第12章 寸刻の決着(7)
「グシャッ!!」
涼香は巨大な鉄塊がつぶれる音を聞いた。
発狂してしまうほどに、ものすごい音だった。
西暦1600年の世には強固なものを粉砕する機器などなく、実際には音などしていない。でもたしかに、涼香の頭の中で鳴り響いたのだ。
それは、歴史がたてる音だった。
歴史は、音を立てる。最重要人物の命が尽きたとき、人々の体の内奥に衝撃音を響かせるのだ。
家康が死んだ。目撃したわけではないが、涼香には分かった。音を聞いたから、感じたからだ。血だらけで家康本陣から出てきたのは、意外にも長宗我部の家紋を背負った男たちだった。おそらくは彼らが最終的に、内府を討ったのだ。棚から牡丹餅ともいえる功績だった。
すぐさま東軍諸将の潰走が始まる。北国街道と中山道は敵兵が厚いので、それはしぜん、伊勢街道へと南下することになる。黒田長政がまず動いた。とにかく九州まで帰りつけば、加藤清正や父の黒田如水と連携して、あらためて一戦交えることができる。三成の横柄さに不貞腐れた島津も、九州連合に引き入れられる公算が強い。それにはなんとかして、この場を脱出するのが先決だった。自慢の鉄砲隊を
その黒田に続き、東軍武将がそれぞれ戦場をあとにする。西軍は特に深追いはしない。勝利を明確にした以上、あとは後日、豊臣秀頼様の名のもとに沙汰を出せばいい話だからだ。今しつこく追って、死にもの狂いの相手に反撃されても損な話である。
唯一戦場で抵抗を見せているのが井伊直政だった。徳川四天王の一角である立場上、ここで散る以外の選択肢がなかった。ここで逃げ延びたとしても、西軍からの沙汰は最も厳しいものになるはずだった。また、秀忠や松平忠吉を中心に徳川を立て直したとしても、その味方から、当主をみすみす討たせてしまった咎を食うはずだった。つまり直政は、生き延びた場合に東軍西軍双方からきつく罰せられることになる。それなら武士として、戦場で散った方がよい。
しかし数に勝る西軍に、とても太刀打ちできるものではなかった。元武田家の勇敢な
それを見届けた三成が、戦いの終了を宣言した。これ以上、無益な争いはするな。隅々にまで、そう伝えた。三成の性格上、必要以上の攻撃はまったくの無意味だった。
ちょうどそのとき、雲が切れ、薄くだが陽がそそいだ。それは馬上の三成に当たり、ふわりと小さな輝きを放った。これはまったく偶然のことだが、まるで天が祝福をしたかのように周囲に映った。
その三成のまわりを、名だたる家臣が囲っていた。ひときわ大柄なのが目立つ。島左近だろうと、涼香には見当がついた。大きな傷を負っているからか、顔に色がなく、馬上でふらふらとし、今にも落ちそうだった。口取りをしている両側の家臣が、懸命に脇を抑えていた。
「島左近、蒲生郷舎、舞兵庫、八十島助左衛門、青木市左衛門、林半助、塩野清助……」
優丸が三成家臣の名を挙げていく。いずれも歴史に名をのこす武将たちだ。その中央で三成は、背を伸ばし、じっと関ヶ原全土を見つめていた。勝ち戦によって、天下人の貫録を手に入れていた。
「それで、どうする?」
望遠鏡を外した優丸が、涼香と礼韻に向かって言った。
「おれたちは今、負けた方の服装に扮している。おそろしく危険だ」
それまで涼香は、この状況に意識して触れないでいた。望遠鏡の中の世界に没頭することで、頭を無にしていた。しかし合戦の決着がつき、いよいよ自分たちを構わなければならないことになったのだ。そう、どういう理由なのかわけが分からないけど、関ヶ原の一戦は西軍が勝利を収めたのだ。
西軍諸将がどのような行動を取るのかが、まずは重要だった。一晩この地ですごすのか、それともすぐに立ち去るのか。
この地で留まるのであれば、動くことはできない。東軍の衣装で動けば、すぐに見つかってしまうからだ。逆に、西軍諸将が去るのであれば、急いでこの場を立ち去らなければならない。落ち武者狩りの連中がさまざまな方角からやって来るからだ。落ち武者狩りをする農民は、武士以上に恐ろしい。略奪者でもあり、勝手に戦場として我が地を荒らされた犠牲者でもある。一言の弁解すら聞き入れない、横暴そのものの集団だった。だから彼らが入り込んでくる前に、一刻も早く逃げなければならない。
「優丸」
礼韻がようやく口を開いた。
「分かっていることを教えてくれ。おれたちが見た関ヶ原は、夢なのか?」
「夢?」
「あぁ」
「夢じゃないさ。現に今もああやって、勝鬨を上げているだろ」
「じゃあいったいこれは、どういうことなんだ?」
優丸がゆっくりと腕組みをした。どうやって話そうか、頭の中で言葉を選んでいるような表情だった。
そして、
「礼韻、これは……」
優丸が話しだしたとき、人の気配がした。
「お前たち、こんなところで何をしている?」
数名の男が、槍を突きだしながら迫ってきた。
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