第12章 寸刻の決着

第12章 寸刻の決着(1)

 

「なるほどな。今後は平岡頼勝が指揮していくのか」

 

 つぶやく礼韻レインの表情に涼香すずかはドキリとした。その顔に、これまで感じたことがないような「迷い」を読み取ったからだ。

 

 これまでの長い付き合いでは一度も感じたことのない、礼韻の不安定な様。どんなときでも平常心を保つ礼韻が、今、慌て、迷い、困惑している。またそれを、うまく隠せてもいない。顔をしかめ、しきりに唸り、首をひねっている。普段の礼韻を知るものからすれば、これは、取り乱していると言っていい状態だった。涼香は体の隅々までざわついた。礼韻のその変化に、時間旅行がとんでもない方向に進んでいくのではないかと直感したからだ。

 

 礼韻の言葉は、いつも落ち着き、自信にあふれていた。しかし今のつぶやきは違った。長く見つめていた涼香だからこそ分かる、声の微妙な震えがあった。通常の周波数とは、絶対に違う! あの言葉は、なにか、自分自身を無理に納得させようとしている響きを持っている。礼韻は、小早川秀秋が合戦中に撃たれて死んだことが信じられないのだ。信じられないけど、実際に目の前でそれが起こった。だから気持ちと現実をなんとしても繋げなければならない。それがあの落ち着きのない態度となっている。そしてつぶやきを無意識のうちに発したのだ。たしかに秀秋亡き後、指揮を取るのであれば平岡頼勝が最適だ。それしかいないと言っていい。小早川軍のなかにおいてその地位にあるし、人を率いる能力も高い。たしかに順当に考えれば礼韻の言うとおりだ。しかし、なにかが違う。涼香の頭の中に、警告が鳴った。

 

「本当にそう思っているのか、礼韻?」

 

 その優丸ひろまの声に、涼香が反対側に首を向ける。そこには、睨みつける眼があった。

 

 眼は、礼韻を強くとがめていた。これまでにはないことだった。常に礼韻の協力者として、サポートの役割を担っていた優丸。礼韻の言葉や考えに対して頭から否定することなど一度としてなかった。


 その眼差しに、礼韻も狼狽した。

 

 当然だ。敵ならともかく、今まで頼りにしてきた仲間からの攻撃的な眼なのだ。これが自分なら、と涼香は思う。こうまでうろたえないだろうと。涼香が礼韻を咎めようとも、礼韻には堪えない。礼韻の深い読みを分からず、表面だけを見て反発していると取るからだ。実際涼香は、礼韻を糾弾したあと、しばらく経ち、自分の方が間違っていたと気付くことがよくあった。しかし今回は優丸の咎める眼。浅墓な読み抜けはない。優丸が咎めるということは、なにか自分が重大なミスをしているに違いない。その思いが、礼韻を狼狽させた。

 

「いや……」

 

 礼韻の言葉は歯切れが悪い。頭の中はブンブンと高速回転している。優丸の言葉の意味や小早川秀秋の死を、ものすごい勢いで咀嚼している。しかしいつもと違い、簡単に答えを導き出せない。

 

 優丸が松尾山に向けて顎をしゃくる。引き続き見てみろという意味だ。礼韻はなにか言いたそうなのを呑み込み、望遠鏡を目に付けた。

 

 平岡頼勝が周囲の男に声をかけるが、だれも聞いていない。望遠鏡を通してさえ、男たちの熱気が伝わってくる。なにか大きなことが起こる予兆を涼香は感じた。自分なりに、感覚が鋭くなっているのだろう。冷静に見つめるもう一人の自分が、そう考えていた。

 

 次の瞬間、すさまじい音を立てて小早川軍が山を駆け下りる。1万6000の大軍。雪崩のように男たちが下りていく。大谷吉継の陣ではない。布施源兵衛の方角にだ。そのはるか先には、東軍の大将、家康の陣がある。

 


 



 


 

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