お馴染みの睡眠剤だ。粉末状のものを木の枝から降らせた」
礼韻が男たちの頭上を指した。
「こういうこともあるかと思って、あの木の枝にかごを付けて仕掛けておいた。それを糸で、幹を伝って自分の足元まで繋いでおいた。土下座をするふりをして、糸をぐいぐい引っ張って、木の枝を揺すっていたんだ。やつらは高笑いと同時に粉末を吸い込んだんだ」
早口で説明した礼韻は、5人の足軽の元に行って、口にカプセルを突っ込んだ。
「これでこいつらはしばらく起きない」
礼韻の声も布を通してのもので、くぐもっている。
「優丸は手刀で勝負する算段をしていたようだが、思いとどまってくれてよかった。たしかに戦えば負けないだろうが、一人ずつ相手をしなければならない。何人か倒した時点で、残ったやつが大声で救援を呼んだにちがいない」
涼香は心から安堵した。それは、敵が倒れたからという、単純なものではなかった。礼韻が通常となんら変わらない、才溢れる冷静な行動を取ったことからの安堵だった。むしろ味方まで欺いた分、通常に増して優れた対応だったといってよかった。
「礼韻、よかった!」
涼香は極限の緊張状態から解放された反動で、涙が勝手に溢れて止まらなかった。礼韻の胸に頭を付け、しゃくりあげた。
―――よかった。よかったぁ。
涼香はようやく気持ちが落ち着いてきた。そう、礼韻が通常に戻れば、どんな局面だって切り抜けられる。大丈夫だ!
礼韻はやさしく、両手で涼香の二の腕を持って離した。
「すず、まだまだ危機は去っていない。すまないが、ここはゆっくりしていられない」
ポンと涼香の頭を撫でた礼韻は、優丸と、倒れた足軽たちの防具と衣類を剥がし始めた。西軍が勝利した以上、どうしても西軍のかっこうをしなければならないからだ。
その手際のよさは、通常の礼韻の動きだった。涼香は再びじわりと涙が滲んだが、たしかに泣いているひまはないと、2人にならって足軽たちの鎧をはずしにかかった。
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