第9章 時渡り(12)


 闇に支配されているうえに、靄って視界が悪かった。


 礼韻はしゃがみ、地面を触ってみた。


 湿った泥のような土。しっかりした感触がある。自分は今、関ヶ原の地に着いたのだと確信した。


「カチン」


 石と石をぶつけ、音を放った。そしてじっと耳を澄ます。


「カチン」


 音がした。礼韻が放ったのと同じ、硬質の音だ。それはくぐもっていて、ある程度の距離を感じた。

 

 合戦の前夜の関ヶ原は靄に覆われている。そのことは分かっていた。礼韻と優丸、涼香は、もし別々に関ヶ原に着いた場合、石をぶつけあう音で互いの場所を知らせようと打ち合わせ済みだった。拈華微笑は距離があると届かないし、涼香には使えない術だった。

 

 また石の音。先ほどより近い。礼韻は「カチン、カチン」と2回鳴らした。


 少しの間を置き、石の鳴る音。今度は目と鼻の先だ。礼韻は「ここだ」と頭で念じた。


 しかし返答はない。そこで石を、今度はギィッと擦るように鳴らした。

 

 靄の中から涼香が現れた。涼香は抱きつきこそしなかったが、表情を緩め、礼韻の腕を両手でつかんだ。


 それからすぐ、近くで石が鳴り、礼韻の頭に優丸の呼びかけが流れてきた。


「近いぞ」


 礼韻は相手の頭に言葉を送る。


 それから10秒ほどで、優丸が靄を裂いて現れた。


「揃ったな」


「ここ、ほんとうに関ヶ原なの?」


 涼香の問いに、礼韻は首を振る。


「分からない。でも関ヶ原だと思って行動するんだ」


 礼韻は不安を取り除かせるように、涼香の頭をポンと叩いた。


「さぁ、まずはこの時代に服装を合わせないとな」


 優丸が頷き、涼香がまだ不安げに見つめている。


「行くぞ。といっても、どっちがどっちか分からないな」


 礼韻はここで初めて、困った。靄が視界をなくし、方角が分からないのだ。願坐韻の回想では松尾山の隣の小山まであっさり着いたので、自分たちも簡単に辿り着けるだろうと思い込んでしまったのだ。礼韻にしては珍しいミスだった。


「いや、大丈夫だ。方角なら闇の中でも見通せる。こっちだ、礼韻」


 優丸が先頭に立って歩き出した。


 礼韻は助かったと思うと同時に、闇のセンサーを体内に持つ優丸を、初めて、おそろしいと思った。複数の術を使える男として、礼韻の本能が、注意を持たなければならない人間だと認識したのだ。


 3人は15分ほど山道を静かに歩き、優丸が両手で制したところで止まった。


「すぐ近くに、東軍の見張りがいる。3人組だが、今は2人だ」


 闇と靄でまったく見えないのに、優丸が断定的に言う。とても不思議で信じられないが、しかし礼韻はそれを信じることにした。甘いと言えば甘いが、チームとして連携して動くには、時としてその仲間に対して大胆な信用も必要なのだ。


「おれたち2人でなんとかなる。すず、この木に登っていろ。おれたちのうちのどちらかが「いい」と合図するまで、絶対に降りてくるな」


 少しのためらいを見せたのち、涼香は木に登っていった。

 

 礼韻は優丸に、睡眠を誘発する薬液を沁み込ませた布を渡した。そして頷き合うと、ぼそぼそと話し声のする方へと向かっていった。

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