第10章 すり替わり【reprise】

第10章 すり替わり【reprise】(1)


 晩秋の寒気が雨に触れ、靄が立ち込めている。


 手のひらすらも見えない。それくらいに靄が濃かった。


 視界が遮られているところに合わせて、彼らはしゃべりあってもいた。それで周囲への注意が散漫になっていた。礼韻と優丸がすぐ背後まで近づいても、まったく気が付かなかった。


「これで合戦が起これば、いくつの勢が西軍から寝返ることか。どう考えてみたところで、東軍の勝利は間違いない。(石田)治部少輔殿と我が大附(徳川家康)殿では、だいたいにおいて人心の掌握に格段の差がありすぎるのだ。西軍がまとまるはずがない」


「それみたことか。だからわしの言うとおり郷里を逃げ出してよかったろう。あのままあの地に住んでいたら、西軍として戦わざるを得なかったところだ。もっと感謝しろ」


「まぁまぁ、何度も感謝の言葉を伝えているだろう」


 播磨生まれのこの足軽2人は、その地が宇喜田秀家領地だったので、本来であれば西軍の兵卒として参戦するはずだった。しかし一方の男が機敏にも情勢を読み、この関ヶ原の合戦が起こる前に友を誘って郷里を捨てた。石田三成を筆頭とした軍勢が勝利をつかむことなど、考えられなかったからだ。その意味で、地方に生を持った2人の若者は、この時代に最も必要な「臨機応変」という才を持っていたといえる。


 関ヶ原の前年に宇喜田家にごたごたが起こり、多くの家臣が徳川方に渡った。そのつてを使って2人はうまく徳川方に入り込んだ。


 そして今、東軍として戦場にいた。野山での生活に長けていることを買われ、小早川軍をとなりの山から見張る役目を負っている。戦場にはなりそうもない場所で、おそらくはなんの手柄も上げずに合戦を終えることになる。それでも勝ち組として天下分け目の戦いを終えるのは、今後の人生において重要な意味を持つはずだった。


 足軽2人のひそひそとした話し声は震えていた。寒さもあったが、人生で初めての戦で、恐れが強かった。東軍の優勢云々は、絶対にそうなってほしいと、自分たちに言い聞かせているという意味合いもあった。


 もしも彼らに経験があれば、無駄な話など控え、気を張り続けていたかもしれない。しかし未経験の不安が、せっかくうまいこと世を渡ってきたこれまでの成果を帳消しにしてしまった。


 彼らの真後ろから礼韻レイン優丸ひろまそれぞれの手が伸び、口をふさいだ。湿った布を強く押し当てる。礼韻はさすがに心臓が高鳴った。睡眠作用が即効性を発揮しなければ、抵抗されたり声をあげられたりと、すぐさま窮地におちいることになる。瞬時に多様な考えを展開できる者ほど、臆病になりやすいのだ。しかし礼韻の心配も杞憂に済み、2人の若者は抵抗するどころかうめき声ひとつあげることなく、その場に崩れ落ちた。


 

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